3月28日 (水)
平成17年1月1日より 817日目
歩いた歩数 其の距離
本日 15,428歩 10,800m
総計 11,783,212歩 8,248,248 m
上海から連雲港・徐州を経て北京に向かう 曲阜まで 24,902m
ウォーキングの途中、綱切橋の上で突然「お元気ですね!」と声を掛けられた。何年か前に飯山を去られたSさん夫妻の乗った乗用車からだった。「やぁ!お久し振り!お二人とも元気で何より!」「今はどちらに?」の問いかけに「小諸」と言って二人ははちきれる様な笑顔で手を振りながら去っていった。
Sさんは、町の中心で青果物を中心にした食料品店を営む若手で、店は奥さんが切り盛りをし、主人は地元のきのこの集荷をして市場出しをしていた。積極的な経営で市場の信頼も厚く、お得意さんも多かったが、スーパーの攻勢など時代の流れの中で飯山を去って行った。
Sさんのお父さんは戦後、朝鮮から帰国して「物物交換所」を経営する傍ら、地元物産、特に林檎の県外出荷などを手がけ、後発の私どもの畏敬の人材だった。しかし流通秩序が整備されてゆく時の流れには抗しきれず小売専業に閉じ篭る事になった。私は店を妻に任せて、「ボテ振り」から始まって「振り売り」「りんご問屋」「りんご移出商」「市場経営」と進み、合併を繰り返して「長印」の経営者の一員となった。
時の流れはその人の力量を度外視して押し流して行く。蝋燭屋が電気屋になり、ラジオ屋からテレビ屋・家電商に成長して、今は電気工事を主体に経営している業者が有力だ。八百屋・魚屋がスーパーに食われ自転車屋が衰退する中で、生菓子屋が息永く栄えているのも豊かな社会の表徴ではないだろうか?
Sさんに会って、歩きながらこんなことを思い起こした。Sさんの幸せを祈るのみ。