{高知と韓国} 「ぷらっとウオーク」 情報プラットフォーム、No.178、7(2002)
田内千鶴子さんの記念碑が1997年10月に出来た。生誕の地に近く、五台山の見える橋のたもとである。高知に来て、知寄町二丁目のマンションに私達が住んで間もなくの頃である。そこは散歩の距離である。動乱の中で行方不明になった韓国出身の夫の意思を継ぎ、木浦共生園で3000人の孤児を守り育てた彼女は韓国孤児の母と慕われている。
晋州(Chinju)公立農業学校の校長を20年間、務めた今村忠夫さんの頌徳碑が土佐市の彼の旧家の跡、土佐市民病院前に建っている。彼は戦前、日本統治の厳しい時代に、民族の違いで分け隔てをしない親身の教育を行った。今なお多くの人々からの尊敬を集めており、日韓両国の教え子達により十数年前に建立されたものである。
このように高知は韓国と深い縁があって、高知工科大学や高知大学は、晋州産業大学(前身が晋州農業学校)との間で学術交流協定を結んだのである。共同開催のワールドサッカーの報道を聞く度に思い出されるのである。
注:奥物部に矢筈峠、別名アリラン峠がある。強制労働で日本に連行された人たちが、戦後、道路開削工事に従事したとき、故郷を偲んでその名を付けたと案内書にある。何があったのかと思い悩む地名である。 [suzuki@joho-kochi.or.jp]
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