尾崎豊「僕が僕であるために」

2015-11-29 13:36:13 | 音楽の思い出

今日11月19日は、あの伝説のアーチスト、

尾崎豊の誕生日だそうです。

生きていれば、今年で満50歳。

それにしても、1980年代に

あれだけ自分の魂の叫びを歌い上げたのに、

90年代初頭に泥酔で謎の死を迎えました。

そんな彼の創った歌詩と歌いぶりを思い出すたびに

「生きる」って大変なことなんだなぁ、と

痛感します。

こんな思いの中、彼の代表作の1曲、

「僕が僕であるために」について。

彼は、自分の中で正しいと信じることを

どこまで貫き通せるか悩んでいる時期が

あったのが、痛いほど分かります。

単に周りの人にやさしい言葉をかけ

平穏を装っていても、その人のためには

ならないことだって少なくありません。

そんな時、正直に自分の思うことを

言えるかどうか、迷うところです。

尾崎の言う自分が”勝ち続けなくちゃならない”というのは、

自分にうそをついてまで、おべんちゃらや優し気な

平和な言葉をかけるのは、僕が僕でなくなるという

意味にもとれます。

日本人にはよくありがちなことですが、周囲の

多数意見に合わせて、その場を穏便に収めようとする

態度を嫌っていたようにも感じます。

考え抜き感じた信念を貫くことが、世の中を

渡り歩く中で、ださくて大人げないことだと

勘違いされてしまうことに苦悩していた姿が

思い浮かびます。

尾崎って本当にいいやつだったんですね。

そこまで自分を追いつめて悩んでいたとは・・・。

だから、当時の若者に絶大なる共感を受け

支持されたのでしょう。

偽りの帳尻合わせなんてくそくらえみたいな

若者の熱き魂が燃えていた感じです。

大人になるってことは、巧みにうそを

つけるようになるってことでもあるのでしょう。

今になって、やっと尾崎の苦悩が

分かってきました。1990年代に犬死のように

路上で亡くなった時は、彼には、ただのやけ酒を

大量に浴びた若者という印象しかありませんでした。

20歳代の若さで、多大な苦悩を抱えていたなんて

自分には想像もできませんでした。

おやじ世代になった自分が今になって

彼の苦しみが分かってきたのは、

遅きに失した感が強くあります。

でもだからこそ、時に尾崎の曲を

聴き、彼の生きざまを参考に

させてもらうこともあります。

実は、一番恰好悪く見える奴が

一番格好良かったりすることも

多々あるのでは?

そんな思いで、彼の曲を

聴いています。

体裁を取り繕った人間にだけは

なりたくない、と思っています。


11月28日(土)のつぶやき

2015-11-29 03:24:05 | 音楽の思い出

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