休みの日に、出かけてみようと言う気持ちには、図書館くらいである。青空市にも野菜がなければ行くが、たまたまもらい物があるので止める。後は、畳の部屋でごろごろする。泣き童子を読んで、暫し考える。こういう噺は、江戸時代でなくてもありそう。
某新聞の連載小説が終わり、新しい読み物が始まる。ちょっと、苦言を呈すれば、先の衆議院選挙との、自民党の卑怯な遣り方に腹が立つ。なぜなら選挙が終わった途端に報じる、福島第一原発の汚染水、海に流失である。国民を・庶民を騙す手口。
自民党の遣り方に、怒りすら覚える。圧勝したから何をしてもいいのか?否である。驕るな、と云っても所詮、我々の思いなど何処吹く風で押し通す。傍若無人もいいところ。腑がない民主党にも呆れる。内輪揉めの時ではない。山本太郎さん、よくやったね。
イタリアに永住している友人は、落選した人の方を応援していたのか、ちょっと覗いてびっくりする。知らなかった・・・ネットの繋がりをあまり使わないからだが、行動で頑張っている若い世代もあるんだ。遅蒔きながら、応援しよう。原発の稼動は、地球の破滅。
或いは、憲法を改憲して、国民を戦争に行かせるようになったら、首相は自分から家族を犠牲にするのだろうか。泣き童子の中に、あの世に足を踏み込んで、この世に帰りたくば命を差し出せの件に、母親は迷わず、己の命を差し出す。その思いは今も同じだ。
自民党も、公明党も卑怯であろう。団結力で勝てるのだから、先ずは原発を失くす事だ。自然エネルギーを使い、或いは小規模の電力、家庭での余った電力の買取など、国民を納得させる手立てを講じてからではないか。元々、自民党の蒔いた種ではないか。
民主党も、元は自民党からの分裂だ。勢力が弱くなったからと云って、責任を取るだの、離党するだの、処分するだのは可笑しい。政治に対する真摯さがなく、人間としての資質に欠けていよう。裏で何をしているか、知れたものではない。莫迦にしている!
新聞に眼を通し、読書しつつ、畳の上で寝転んでいたら、さわさわと涼やかに風が通る。枇杷葉が、恰も心得ているように風を送る。あまりのタイミングの好さに顔が綻ぶ。思わず笑顔でお礼を述べる。扇風機の風よりも涼やかでありがたい。わかるんだなぁ。
木村秋則さんが口癖のように言われる、心には、きっとりんごも枇杷葉も同じなんだ。当たり前ではなく、自然に感謝することが、どんなに人間を援けてくれるか。枇杷葉の生葉をもらい、風を送ってもらい、実が熟れて戴くことの、何と素晴しいことだろう。
白枇杷にも花芽がつき、今年で3回目の収穫になる。ほんとうにたくさんの実を分けてもらった。ありがとう!