私自身は、延命措置も入院も厭だ。事故に遭えば、病院へは搬送されるだろうが、手術等は断りたい。どの路、寝たきりになるのであれば、金銭的な負担もあるし、それらを息子達に負わせるのは忍びないからだ。還暦を過ぎれば、充分な命だ。
息子にも、嫁にも、娘たちにも話してある。理由として、自分の足で歩けたり、自分の手が使えなくなっては本が読めない。庭に立つこともできないのは淋しい。それらが不可能ならば、魂だけは彷徨いたい。枇杷葉の葉影に休んでいよう。
自然死がいいには違いないが、死ぬことは誰にもわからない。知っていたとしても、避けることは不可能だ。死の一瞬は、本人にしかわからないが、時々感じることがある。最近は、PCの調子が極めつけで繋がらなくなる。透き通った物体が視える。
今までに、何人もの人を見送った。自分の意思に関係なく視え、亡くなったことを知らせる。それが、できることがどうかはさて置いて、黄泉の国に旅立つことが叶わぬ者も居る。従って夜間の走行は避けていきたい。説明しても通じないが。
今朝、何時ものように厚着をして行き、掃除をしつつ汗が出た。一昨日からの雨に、寒さが緩んできたものか。おまけに携帯懐炉を付けているのだ。これは困った。然し、外すのも躊躇う。体調不良であるので、寒いと熱が出る。
勤務に出た以上は、仕事をしなければならない。待ったなしだ。昼食の用意をし始めたら、手伝ってくれた。洗い物もしてくれる。全部をしてもらうのは、体力的にもきついので、横に居て様子を見ながら一緒にする。思いの外、野菜カレー完食。
材料は、人参・じゃが芋・玉葱・南瓜。これに今回は里芋を入れた。皮付きのまま、鍋に水を張り、米と塩少々で湯がく。沸騰したら焜炉から下ろし、流しで洗いながら皮を剥き小口切りにした状態で、先の野菜の中に入れる。南瓜は面取りをする。
東側の、長崎茂木。高くなりすぎたので、枝を伐った。すると、幹のあちこちから発芽してき、瞬く間に育っていった。あれよ、あれよの感じです。