百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

終戦の日の思い出

2008-08-15 18:45:40 | Weblog

  8月15日  (金) 
                          平成17年1月1日より 1,323日目
                                        歩いた歩数      その距離
                          本日           12,719歩          8,903m
                          総計   18,489,966歩  12,942,976m
    北京より西安・蘭州・西寧・酒泉・嘉峪関・敦煌・哈蜜・吐魯番を経てウルムチに向かう。後164,174 m

 [終戦の詔書]

 朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々惜カサル所曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ心霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負イ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ

御名御璽

昭和二十年八月十四日
内閣総理大臣 男爵 鈴木貫太郎
海軍大臣 米内光政
司法大臣 松阪広政
陸軍大臣 阿南惟幾
軍需大臣 豊田貞次郎
厚生大臣 岡田忠彦
国務大臣 桜井兵五郎
国務大臣 左近司政三
国務大臣 下村宏
大蔵大臣 広瀬豊作
文部大臣 太田耕造
農商大臣 石黒忠篤
内務大臣 安倍源基
外務大臣兼大東亜大臣 東郷茂徳
国務大臣 安井藤治
運輸大臣 小日山直登

 記憶の中から消え去ろうとしている昭和20年8月15日を再認識するため、昨年のブログを転載して終戦の日の思い出とする。

 62年前の今日、私は松本の東部150部隊通信中隊に所属する陸軍衛生一等兵として、連隊内に居た。部隊の本隊は、広島に投下された特殊爆弾の破壊力を知らされて、「これより部隊は展開をする」との部隊長命令で、僅かの留守要員を残して周囲の山間地の学校などに移動していた。私はたまたま医務室の管理の留守要員として残留していたのだ。

 夜間、兵舎を出て星を眺めながら夕涼みをしていた。すると親しくなった隊員(無線兵)から「衛生兵殿、戦争は終わります。負けました」と囁かれた。彼は通信中隊の留守要員として勤務の傍ら、米軍の日本語放送を傍受していたのだ。

 8月15日、全隊員営庭に整列、玉音放送に耳を傾けた。兵は「一億玉砕」を覚悟で最後まで戦うものとの前提で、陛下の勅語を聞いているのだから、雑音もさることながら、趣旨が理解できないまま兵舎の戻ってきた。色々な意見が出たが、的確な解釈でないことだけは判った。

 「衛生兵殿はどう思われますか?」と私に番が回ってきた。私は事前に情報を受けていたので、「万世の為に太平を開かんと欲す」と言われたことは「戦争はしない。止めた。」とおっしゃたんだと言った。さあ大変なことになった。薄々はそのようにもとれるが、まさか天皇陛下が「戦争を止める」なんて言う筈がない。と心の中に思い切っているのだから、カンタンに割り切れるもんじゃない。

 しかし、段々冷静になって考えてみると、四囲の情勢からそれしかとる道のないことが判ってきた。「戦争は終わったんだ。負けたんだ。命だけは助かったんだ。天皇陛下はそれを国民に知らせて呉れたんだ」。と。

  突然、誰かが、「衛生殿は何処の大学を出らたのでありますか?」と尋ねてきた。みんなが私の方に目を向けた。「高等小学校を出たんだ」「じゃぁ、何故先生を」と聞き返して来た。星二つしかない兵隊の言葉に耳を傾けて呉れる様になった。夜、「戦争は終わった。もう暗幕は要らない」と言ったが、その晩は警戒警報のままだった。