悠山人の新古今

日本初→新古今集選、紫式部集全、和泉式部集全、各現代詠完了!
新領域→短歌写真&俳句写真!
日本初→源氏歌集全完了!

【資料】万葉木簡新発見M4

2008-05-24 21:01:00 | literature
余録:「今昔物語集」に美しい大納言の娘が…
 「今昔物語集」に美しい大納言の娘が家に仕えていた男に連れ去られ、陸奥の安積(あさか)山中で暮らす話がある。数年後のある日、娘は歩いているうちに井戸を見つけた。その水面に映るわが姿の変わりようを見て、近くの木に書く▲「あさか山かげさへみゆる山の井の あさくは人をおもふものかは」。アレ最近似た歌を聞いたという方もおいでだろう。滋賀県・宮町遺跡で出土した木簡の万葉歌「安積山影さへ見ゆる山の井の 浅き心を我が思はなくに」のことである▲この歌、万葉集には全く別の話がのっている。葛城王(かづらきのおおきみ)が陸奥に遣わされた時、国司にないがしろにされた王が怒り、接待の宴がしらけた。その時ある采女(うねめ)が山の井の水を手に、王の膝(ひざ)をたたきながらこの歌を詠んで機嫌をとりもったという▲古今集仮名序が、安積山の歌は采女の戯れから詠まれたというのもこの話を受けてのことだ。歌にまつわる物語や伝承は「歌語り」というが、長く歌い継がれるうちにこの歌はさまざまに語り継がれ、「歌語りの王座を占めた」(伊藤博著「萬葉集釋注」集英社文庫)ようである▲8世紀中ごろのものという木簡には、古今集仮名序で安積山の歌と共に「歌の父母」とされた「難波津(なにわづ)に咲くや木(こ)の花冬こもり 今は春べと咲くや木の花」が書かれていた。二つの歌の組み合わせは古今集の150年前にさかのぼるらしい▲木簡の歌が万葉仮名で書かれていたことも、従来の有力説より古くから歌に万葉仮名が使われていた証拠になるという。万葉集の成立事情にも新たな光があてられよう。1200年以上の時を越え、歌の父母からはまた新たな歌語りがどんどん生まれそうだ。

俳句写真295 かをりては

2008-05-24 04:50:00 | 俳句写真
2008-0524-yhs295
かをりては
リラにまがひし
ひとの去り  悠山人

○俳句写真、詠む。
○紫丁香花、承前。人の気配のないのを確認し、近付いて微香をかぎながら、接写に没入する。するととつぜん背後から、ムラサキハシドイ? 聞いたことがないわねえ、などと声がした。思わず、驚いたなあ、誰もいないと思っていたから、と振り返って声の主を見た。一見して、園内をひとりウォーキングしている女性だと分かる。二言、三言の往復ののち、彼女は去った。四十台半ばの、自ずから気品の漂う美形であった。・・・
□俳写295 かをりては リラにまがひし ひとのさり
【写真】同前。

image536 紫丁香花

2008-05-24 04:45:00 | images
2008-0524-yim536
title : lilac
yyyy/mm : 2008/05
memo : 白色のライラックだな、と思って根元の名札を見ると、「ムラサキハシドイ/モクセイ科」と素っ気ない。電網で調べると、ライラックなど西洋語以外は、すべて「紫丁香花/むらさきはしどい」になっている。漢字は中国名、読みは大和風。そこで漢字の本家を訪ねると、「紫丁香花」が華やかだ。北京語読みでは、zidingxianghua 3111。大和言葉に漢字を当てると、「紫端集」。cf. 以前に調べた結果は、「短歌写真343 わが宿に」(2007年05月08日、yts343)、「短歌写真134 花花の」(2006年04月17日、yts134)。
 【写真】先日、芸術公園で。
【memo】中国語電網を探っていると、「哀悼死者、祈福生者!抗震救災、・・・」などの四字熟語がしきりに出て来て、この大震災のような時でも、音楽が生きていると、しみじみ(というほどの学力もないが)感じ入った次第である。
*Melody of Tea - love is only word | 61.72.254.153:8000*[-HAPPYDAY-Contemporary Instrumental]