大飯原発の再稼動は、自治体に委ねる。という記事を見て、唖然とした。住民の真意を問うやり方は卑怯だ。原発のお金がどんなに動いていても、命を守るべき政府がさせることではない。不良品をおしつけておいて、壊したのはそっちだ。ということ。
立場が弱く、所得の低い者への当て擦りだ。でも、声を上げて云わなければ、放射能が漏れた時には遅い。自分には甚大な被害がないから言えるのか。人事で片付けられる安易さが理解できない。人災であるのに、天災のように納得させられる。
棲み難い世の中になった。正しいことを堂々と言い、罪を咎を悔いる懺悔は、格好だけになってしまった。これでは神さまも呆れる。人々の暮らしはよくならない。平成天皇は煙の上がらない家を気遣っておられるというのに。
先日、平岩弓枝監修の文庫を買った。武士道と帯にあった。古来、そういった考えは尊ばれてきたが、民主主義の名の下に、今は自由と平等がひしめき合っている。確かに自由ではある。けれどもそこには責任が待っている。
正しいことを毅然として言うことは、庶民の自由でもある。そこに立ち塞がる地位や権利は、他人を介入させることではない。自分の言うことには、自分で責任を持ち、解決しなければ。態度や顔が大きいだけで、中味は空っぽだ。武士道の欠片もない。
職員が幼い児童を欲望のままに玩ぶ。横領を、家賃滞納をする時代だ。何があっても可笑しくない。けじめもなければ、マナーにも欠ける。それを殊更に嘯く馬鹿もいる。まともに暮しているのが莫迦らしくなる。
負のエネルギーに取り囲まれたら、抜け出せない。けれどもこれが一般的な生き方であろう。長い物には巻かれろ。気に入らなければ住まなくてもいい。原発もそういった要因があるから難しいのか。再稼動をするのも、廃炉にするのも地獄なのだが。
冬の枇杷葉。花芽が咲き競って、そこら中に芳香を漂わせている。