勤務先で、四月一日を何と読む?と、問われて。はて、どう読むの?何と、わたぬきさんと言われるそう。何故、そう読むかは直ぐにわかった。旧暦に関係がある。この時期になると、流石に綿入れは着ないから、綿抜きなのである。然し、新暦では当て嵌まらない。
新暦では、5月1日になる。今年は、閏弥生が入るから、余計に納得する。名前の由来に、旧暦が関わっていようとは、何だかうれしくなった。季節を先取る衣類も、旧暦を参考にするらしい。テレビドラマの方では、用いていないようだが、売上に大きく響くとか。
1年を通じての行事を決めるのも、旧暦を参照するのがいい。ところが今の者は、若い者でなくても、暦を見ようとはしない。感覚の基準が違うのだ。何故に知ろうとしないのか?甚だ疑問に思う。明治は遠くなりにけり。と言うが、昭和も随分と遠くなった。
農時期も、作物も、作り方は変わり、作る物は替わったが、大地は同じである。思う気持ちは決して変わらない。昔乍らのやり方を替えると、一時には良くできるが、やがて土が再生をしなくなる。或いは息をしないのだ。
人間の命だけが大切なのでなく、命のある生き物が棲まう地球が大事なのだ。植物は、光合成をして、二酸化炭素を吸い、酸素を出す。人間は、酸素を吸い、二酸化炭素を吐く。その循環の掟を破らぬように、生きなければならないのだ。
西の宇宙に、木星と金星が光っている。金星は、-4.3等星なので、間違うことなく見つけられるのが特長で、そこから下にいくと、木星があり、水星がある。月も出ていて撮影の瞬間です。5月には、金環食が観られます。
ぐ~んと伸びをした銀河。お転婆な彼女は、通りかかった時、ひょいと手を出して、ひっかけます。次の瞬間、身構えてかぶっとやります。そんな仕草が懐かしい。