北の旅人

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呆れる!東京電力の企業体質

2012-03-30 13:13:52 | Weblog
<公的資金投入は3兆5000億円に>

東京電力は公的資金による1兆円の資本注入と、福島第1原発事故の賠償金として約8,500億円の追加支援の申請を行った。東電が資本注入を申請するのは、原発停止に伴う火力発電の燃料費の増加に加えて、福島第1原発の廃炉や除染などの費用がかさんで、経営が立ちゆかなくなる懸念があるからだという。政府は資本注入を実施する代わりに東電の議決権を当初51%、状況によって3分の2以上確保して経営の主導権を握って実質国有化する。
東電への支援は、今回で3回目となるが、認められれば公的資金による支援は原子力損害賠償法に基づく1,200億円を含め、計3兆5,000億円規模となる。今回申請される資本注入や賠償の追加支援を受けるためには、リストラ策や経営責任などを明記した総合特別事業計画を提出し、枝野幸男経済産業相の認定を得る必要がある。
しかし、これらの条件を本気で、あるいは着実に誠意をもって進めているかとなると、全く納得できない。

<まだまだ不十分、経営合理化>

たとえば、1月中旬、東京都の猪瀬副知事が、経営合理化は不十分だとして、東電のファミリー企業について調査し、連結子会社168社、関連会社97社のうち住所の記載がある会社40社のうち都内にある17社は交通至便のところにあり高い家賃を払っていることが明らかになった。また、人員削減や人件費削減などについても情報開示がなされていないと指摘した。

この人件費については、3/28日、関東地方知事会長の横内正明・山梨県知事や上田清司・埼玉県知事らが、東電の西沢俊夫社長に「人件費の削減や経営合理化が先決だ」と迫り、値上げの中止を要請。その上で値上げの根拠を問いただしたが、話し合いは平行線に終わった。終了後、横内氏は報道陣に「納得する答えは得られなかった」と述べた。

知事会側は、平均年間給与が国家公務員より高いとして、「人件費の削減率が20%では低い」と追及したが、東電側は「本年度は(高卒を含む全社員の平均は)570万円で、国家公務員の634万円を下回っている」と回答した。上田氏は、「東電の大卒社員は20%削減後も835万円と高水準で、給与が安いと回答するのは不見識だ」と怒りをあらわにした。東電側は「大卒は55歳で1,020万円」とようやく詳細を明らかにしたが、横内氏は「中小企業と同じにしろとは言わないが、値上げで痛みを受ける中小企業の思いを考えれば、再考すべきだ」と苦言を呈した。

<尊大な値上げのお願い>

また、河野太郎衆院議員が自らのブログで「東電の値上げは断れます」(2012・3・15)と、東電とのやりとりを書いているが、全く呆れるばかりだ。

それに関しては、神奈川県の横浜市で、こんなやりとりも行われていた。
3月13日に、横浜市の担当者が契約期間中は値上げに応じる必要はない旨を東電の担当者から伝えられた。 それに驚いた市が、さっそく関係部局や経済団体に伝達したところ、 今度は東電から口止めするような内容の連絡があったという。

「こうした情報を広めないでくれという趣旨のことを東電から言われたが、市として当然のことをしていると申し上げた。 私どもの情報伝達について何か言われるというのは、ちょっと心外でした」(横浜市温暖化対策統括本部・調整課長)と語っている。言葉を失うばかりだ。

東電の対応を見ていると、何と尊大な態度であることか! あの電気料金値上げの社長記者会見で「~値上げは電気事業者の義務と申しましょうか権利でもございますので~」と、シラッとして言い放った姿勢が、いかにも象徴的なものだった。あれだけの事故を起こし、今なお苦しんでいる被災者の皆さんのことに思いを致せば、あんな物の言い方にはならないはずだ。

本音は、「我々が電気を送らなければ、困るのはあんたたちですよ」と言わんばかりの態度だ。そうした強気の背景は何かと言えば、もちろん独占企業であったことが最大の問題だが、与野党を問わず政党や政治家たちへの多額の企業献金をしてきた事がある。このような傲慢な企業姿勢は東電ばかりではない。北海道電力泊発電所建設に関して、住民の意見を聞く会などで「やらせ」問題が持ち上がった時の北電社長の議会への参考人招致拒否(最終的には出たが)や一連の対応ぶりは、やはり東電の対応ぶりに相通ずるものがある。

東京都の猪瀬副知事は、「東電文学」と皮肉っているが、紛らわしい説明文書を送付して、「あわよくば見過ごしてくれれば儲けもの」ともとられかねないような姑息なやり方が随所に見え隠れしている。

<我々の覚悟も問われている>

東電の国有化は当然の方向だが、長く原子力政策を推進してきた自民党にも、もちろん責任がある。我々も、今日まで原子力の恩恵にあずかってきたが、これからは、できるだけ原子力によるエネルギー依存を減らしていかなければならない。そのためには、多少の不便は受け入れていくという、我々の覚悟も問われている。