「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・背は四国三郎の水の流れ

2010-11-25 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                情報プラットフォーム、No.259,  4(2009)
{背は四国三郎の水の流れ}

 

       出典:ほっと平山ホームページより

 


 南面する斜面を背に、道路から一段上がった日溜まりのような場所に築5年のその家があった。道を隔てて南に拡がる水田の向こうに、谷秦山公園の小高い丘があり、その縁を土生(はぶ)川が流れている。その圃場整備されている水田は、日当たりの良さを将来に亘って保証している。

一方で、背後の北側に迫る杉林の斜面が気になる。2階程の高さにある通路に上がってみると、約2m幅の水路があり、覆蓋の上を車が通れるようになっている。深さは1mほどで、その流量はかなりのものである。聞けば、甫喜ヶ峰疎水と呼ばれる吉野川水系(穴内川)からの分水の一部とのことである。四国三郎の用水が崖崩れの防御になると判断した。植の字名も、3桁の地番の数字も気に入り、衝動買いのように決めた。


 豪雨の時、「土佐山田町の繁藤では・・」と放送される。渇水の時、「高知県の早明浦ダムでは・・」と報道される。その都度、東京の友人・知人からは「凄い雨だそうですね」とか、「渇水で大変でしょう」と電話が掛かる。「土佐山田は広く、繁藤駅は昔は天(あま=雨)坪駅でした。豪雨による『繁藤災害』も起きてます」とか、「早明浦ダムの水利権は高知県にはないのです(*1)。給水制限はまだ行われていません」と答えることになる。 

 
  「校注 甫喜峯疎水誌」によれば、元禄の頃から干害が起これば水争いが絶えなかったとある(*2)。明治に入っても、国分川下流の久次・植田両地区と、上流域の須江・上改田さらに植・新改地区との水争いが激しくなり、御免、山田の両警察署が出動したり、長岡郡役所が仲裁に当たったとある。明治33年の隧道の開通で、干害も、水争いも無くなった。後にこの穴内川分水を利用して平山発電所と新改発電所ができたのである(*3)。


 発電を終えた水の一部は、支流の谷を水道橋(上越し)で渡り、等高線沿いに走り、県道と土生川の下を逆サイフォン(伏越し)で潜り、八王子宮の山裾を経て山田の町中に達している。明治42年に開通の鏡野川用水(山田用水)こそ、我が家の北側を通る水路である。


 東京の友人M君が高知に立ち寄ったのは、平成6年以来の大渇水と言われた平成17年の8月末のことである。彼の希望する案内先は、桂浜や五台山ではなく、新聞に「高知の早明浦ダム、貯水率0%」と説明のある写真の場所、湖底から現れた旧大川村役場であった。始めて見たその光景に驚き、役場の建物を綺麗な水で洗いたいとの衝動に駆られた。


  山山々、森森々と重なる山並みの中から甫喜ヶ峰を見付けることが容易になった。平成16年、尾根に2本の風車が完成したからである。北風を受けるときは反時計回りに、南風では時計回りに回転している。

水力発電100年記念を契機に、潅漑など農業・林業の歴史、水利権や耕作権、バイオマスとしての森林資源、自然エネルギーの種類やその仕組み、水力と風力の比較、環境と暮らしを守る智恵など多様な視点での啓蒙が可能である。この地域は子供達に自然エネルギーや炭素循環に関心を持たせる最適なフィールドである。


 *1) 吉野川水系の水は、支流からの穴内川分水と平山分水、早明浦ダムの上流域からの   仁淀川分水と高知分水(鏡川への分水)の4ルートで高知の平野部に導かれている。
 *2)「校注 甫喜峯疎水誌」多田政治編著、高知新聞企業出版部(1990,9)
 *3)平山分水、それに現・新改発電所と新平山発電所は昭和39年に完成している。

 

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鈴木朝夫  s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

 高知県香美郡土佐山田町植718   Tel 0887-52-5154 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次 

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