「地蔵ガ岳」著者=池田光一郎
奥付によると、昭和44年8月8日発行。定価1000円。
著者は、僕の父の母の弟。母によると、父は戦時中の疎開時代、光一郎さんに随分とお世話になったのだそう。ちなみに、父の母(僕のおばあちゃん)は、父が3歳の頃に亡くなっています。つまり父は、当時まだ存命だった父方の親戚ではなく、なぜか、母方の親戚を頼った、ということ。ちなみに光一郎さんは、僕の記憶の中にもあります。中学生の時のこと。
僕が地蔵ガ岳に固執しているのは、上記のような縁(ルーツ)があるからなのです。
さらに、
<観音岳と賽の河原には、幾十基となく在す子福地蔵尊がある。(注、現在はほとんどない)高さ五、六寸から一尺におよぶ地蔵尊は、子宝を求める婦人が、その一体を自家に借り受け祈願をすれば、地蔵尊の霊験はまことにあらたかで子宝を授かるという。その霊験を受けた婦人は、「願返し」と、いう習わしに従い、謝恩のあらわれに地蔵尊を二体として、山上にお返しする信仰が行われている。>
つまり、僕が(なぜか)石仏さまに拘っている因果が、この本には示されているように感じるし、さらに、光一郎さんの写真(カメラ)趣味(の血)が、僕にも流れているのかなぁ、と。ですから、そんなわけで、僕の人生の一区切りは、地蔵ガ岳にあるのです。
奥付によると、昭和44年8月8日発行。定価1000円。
著者は、僕の父の母の弟。母によると、父は戦時中の疎開時代、光一郎さんに随分とお世話になったのだそう。ちなみに、父の母(僕のおばあちゃん)は、父が3歳の頃に亡くなっています。つまり父は、当時まだ存命だった父方の親戚ではなく、なぜか、母方の親戚を頼った、ということ。ちなみに光一郎さんは、僕の記憶の中にもあります。中学生の時のこと。
僕が地蔵ガ岳に固執しているのは、上記のような縁(ルーツ)があるからなのです。
さらに、
<観音岳と賽の河原には、幾十基となく在す子福地蔵尊がある。(注、現在はほとんどない)高さ五、六寸から一尺におよぶ地蔵尊は、子宝を求める婦人が、その一体を自家に借り受け祈願をすれば、地蔵尊の霊験はまことにあらたかで子宝を授かるという。その霊験を受けた婦人は、「願返し」と、いう習わしに従い、謝恩のあらわれに地蔵尊を二体として、山上にお返しする信仰が行われている。>
つまり、僕が(なぜか)石仏さまに拘っている因果が、この本には示されているように感じるし、さらに、光一郎さんの写真(カメラ)趣味(の血)が、僕にも流れているのかなぁ、と。ですから、そんなわけで、僕の人生の一区切りは、地蔵ガ岳にあるのです。