百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

懐かしい人に出会う

2007-03-28 19:25:06 | Weblog

  3月28日  (水) 
                          平成17年1月1日より 817日目
                                      歩いた歩数       其の距離
                          本日      15,428歩     10,800m
                          総計   11,783,212歩   8,248,248 m
        上海から連雲港・徐州を経て北京に向かう 曲阜まで 24,902m

       
            千曲の水温む 鴨の群れ

  ウォーキングの途中、綱切橋の上で突然「お元気ですね!」と声を掛けられた。何年か前に飯山を去られたSさん夫妻の乗った乗用車からだった。「やぁ!お久し振り!お二人とも元気で何より!」「今はどちらに?」の問いかけに「小諸」と言って二人ははちきれる様な笑顔で手を振りながら去っていった。

 Sさんは、町の中心で青果物を中心にした食料品店を営む若手で、店は奥さんが切り盛りをし、主人は地元のきのこの集荷をして市場出しをしていた。積極的な経営で市場の信頼も厚く、お得意さんも多かったが、スーパーの攻勢など時代の流れの中で飯山を去って行った。

 Sさんのお父さんは戦後、朝鮮から帰国して「物物交換所」を経営する傍ら、地元物産、特に林檎の県外出荷などを手がけ、後発の私どもの畏敬の人材だった。しかし流通秩序が整備されてゆく時の流れには抗しきれず小売専業に閉じ篭る事になった。私は店を妻に任せて、「ボテ振り」から始まって「振り売り」「りんご問屋」「りんご移出商」「市場経営」と進み、合併を繰り返して「長印」の経営者の一員となった。

 時の流れはその人の力量を度外視して押し流して行く。蝋燭屋が電気屋になり、ラジオ屋からテレビ屋・家電商に成長して、今は電気工事を主体に経営している業者が有力だ。八百屋・魚屋がスーパーに食われ自転車屋が衰退する中で、生菓子屋が息永く栄えているのも豊かな社会の表徴ではないだろうか?

 Sさんに会って、歩きながらこんなことを思い起こした。Sさんの幸せを祈るのみ。

 


三ッの幸せ

2007-03-28 00:00:56 | Weblog

 3月27日  (月) 
                        平成17年1月1日より 816日目  
                                     歩いた歩数    其の距離 
                         本日      16,184歩       11,329m
                         総計   11,767,784歩  8,237,449m
     上海から連雲港・徐州を経て北京に向かう 曲阜まで 35,701m 

その一

創造学園大付属高校が勝ったこと。此処何年も甲子園に出場することすら無かった長野県。そして幸いにして出ると負け。そんな事が永く続いたので余り期待はしなかったが、それでも9時にはテレビのスイッチは入れた。

 旭川南は浅沼、創造学園大付は赤羽の両左腕が好投した。創造学園大付は五回、窪田の二塁打で1点を先制。赤羽がこれを守り抜き、3安打で完封した。長野県が勝つなんて久し振りのことだ。兎に角良かった。良かった。

           

その二

先にやすらぎの里荒船で見つけた頭に赤い玉をつけたコケが「コアカミコケ」であることが判ったこと。「コアカミコケ」とは「小赤実苔」ではないか。「国立図書館」を検索して探し当てた。荒船の木橋で撮った苔と寸分変わらない苔の写真に出会うことが出来た。何万という苔の中からにしては偶然の出会いだ。神や仏は信じないが、なんとも幸せな出会いである。

    
          こあかみこけ

その三

ここ一週間探していた「県民手帳」が夕方発見されたこと。此処には一年間の守るべき行動(出席会議・場所・時間・持ち物・・・)が記帳されている命より大事な手帳なので、何としても探し出さなければならないものなのであるが、これが無いことが判った。それから一週間、これを探し、探し草臥れ、何処にも無いと諦めたその「県民手帳」が出て来たのだから、こんなに嬉しいことは無い。三つの中で一番嬉しい。7日間の遣り切れない苦しさがいっぺんに晴れたのだから・・・。

しかし手放しでは喜んでも居られない。それは見つかった場所が悪すぎる。一週間、家の隅から隅まで、車の中から物置の中まで、探さないところがもう無いとして諦めたのだが、出てきたのだ。それは毎日使ってるプリンターの印刷された紙が落ちないように引き出されている支えの下に在ったのだ。

プリンターから印刷された用紙が落ちるので、私は支えの下に手帳を入れて、支えの角度を挙げて用紙を落ちないようにした。そして3月になってからの20日間のブログのコピーを取った。それからは用紙が落ちなくなったので、「県民手帳」を支えの下に入れたことはすっかり忘れてしまっていたのだ。

還暦を過ぎた辺りから物忘れが酷くなってきたが、此処までになったとは我ながら恐れ入った。「健忘症」を通り越して正に「認知症」だ。これからは「県民手帳」は肌身離さずに持って居よう!