函館五稜郭で桜を堪能したあと、
観光列車・道南いさりび鉄道「ながまれ海峡号」に乗る。
函館から木古内(北海道新幹線で最初に止まる駅)までの約1時間。
日本一貧乏な観光列車として知られるようになってきたが、
優れた鉄道企画旅行を選ぶ「鉄旅オブザイヤー2016」では、
グランプリに輝いた。
道南地域の食や文化といった魅力ある情報の発信も目指す。
「ながまれ」とは、道南地域の懐かしい方言
「ゆっくりして」「のんびりして」の意味。
普段は日常の通勤・通学・などに利用する列車だが、
観光団体用に車内で食事が楽しめるようなテーブルなどを設置した
特別仕様となっている。
道南の名産「道南杉」を使用した内装を配し、
日没後の函館山のシルエットや津軽海峡の漁火、
道南の街の灯り、空にスターダストをまとい、旅情たっぷりだ。
なかなかオシャレなデザイン
車内のポスターなども手作りで、何とも温かみを感じるし、
沿線を案内する社員の一生懸命さにも好感が持てる。
五稜郭タワーが見える
函館山も見える
ユニークな洋風の渡島当別駅。
15分ほどのところに「トラピスト修道院」がある
綺麗なシバザクラも
木古内駅に到着
咸臨丸は、1857年(安政4年)にオランダのキンデルダイクで産声をあげ、
幕府海軍創成期の主力艦として配備された。
開国の嵐が吹きすさぶ中、1860年(安政7年)、
木村摂津守喜毅、勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎など百余名を乗せ、
日米修好通商条約批准書交換目的で
渡米する幕府遣米使節護衛目的の随伴艦として太平洋を渡る偉業を成し遂げるなど、
幕末の動乱期に日本近代化の歴史的象徴として活躍した。
しかし、その栄光とは裏腹に、晩年は戊辰戦争の渦に巻き込まれ、
軍艦から北海道への物資運搬船となり数奇な運命をたどった。
戊辰戦争で敗れ、北海道移住を余儀なくされた
仙台藩片倉小十郎家臣団401名を乗せて仙台の寒風沢を出港した咸臨丸は、
箱館経由で小樽に向かう途中、1871年(明治4年)9月20日、
木古内町のサラキ岬沖で座礁。
現地(泉沢)の人々の懸命な救助により、
乗船者は難を逃れたが、咸臨丸はその数日後に破船沈没した。
怒濤の幕末維新を背景に栄光と悲劇の咸臨丸は、
今もここサラキ岬沖に静かに眠っている。(木古内町観光情報HPより)
夜は、船内で似顔絵エンターティメント
桜小路富士丸さんのショーがあり、
乗客がモデルとなって描く。
珍しいイベントで楽しい時間を過ごした。