余録:「今昔物語集」に美しい大納言の娘が…
「今昔物語集」に美しい大納言の娘が家に仕えていた男に連れ去られ、陸奥の安積(あさか)山中で暮らす話がある。数年後のある日、娘は歩いているうちに井戸を見つけた。その水面に映るわが姿の変わりようを見て、近くの木に書く▲「あさか山かげさへみゆる山の井の あさくは人をおもふものかは」。アレ最近似た歌を聞いたという方もおいでだろう。滋賀県・宮町遺跡で出土した木簡の万葉歌「安積山影さへ見ゆる山の井の 浅き心を我が思はなくに」のことである▲この歌、万葉集には全く別の話がのっている。葛城王(かづらきのおおきみ)が陸奥に遣わされた時、国司にないがしろにされた王が怒り、接待の宴がしらけた。その時ある采女(うねめ)が山の井の水を手に、王の膝(ひざ)をたたきながらこの歌を詠んで機嫌をとりもったという▲古今集仮名序が、安積山の歌は采女の戯れから詠まれたというのもこの話を受けてのことだ。歌にまつわる物語や伝承は「歌語り」というが、長く歌い継がれるうちにこの歌はさまざまに語り継がれ、「歌語りの王座を占めた」(伊藤博著「萬葉集釋注」集英社文庫)ようである▲8世紀中ごろのものという木簡には、古今集仮名序で安積山の歌と共に「歌の父母」とされた「難波津(なにわづ)に咲くや木(こ)の花冬こもり 今は春べと咲くや木の花」が書かれていた。二つの歌の組み合わせは古今集の150年前にさかのぼるらしい▲木簡の歌が万葉仮名で書かれていたことも、従来の有力説より古くから歌に万葉仮名が使われていた証拠になるという。万葉集の成立事情にも新たな光があてられよう。1200年以上の時を越え、歌の父母からはまた新たな歌語りがどんどん生まれそうだ。
「今昔物語集」に美しい大納言の娘が家に仕えていた男に連れ去られ、陸奥の安積(あさか)山中で暮らす話がある。数年後のある日、娘は歩いているうちに井戸を見つけた。その水面に映るわが姿の変わりようを見て、近くの木に書く▲「あさか山かげさへみゆる山の井の あさくは人をおもふものかは」。アレ最近似た歌を聞いたという方もおいでだろう。滋賀県・宮町遺跡で出土した木簡の万葉歌「安積山影さへ見ゆる山の井の 浅き心を我が思はなくに」のことである▲この歌、万葉集には全く別の話がのっている。葛城王(かづらきのおおきみ)が陸奥に遣わされた時、国司にないがしろにされた王が怒り、接待の宴がしらけた。その時ある采女(うねめ)が山の井の水を手に、王の膝(ひざ)をたたきながらこの歌を詠んで機嫌をとりもったという▲古今集仮名序が、安積山の歌は采女の戯れから詠まれたというのもこの話を受けてのことだ。歌にまつわる物語や伝承は「歌語り」というが、長く歌い継がれるうちにこの歌はさまざまに語り継がれ、「歌語りの王座を占めた」(伊藤博著「萬葉集釋注」集英社文庫)ようである▲8世紀中ごろのものという木簡には、古今集仮名序で安積山の歌と共に「歌の父母」とされた「難波津(なにわづ)に咲くや木(こ)の花冬こもり 今は春べと咲くや木の花」が書かれていた。二つの歌の組み合わせは古今集の150年前にさかのぼるらしい▲木簡の歌が万葉仮名で書かれていたことも、従来の有力説より古くから歌に万葉仮名が使われていた証拠になるという。万葉集の成立事情にも新たな光があてられよう。1200年以上の時を越え、歌の父母からはまた新たな歌語りがどんどん生まれそうだ。
毎日新聞 2008年5月24日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20080524ddm001070049000c.html