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「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

「高知ファンクラブ」に投稿された、続きもの・連載記事を集めているブログです。

シベリアン・ハスキー

2010-11-24 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                      情報プラットフォーム、No.219、12(2005)
{シベリアン・ハスキー}

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ご感想、ご意見、耳寄りな情報をお聞かせ下さい。

鈴木朝夫  s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

 高知県香美郡土佐山田町植718   Tel 0887-52-5154

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次 

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  夏の終わり頃から我が家に犬が居る。名前は「はな」。彼はポールに繋がれて、日陰で昼寝ばかりしている。来た人にもほとんど吠えない。体重は30キロを超えて堂々としており、人間に換算すれば傘寿(80才)を超える13才の高齢犬である。

でも極めて元気である。起床の気配を感じ取ると、帰宅する車の音を聞き分けると、散歩や食事の催促の遠吠えをする。朝、そして夕方の1時間ほどの一日2回の散歩が私たちの日課になっている。


  戦前・戦後の混乱期に大勢の子供を育てた母は「生き物は子供だけで沢山、犬や猫を飼うなどもってのほか」が口癖だった。だから、子供の時から犬や猫に触れる機会は全くなかった。本物の犬はとても恐ろしい存在だった。

 夏に差し掛かる頃から、家内は仕事を終えて、「はな」を散歩させるために、実家に行くことが多くなっていた。歳を重ねてきた彼女の父母にとって、一日二度のこの犬の散歩が難儀に成りつつあったのである。

私の「はな」との付合いの始まりである。リードの端を怖々と持っていた。始めの頃、右や左への方向転換や急停止・急発進など、予期しない彼の動作に対処できなかった。

私の「待て」、「よし」、「お座り」、「後ろ」などの命令に従うように、家内が仕向けてくれた。やがて、「はな」を我が家に連れてくることになった。私が犬に慣れてきたこと、「はな」が懐(なつ)いてくれたことが理由である。


  暑い夏のさなか、「はな」の家作りが始まった。「はな」の家は、玄関口を横から見通せるような、ダイニング・ルームの様子が感じ取れるような敷地の奥まったところに決まった。

当初の心配ごと、環境の変化に馴染むだろうか、ご近所に迷惑を掛けないだろうか、訪問者を驚かすことはないだろうか、お互いの生活が近すぎないだろうかなどは結果として思い過ごしであった。

問題はこちら側かも知れない。「『はな』はどうしてる」と気に掛かる。「狛犬さん『あ』のポーズ」、「いま、スフィンクスだよ」、「もう、涅槃に入っている」などが「はな」の様子を報告するときの定型文になっている。でも、部屋から直接に食べ物は与えないと決めている。実直にけじめを知っている彼を尊重するためである。


  短い秋を過ぎてもう冬になった今、朝晩ともに懐中電灯を持ち、リフレクターを付けての散歩になっている。冬場になって、そりを引くための作業犬らしさが際だって来るようだ。

スタコラサッサ、ホイサッサのような快速歩行が得意である。「待ってよ、『はなくん』。地球の匂い探査はしなくていいの。データの足りない部分ができるよ」と問いかける。でも一旦、クン、クンと探査が始まれば「おれは地球表面の全てを調べ尽くすのだ」と云わんばかりに頑として動かなくなる。


  十数年前の少女漫画「動物のお医者さん」がハスキー犬を有名にしたことを始めて知った。また、「はなくん」の性格はハスキー犬の特徴そのものであることも知った。

そして、そのブームのさなかに、当時高校生だった明日香のところに「はな」は貰われてきたのである。昨年、彼女は結婚して、祖父母の家を離れているが、休日には夫婦で散歩の手伝いに来てくれている。来年は戌年である。「はな」はとても可愛い。


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・土佐の宇宙酒

2010-11-24 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                   情報プラットフォーム、No.218、11(2005)
{土佐の宇宙酒}

                     画像出典:土佐の宇宙酒


 「きのこの菌糸」や「ヨーグルト菌」やその他の微生物を、日本酒の「酵母菌」と一緒に宇宙に持って行く計画だった。それぞれの菌類を小指の先ほどのカプセル容器に入れる。約40個程のカプセルを箱に並べ、これを宇宙に運ぶ予定だった。

この箱には勝手に「ノアの方舟」と名付けていた。いずれも土佐にゆかりのある微生物たちを選んだつもりである。楽しい夢を運んでくれる生き物たちを、高知の企業をさらに元気にする生き物たちを選んだつもりである。


 もう25年も前のことになる。「宇宙空間で、無重力下で、役に立つ材料を作れ」と言われると、アイデアがまったく出てこないを知った。「役に立たないこと、楽しいことを探そう」と視点を変えれば、つぎつぎに出てくるものである。

当時、思い付くままに書きためておいたが、その後これが、ここ高知で役に立つとは思っても見なかった。「ノアの方舟」の構想もその一つである。


 1992年9月に毛利衛さんの搭乗するエンデバー号で、日本初のスペースシャトルによる微少重力実験「ふわっと'92」が行われた。無理に智恵を絞って提案した「高剛性超低密度・炭素繊維強化アルミニウム複合材料の製造研究」もこの時に行われた無重力実験の一つであった。

この経験は貴重である。NASA側が提示した条件で、研究の達成目標を設定して、地上実験などで準備を進めるに従って、条件が次第に厳しい方へ動いていくのである。安全基準を満たしていない、安全確認がとれていないなどがその主たる理由である。それならば「最初から言ってくれれば良かったのに」と言った感覚である。

国際的な、大きなプロジェクトでは普通のことである。最初に想定したサンプル容量は単2乾電池のサイズであったが、実際には単5乾電池の半分のサイズにまで小さくなってしまった。安全のために、三重構造のカプセルに入れる必要があったからである。


 今回も「やはり」と思うような良く似た状況になった。6種類の高知の酵母菌と数十粒の高知産の酒米だけに限定し、それ以外は割愛せざるを得なかった。安全が確認された容器を使うことが早道であることが分かり、箱の容量が小さくなったのである。

次回に期待しよう。その時は、さらに範囲を花の種などにも拡げてはと思っている。第2次の「ノアの方舟」に相応しい乗組員たちを紹介して欲しい。


 国際宇宙ステーションに10日間滞在していた酵母菌は、ロシアの宇宙船ソユーズで2005年10月11日に地球に帰ってきた。この「宇宙を見てきた酵母菌」での新酒は、来年の大河ドラマ「功名が辻」の放映に合わせて、高知の各酒造会社から「土佐宇宙酒 ○
○○」のラベルで発売される予定である。

日本酒の需要が低迷している時、県内の酒造会社が一丸となって、この宇宙酒を切掛けにして、淡麗・辛口の土佐の日本酒の良さを日本中、世界中に伝えたいと考えたのである。


  このプロジェクトの発端となった「高知県宇宙利用推進研究会(てんくろうの会)は、まだまだ沢山の夢を持ち合わせている。そして、さらに楽しい夢を募集中である。

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鈴木朝夫  s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・安全・安心・清潔な万博会場

2010-11-24 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                   情報プラットフォーム、No.217、10(2005)
{安全・安心・清潔な万博会場}

  愛知万博長久手会場北ゲート

画像出典:2005年日本国際博覧会


 会場の入り口では持ち物の中身を検めることから始まる。「ペットボトル」を持っていませんかと聞かれる。安全と秩序維持のためとの名目での持ち込み禁止物として、お弁当や飲み物が話題になった。その検問作業や整理誘導の担当者の多いことにまず驚かされる。


 交番に相当する警備ボックスは各ゾーンや各コモンに配置されており、診療所・応急手当所、ケアセンター・ベビーセンターなどの安心の拠点も適正にちりばめられている。

障害者用・高齢者用のハートフルカーが決まったルートを走り、時にはサイレンを鳴らして走ってくる。この他に気を付けたわけではないが、おそらく監視カメラや各種警報装置や安全装置が配備されているはずだ。AED(自動体外式除細動器)は随所に設置してある。これだけ空間的、時間的な密度の濃さで備えがあれば、どこでも安全・安心の町になることができる。それには沢山の人材と資金が要ることがわかった。


 案内マルチスタッフや会場アテンダントと呼ばれるサービス係が常に会場内を巡回している。とても親切であり、丁寧であり、居心地が良い。各パビリオンの担当者や誘導係などのホスピタリティは行き届いている。

昼食はドイツ館のレストランに並んだ。ドイツ語での誘導は見事である。割り込みを絶対に許さないといったドイツらしさを発揮していた。各パビリオンでも、列を作る秩序がきちんと守られている。誘導がしっかりしているのである。いらいらせずに安心できる会場にするためには毅然立つ態度が必要である。

 人気の高いパビリオンでの長い行列は致し方ない。しかし、ここで一言。女性にとってのトイレの行列は気の毒である。男女共同参画社会とは、トイレの面積や便器の数を同じにすることではない。待ち時間が同じでなければならない。これが唯一気になった点である。


 ゴミ箱ステーションが各所にあるが、必ず係員が付きっきりで、残飯類、お箸、容器、包装、ペットボトル等と分別を丁寧に指示してくれる。そしてゴミ箱から溢れ出ることなく、満杯になる前に収集している。清潔に保ち、リサイクルを効果的に行うためには、多くの人手が必要になることを示している。ゴミ分別を人海戦術に頼ることが、本当に環境に負荷を与えないことなのかと疑問に思えた。

  名古屋に住む妹夫婦と会場で合流すると、10時からのトヨタ館の整理券を取ってくれていた。ここは無理と思っていただけに、感謝感激である。携帯電話がなければ会場内で効率的に出会えることは出来なかっただろう。トヨタ館を見ての感想は「整理券を取るための順番待ちのロボットが欲しい」である。皆が持ったらどうなるのだろうか。


 それにしても、安全で、親切で、居心地よく、そして清潔に保つことはともかく投資が必要である。そして、質の高い人材の選択と相当に念入りなトレーニングが行われたに違いない。愛知県は人手不足と聞く。

景気回復の先兵的な地域であること、万博に人を取られていることなどが原因と聞いている。万博の要員の年齢構成は、若者から年配者まで幅広いと思われる。接客で良く訓練された人材を待ち望む企業も多いのだろう。

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鈴木朝夫  s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・パビリオンの見学

2010-11-24 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                   情報プラットフォーム、No.216、9(2005)
{パビリオンの見学}

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愛・地球博長久手会場内

画像出典:2005年日本国際博覧会


  愛・地球博の見学旅行から帰ってくると、鉄鋼関連の学会からの月刊誌が届いていた。トップ記事は「愛知万博における環境配慮と鉄骨建築」である。展示物・展示品を見るために、パビリオンに入るために、列を作って順番を待つものと思いこんでいた。

建築物・構造物・パビリオンだけを外から観察することも見学の一つの方法だったことを知らされたのである。後悔することしきりである。思い出しながら、この記事の内容を紹介したい。


  長久手会場の主要エリアを結ぶためのグローバル・ループは、幅20m程、全長2.6kmの板張りの環状の歩道であり、バッテリー駆動のグローバル・トラムや自転車タクシーも走るメイン・ストリートでもある。

この空中回廊は起伏に富んだ地形を痛めつけることなく各エリアを繋ぐために考え出された。回廊を支える橋脚は、複数の鋼管が地上の一点(支点)から扇状に広がった構造をしており、その基礎となる支点は、ねじ様の鋼管杭を地下に回転貫入させたものである。この工法では、この基礎鋼管杭を逆回転によって、地中に残存させることなく、また地上に大きな傷跡を残すことなく、撤去できることになる。


  トヨタグループ館やガスパビリオンでは、解体時に障害となるような鋼材の溶接接合や鋼材のリユースの価値を下げるようなボルト孔を使っての締結結合(ボルトとネジによる締め付け法)を使わずに、鋼板あて板、ボルト、ネジを使った摩擦締結法を採用してリユース性を増している。三井・東芝館は単管の足場用の仮設資材を使い、建物を覆うルーバーとして、外装の美しさを追求している。

 西ゲートを入ると直ぐに、竹籠を被せたようなパビリオンが目に付く。長久手日本館である。竹ケージの下にはホーロー鋼板に光触媒(TiO2)をコーティングした屋根材が使われ、これに散水して蒸発潜熱による温度低下を図っている。

光触媒外装材は超親水性(水に対する良好な濡れ性)を持っており、散水により屋根表面に薄い水膜が形成される。少量の水で効率よく打ち水効果が得られるのが特徴である。


  各国の展示空間は地域ごとに6つのグローバル・コモンに集約されている。これらのパビリオンはモジュール単位で構成されている。1モジュールは18m×18m× 9mであり、積み木のように接続できる構造である。組み立て、解体、リユースを容易にするためである。これを基準にして、各国は内外装を個性豊かに仕上げているのである。

  水の蒸発に伴う気化熱で温度を下げようとする試みは「愛・地球博」の至る処で目に付く。ワンダーサーカス電力館の順番待ちの広場では天井からの微細な水滴のスプレーで温度を下げているし、三井・東芝館のルーバーには水が伝い流れる仕掛けがあり、熱交換機の役割を果たしている。

ギネスに載った最大の万華鏡の名古屋市パビリオン「大地の塔」では四つの外壁面を水が膜のように静かに流れている。世界最大級の緑化壁(バイオラング)も植物の蒸散機能を使って温度を下げる試みの一つである。バイオラングとは生物(Bio)と肺(Lung)を組み合わせた造語である。

 
  前もって調べていれば、受け売りでなく説明できたのに。パビリオンの前の説明板、案内板を読んでいたら、そのつもりで見てきたのにと悔やまれる。
 参考資料:「ふぇらむ」(日本鉄鋼協会会報)、Vol.10、No.7(2005)pp.576~580.

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次 

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・サツキとメイの家

2010-11-24 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                    情報プラットフォーム、No.215、8(2005)
{サツキとメイの家}

 

画像出典:サツキとメイの家


 会場では、人気のないパビリオンを選び、列に並ばないでも済むような簡単な食事にし、疲れたら日陰で寝転び、愛・地球博と名前を付けた万博の雰囲気を感じて帰ればそれで良いと思って出発した。しかし、後悔が山ほど残る見学旅行だった。

 不思議なことに、800人/日、24,000人/月しか入場できない「サツキとメイの家」の予約券が当たった。確率4%ほどと聞かされた。「見る楽しみ、感じる楽しみ、昭和の暮らしをのぞいてみよう!」とあり、「となりのトトロ」の主人公、サツキとメイが住む家が見事に再現されている。私が大学を卒業した年が昭和30年である。


 父親の転勤が多かった子供時代であるが、どこの地域に行ってもこのような家に住んだ。上がり湯のある鉄鍋のような風呂場、土間に”流し”や”かまど”のある台所、茶箪笥やちゃぶ台のある4畳半の茶の間、景色が歪んで見える凹凸の多いガラス戸、ダイアルが選局・音量・再生の3つだけのラジオ、家具や調度品も生活用品も当時のままであり、自由に開けて触ってみて下さいと案内がある。

それらの引出しや棚や押し入れを開ければ、懐かしさが溢れ出てくるようである。朝夕に長い廊下の雨戸を繰ること、手押しポンプで水をくみあげること、薪で風呂を沸かすことなどが私の日課だった。


 ここで、ラジオの「再生」ダイヤルの説明しなければならないだろう。選局をした後に更に感度を最高にするためのダイアルであり、敏感にすればたちまち「ピー」と発振してしまう代物である。冷蔵庫、洗濯機、掃除機、テレビ、電子レンジ(オーブン)は勿論ない。エアコンではなく、扇風機である。夏の夜は、廊下のガラス戸を開け放ち、風通しを良くし、庭に打ち水をして涼んだものである。

しかし、「このような省エネ型の家に住みたいですか」と聞かれれば返答に困る。トトロが出入りするような、自然環境に恵まれたこの時代の、郷愁を誘うこの家の素晴らしさは充分に理解できるが、だからこそナメクジが、ごきぶりが、ネズミが出て来るに違いないと思うと素直に答えることが出来ない。


  ところで、「となりのトトロ」の内容をはっきりと覚えていない。帰ってから、DVDを早速に借りてきた。見過ごしていた展示物の意味が甦ってくる。壁ぎわに置いてあった自転車は、サツキとメイとお父さんの三人乗りで、急を告げに行くカンタの三角乗りで使われる。手押しポンプは川から汲んだ水を呼び水にしてサツキが動かしている。押し入れの蚊帳も小道具の一つだった。庭を走っていくトトロを蚊帳の中のメイが廊下越しに見るシーンがある。お父さんもサツキもそれを信じるのが面白い。


  帰ってからのDVDの鑑賞は、エアコンの効いた部屋でのプラズマテレビである。インターネット検索で「となりのトトロ」や「サツキとメイの家」の情報は直ちに手に入れることが出来る。今はこんな便利な世の中である。昭和30年代に住むことはもはや出来なくなっている。となりにトトロが住むような場所はなくなっている。

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・水に溶けるとは?

2010-11-24 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                  情報プラットフォーム、No.214、7(2005)
{水に溶けるとは?}

画像出典:室戸海洋深層水株式会社《深層水とは》


 室戸海洋深層水に関わる商品が次第に多くなってきている。地場産センターの展示室にはある程度は集められているが、関係部局に問い合わせてみると、品目数は約50種、商品数は約400種、アイテム数は約800になっているとのことである。

多くの方々の様々な工夫が結晶となり、商品が出来上がってきたのである。海水に含まれる物質の何を、どの様に使うかのアイデアで品目数は今後も増えていくと思われる。まことに喜ばしいことである。これらの商品は、本体の水(H2O)を主として利用する場合と、もっぱら水に溶けている物質や、懸濁している微細物質を利用する場合の二つに分けられるだろう。


 物質が液体に溶けるとはどの様なことだろう。衣服のシミや汚れはベンジンやアルコールで拭くと綺麗に落ちる。汚れの原因物質をこれらの有機溶剤(液体)が溶かし込むことで綺麗になるのである。水はそれ以上に多くの物質を、しかも大量に溶かし込むことができる、ふところの大きな物質なのである。

洗濯や拭き掃除には水のこの特性を有効に生かしていることになる。ところで、海水1リットル中に溶け込んでいる物質(成分)の総量は32~38グラムである。溶け込んでいる形態は、陽イオン状態{ナトリウム(Na+)、マグネシウム(Mg++)、カルシウム(Ca++)、カリウム(K+)、ストロンチウム(Sr++)など}と、陰イオン状態{塩素(Cl-)、硫酸イオン(SO4 -- )、炭酸水素イオン(HCO3-)、臭素イオン(Br-)、炭酸イオン(CO3--)など}である。

その他にイオン状態ではなく、分子状態(例えばO2やSiO2)で溶解している物質もあるし、懸濁物質(微粒子)もある。海水には自然に存在するすべての元素が溶存、あるいは含まれていると云っても過言ではない。


 物質の溶解量は温度、圧力に大きく依存する。一般に低温度になるほど溶解量は減少し、固体(結晶)として溶媒(液体)から排出される。溶解に対して、これを析出(晶出)と呼ぶ。

また、溶媒(液体)が周囲と化学反応系を構成するような場合には更に複雑になっていく。大気(降水・風)、大地(陸地、河川・湖沼)、海洋(海洋底・海流)の間で水の循環だけではなく、あらゆる物質の循環がダイナミックに起こっている。なお、これらの物質循環には多種類の生命の営みが関わっている。

しかし、海水の成分の総量と存在比率は世界中の海でほぼ一定である。このことは海の水は地球規模でよく攪拌されていること、物質の溶け込み(溶解)や吐き出し(析出、晶出、沈殿)による海水の成分変動は極めてゆっくりであることを示している。海水は北大西洋で沈み込み、地球を1000年以上をかけて回り、北太平洋に湧き上がっている。


 半導体集積回路の製造では、工程ごとの洗浄が必要になってくる。ここに使われるのが超純水である。ここでは、あらゆる物質を溶かし込むことができる水の能力が存分に生かされているのである。水に物質が溶けて、物質を輸送できる能力が存分に生かされているのは生命体であり、生命は海の中で発生したと考えられている。地球は、水の惑星は、生命の惑星なのである。

 

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・杉の大杉

2010-11-24 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                 情報プラットフォーム、No.213、6(2005)
{杉の大杉}

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 小2の大石樹(たつき)くんは、毎年、夏休みに飛行機で高知にやって来る。昨年は、500系のぞみ、振り子列車の南風と乗り継いで来た。乗り物図鑑を卒業して、今は時刻表に熱中している。樹くんと娘の葉子が乗っている特急南風に、仕事のあと丸亀から合流した。指定席は先頭車両で運転席の後方右側である。「岡山から運転手は三人も交代しているのに、おれはズーット運転のしっぱなしの気分だ。くたびれたぜ」と言いながら大満足。


 東京へ帰った樹くんから電話があった。「じじ、『四国へGO! サンライズエクスプレス』を読んで!!。おれ、図書室で借りて読んだけど、面白いぜ。来年はおれ一人で高知に行くからね」「空のちびっ子一人旅?」「違うよ。読んで!」と会話が弾んだ。


 小4の大杉翔(しょう)くんと大杉翼(つばさ)くんの友情と冒険の物語である。新築マンションに偶然にも、同じ名字の大杉さんの一家が引越してきた。二人は、この時からの、3才の時からの仲良しである。春休みに、突然、翼の一家はお祖父ちゃんの農業を継ぐために、高知県の須崎の多ノ郷(おおのごう)に行ってしまった。翔は次第に疎遠になることに焦りを感じていた。そして、土讃線に大杉駅があることを知る。

サンライズエクスプレスのノビノビ座席ならば、安く行けることを調べ出す。翔は、東京-坂出-琴平-阿波池田-大杉、翼は、多ノ郷-高知-大杉と乗り継ぐ計画。ハプニングや決断や親切があるが、結局、大杉駅でお弁当を一緒に食べることが出来る。「日本一  杉の大杉、幹の周囲が20m、高さが60m、樹齢は3000年」と説明のある2本の大杉を見て、自分たちの名字の由来を想像する。


 窓の両側に広がる田んぼや子供たちが泳いでいる大きな川に吃驚する翔。白い塀に囲まれた古くて大きな家、黒い瓦屋根、黒ずんだ木目の板の壁、庭に面した長い縁側をぽかんと眺める翔。「こんな古い家、いやだよな」と翼。「はよう、寝や」に、「わかっちゅう」と翔の知らない言葉で答える翼。こんな田舎を知られたくないと思っていた翼、東京から来てすべてに新鮮さ感じる翔である。翼も改めて高知の良さに自信を持てるようになる。


  「読んだ。面白いね!」という私の電話に「おれ、この本を図書室で発見したときは、本当にびっくりしたぜ。夏休みには一人で高知に行くよ。まだ大杉を見てないし!」「その大杉駅は去年のお正月に全焼してね。今は新しくなっているんだって。2本並んでいる大杉のように、3角屋根2つの駅舎になってるらしいよ。大杉中学校の子供たちも参加して、再建したみたい」「おれ、見に行くよ!」と樹くんの元気な声が戻ってきた。 
 参考:『四国へGO! ・・・』、高森千穂作、古味正康絵、国土社、初版(2003,11)

 

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・お蚕さん

2010-11-24 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                  情報プラットフォーム、No.212、5(2005)
{お蚕さん}

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                               なはり町並み散策・・・藤村製絲株式会社 に関する記事


 先日の新聞に「藤村製糸が操業休止 国内最大 奈半利町」の見出しで、国内最大の生産量を誇る、県内唯一の製糸会社が生糸の生産から撤退し、88年間に及ぶ歴史を閉じるとの報道があった。

養蚕農家の高齢化などで全国的に国産繭の供給が不足となり、中国産に太刀打ちできなくなったことが理由である。養蚕業や製糸業は、長野や群馬だけではなく高知にもあったのである。1950年代までは片倉工業や郡是製糸(現グンゼ)の高知工場があり、生糸の生産を行っていたのである。


 ボストンでの国際会議の合間にフリーダム・トレールを散策した。歩道上に引いてある赤い線を伝わって行けば主要な歴史的スポットを見て回れるようになっている。アメリカの独立運動に関わって市民たちが議論を戦わせた会議場(教会)もその一つである。歴史的な事物を陳列した資料館になっている。

ガラスケースの中に古びた厚手の書物が、ページを開いて陳列してあった。そのページには「第○章 米日間の貿易摩擦(TRADE FRICTION)」とある。今の貿易摩擦のことかと目を疑った。20年ほど前の1980年代、日米間の貿易摩擦が激しくなった頃のことである。鉄鋼に始まりテレビや乗用車、そして半導体メモリーを輸出し、アメリカの対日貿易赤字が膨れあがっていた時代である。プラザ合意の直前である。


 目をこらして読めば、「豪雨のような日本の貿易攻勢を防がなければ大変だ。日本製の生糸と茶の関税を高くする必要がある」との主張である。今から70年ほども前の1920年代から1930年代の話だったのである。昔、日本に痛い目にあったことを思い出させるために、そのアピールのためにそこのページを開いてあるのだと思えた。


 私の子ども時代は戦前・戦後である。父親の転勤で北海道から九州までの日本の各地を転々とした。当時は、桑畑や桑の木は何処にでもあった。北海道でも養蚕が行われていた証拠が残っている。札幌市中央区桑園という地名である。明治8年に荘内藩の入植者たちが養蚕を始めたそうである。稲作と同じように、養蚕は日本中に広がっていた。そして、それぞれの地域の稲作の方法や養蚕の仕方を比較することが出来た。

戦前は泊まり込みの勤労奉仕で、農作業や田畑改良作業、養蚕業の手伝いをした。多数のお蚕さんが桑の葉を食べるざわざわとした音で寝付けなかったことも思い出す。天から授かった虫だから蚕には、「お」と「さん」を付けるのだと教えられた。ボストンの資料館で見た記事は体感として納得できるものであった。明治以降の日本の発展を支え、戦後の一時期にも日本を支えた産業の一つであった。


  藤村製糸の生糸からの撤退は、中国からシルクロードを伝わって西に運ばれた蚕や繭や生糸や絹が地球を一周して再び中国に戻っていったことの象徴に思える。

 

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鈴木朝夫  s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・キューバを見たい

2010-11-24 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                 情報プラットフォーム、No.211、4(2005)
{キューバを見たい}

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                    画像出典:キューバ共和国


 1959年にカストロ政権樹立、1962年にキュ-バ危機(ケネディとフルシチョフのかけひき)、1989年にソ連邦崩壊(ベルリンの壁の取壊し)と続いている。この年譜を念頭にキューバの状況を考えよう。

     
  キューバ革命以後に「緑の革命」と呼ばれるキューバモデルを達成した。それは農薬と化学肥料を大量に使用する大規模農業を確立した。それは、サトウキビ、コーヒー、柑橘類などの換金作物で外貨を稼ぐモノカルチャー農業である。広大な農地と大型トラクターに象徴される世界最先端を行く近代農業国となったのである。ここに突然の大異変が起こった。ソビエト連邦の崩壊である。


  ソ連圏との貿易の80%喪失、石油輸入量の半減、原発建設の中止、食糧自給率40%に過ぎない中で輸入食料は半減、化学肥料は80%減。輸送システムは麻痺、深刻な食料不足、栄養不良で失明者が5万人に達した。


  キューバ首脳部は有機農業に転換させることを決意。10年間の苦闘の末、無農薬、無化学肥料で農業を行い、農業生産性を130%にアップさせた。成功の柱は伝統農法の復活とバイオ技術の開発推進の適正な組み合わせであった。


  フィデル・カストロの講演「帝国主義のグローバリゼーション」の内容を簡単に紹介する。「今、我々が直面しているグローバリゼーションとは何か? それは持続可能なものだろうか? 違う。それは長期にわたって持ちこたえられるものだろうか? 絶対にそうではない。それならば、誰が新しい世界を建設していくのだろうか? それは地球に住む男と女である。

では、彼らの武器は何だろうか? アイデアと意識の高さだ。では、種を蒔き、それを耕し、そしてそれを揺るぎないものに築き上げるのは誰か? あなたの意志だ。それはユートピアなのだろうか? いや、違う。なぜなら、それは必然的なものだし、それに変えるものがないからだ」と。この演説は確信を持った力強さに充ち満ちている。地球が有限であることを知っている。商業主義的消費を止めようと宣言しているのである。 

私がこのような内容のお話を聞いたのはつい先日のことである。講演後、私は「フィデル・カストロがやむを得ず社会構造を変えて、国民に耐乏生活を求めなければならなくなったときに、独裁的なカストロ政権下では、汚職・不正・隠蔽などの不祥事は発生しなかったのですか」と質問をした。

答えは「カストロは清廉潔白の人であることを国民はよく知っているのです。どこかの将軍さまの国と異なり、肖像を掲げることを禁止していました。彼自身が機会あるごとに国民の中に出て行くのです」だった。


 将来の人類社会の在り方、地球を愛しむ生き方を示唆しているように思える。地球を長持ちさせる方法も知っている。キューバ・サルサ(ソン)を踊りながら人生を楽しむ方法も知っているようである。一度、キューバへ行って、自分の目で確認したいと思っている。

 

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鈴木朝夫  s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

 高知県香美郡土佐山田町植718   Tel 0887-52-5154


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・ラスト・サムライ

2010-11-24 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

 「ぷらっとウオーク」                    情報プラットフォーム、No.210、3(2005)
{ラスト・サムライ}

ラスト サムライ [DVD] 

 出典: ラスト・サムライ


 ラスト・サムライを見ましたか。「トム・クルーズが扮するオルグレン大尉は南北戦争の英雄であるが、原住民討伐の戦いに失望して、酒浸りになっていた。近代化を目指す明治政府に招かれて日本にやってくる。

明治維新の理想と異なるとして、政府の考え方に反対した反乱軍との戦いで負傷し、捕虜となる。ここで渡辺謙が扮する勝元盛次と出会う。誇りを失っていた彼は、信念を貫く武士たちの静かで、力強い精神に心を動かされ、武士道の精神を吸収していく。そして皆が美しく滅びて行く」があらすじである。


 ダンス・ウイズ・ウルブスを見ましたか。話の筋立てはラスト・サムライと重なってしまう。「南北戦争の最中、ケビン・コスナーが扮するダンバー中尉はアル中の上官の命令で、既に見捨てらている辺境の無人の砦へ赴任する。文明とはほど遠い草原の中での生活が始まる。そばに居るのは愛馬シスコだけである。

やがて野生の狼とダンスを踊るまでになり、コマンチ族とは対立から交流へと進み、「ダンス・ウイズ・ウルブス(狼と踊る男)」の通称で呼ばれるようになる。そしてコマンチ族に育てられた白人女性と恋に落ちる。

プライドの高い、毅然としたインディアンの文明に接して、お互いに心を開いていくのである。そして彼らの仲間としてなくてはならない存在となる。やがて、彼の所属していた過去と対決することになる」があらすじである。話の始まりはいずれも南北戦争である。


  最近、本屋で「武士道」に関する本を見かけることが多い。タイトルは「いま、なぜ『武士道』か」「いま、新渡戸稲造の『武士道』を読む」などである。読んだ方も多いのではないだろうか。明治維新から急速度で近代化を進めるときに、クリスチャンである新渡戸稲造は危機感を持って伝統的精神である「武士道」を100年前、世界に紹介したのである。


 新渡戸が心配したように、日本人は尊皇攘夷で始まった明治維新の文明開化の中で、本来の武士道を忘れ、富国強兵を進め、いくつかの戦争を繰り返し、最後は敗戦を迎える。戦後の民主化の波の中で、軍国主義に利用されたことを理由に、武士道精神までも完全に忘れようと努めた。

そして、攘夷を目的としたように経済発展を賛美し、アメリカに追いついた、追い越したと勘違いをしたとたんに、バブルが崩壊したのである。この経済成長の中で日本人の心も荒んでしまった。


 ラスト・サムライが契機となって、いま欠けてしまっている「武士道精神」や「葉隠の心」を日本人に思い起こさせた。武士道精神は、ノブレス・オブリージュ(高貴なものの義務、上に立つ者の義務)を掲げる騎士道と同じであり、プロテスタントの信条とも通じる。

勝元盛次のモデルは間違いなく西郷隆盛であろう。西郷隆盛の言葉を一つ紹介する。「維新の立役者たち、戦争までして政権を取った連中は、実に豪華な生活をしている。これでは戦争で亡くなった同志に申し訳ない」


 なお、アメリカの南北戦争は1861年~1865年であり、明治維新は1868年、西南戦争は1877年である。ポツダム宣言受諾(敗戦)は1945年、バブル崩壊は1990年である。

 

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・土佐語

2010-11-24 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

 「ぷらっとウオーク」                    情報プラットフォーム、No.209、2(2005)
{土佐語}


  高知に来て8年になろうとしている。手帳には土佐語の字引が出来ている。仕事の上で、日常会話で、宴席で、聞いたことのない表現や面白い語り口に出会うと「今、なんと言いました。意味は」と質問し、記録しているのである。

走り書きのために自分でも読めなくなることもあるし、手帳は更新されるので去年のメモが手元に残らない。だから、忘れていることもあるし、二回も尋ねることにもなる。さらに、大学受験のときに勉強した「徒然草」や「枕草子」を思い出せば納得できる表現も多く、その分質問が多くなる。


  確認しようと、私の手帳の字引をもとにして別な人に尋ねると面白いことが起こる。高知の人は「知らない」と言いたくないように思える。「それは幡多の方だ」とか、「嶺北の方言だ」といった具合である。高知の人が二人の時、「そうは言わない」などと論争が始まる。例えば、「てんごのかー」と「てんごのかわ」などである。「てごのか」もあるようだ。(注:お節介、余計な手出し)


  そんなとき、ある方が「高知県方言辞典、編著:土居重俊、浜田数義、(財)高知市文化振興事業団 発行、(1985)」をプレゼントして下さった。あまりに質問が多いので自分で調べなさいとのメッセージだったのかもしれない。また、「土佐弁かるた」がありますと教えてくれた人がいる。これには「しょう懐かしいちゃ、土佐弁が聴けて・・・」と副題が付き、CDも付いている。お正月にNHKのニュースでこの「かるた」のことが取りあげられた。初めて耳にする若者も多いとの趣旨である。


 多数の高知出身者にこの「かるた」の意味を聞いて歩いた。当然のことかもしれないが、年配層か若年層かで差が出るのではなく、祖父母と一緒に暮らした期間が長いほど、記憶に残っているようである。「日常的に使いますか」と聞けば年齢差が出るであろう。

 私は父親の転勤で北海道から九州までの各地に住んだ。転校は小学校だけでも7回に及ぶ。四国には来たことがなかった。転校して半年もすれば流暢にその土地の言葉が話せるようになった。また転校(を)すれば全てがご破算である。このような体験から、地方の言葉は極めて豊かな表現力を持ち、それに相応しい感情表現ができることを知った。その地域の生活・習慣・人情・文化に根ざしているのである。共通語ではできないことである。


 和歌山県の南部に出張したことがある。土佐の言葉とよく似ているので吃驚した。黒潮に乗っての往来があったと聞かされた。松本清張の「砂の器」では、東北なまりが犯人の手がかりであるが、出雲地方の方言が東北地方に似ていることがトリックになっていた。日本海側の親潮での貿易・交流・定着があったのである。


  表題を「土佐語」としたのは意味がある。若い職員に土地の言葉を覚えてもらって、患者さんに土地の言葉で接している病院が宮城県気仙沼市にあると聞いた。ここでは気仙沼弁ではなく、「気仙沼語」と呼ぶことにしているとの話だった。「土佐語」と云うべきである。

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・右綴じ、左綴じ

2010-11-24 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                    情報プラットフォーム、No.207、12(2004)
{右綴じ、左綴じ} 


  各都道府県支援センター等の情報誌や各地の商工会等の各種団体の機関誌では、右綴じ(国語綴じ)と左綴じ(算数綴じ)の両スタイルが拮抗している。これらはバネ付きのプラスティック製下敷きに何冊も留めて回覧される。両者が混在しているので、閲覧するときには極めて煩雑である。

この機関誌「情報プラットフォーム」は現在は、右綴じ・縦書きになっている。縦書きは中国語(漢文)に基本があり、右から左に改行していく。見開きでは右が偶数ページ、左が +1の奇数ページになる。新聞、週刊誌、月刊誌、文庫本、新書本はこのスタイルが圧倒的に多い。縦書きが基本であり、左横書きの併用の方法である。


 これに対して学術誌・技術誌は左綴じであり、左からの横書きで、行は上から下へと進む。見開きでは左が偶数ページ、右が +1の奇数ページとなる。英語などの欧米系の言語の表記法にならったものであり、文章の中にそのまま欧米系の単語やシラブル、そしてアラビア数字を組み込むことが出来る便利さがある。

2002年3月までの「情報プラットフォーム」は左綴じ・横書きであった。「マンガは右綴じですか、左綴じですか。」の質問に即座に答えられる人は書籍に関する業界に関わる人である。日本語では右綴じであり、吹き出しの中は縦書きである。コマの置き方は、物語の時間経過として右上から左下に向かっている。英語では当然ながら左綴じである。

              
 トラック・バスの側面の社名などの表記法が気になる。日本では先頭からの横書きが普通である。従って、運転席側の右側面は右横書きとなる。座敷の欄間に掲げる書や昔の商店の看板(例えば、「こばた」のように)は右横書きであるが、1行1字の縦書きと考えることができる。しかし、英語や数字、またデザイン化された社名や商品名が入る場合はこのようにはならず、自動車の右側面でも左横書きになっている。


 旅客機では、先頭からの横書きにはなっていない。しかし、機内の雑誌の写真や空港ロビーで見るポスターを調べると、左横書き(先頭からの横書き)が見えるように機首が左に向いたアングルが圧倒的に多いことがわかる。日本だけの特徴ではないだろうか。日本人は動くものは、先頭からの横書きでないと生理的に受け入れ難いのかもしれない。欧米人では、中国人ではどのような思いがあるか興味がある。


  留学したいというイスラエルの研究者から学位論文が送られてきたことがある。ヘブライ語は右横書きである。学術論文では「・・・・Suzuki(1)によれば・・・」のような引用が出てくる。人名はアルファベットで表記しているので、右横書きのヘブライ語列中に左横書きが組み込まれた状態になっている。 

                     
  書店や図書館で本を探すとき背表紙が縦書きであることは誠に具合がよい。目線は上から下へである。洋書は困る。一瞥で理解できる言語でないこともあるが、首を右に傾けて背表紙を読むことになる。目的の書籍を探し出すのに時間がかかる。
  注:脱稿してから、 屋名池 誠著、「横書き登場-日本語表記の近代-」、岩波新書863,(2003,11)\777があることを知った。まだ読んでいない。

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  画像の出典: http://www.kurieisha.com/faq/faq5.shtml#5-1


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・垣内保夫さん

2010-11-21 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                    情報プラットフォーム、No.207、12(2004)
{垣内保夫さん}

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 垣内さんにお目にかかったのは3回です。ホリデーイン高知で開催された異業種交流の懇親会が最初、南国ご免の「喫茶ともだち」にご来店下さって二度目、大津の垣内邸での花見のときで三度目です。それぞれ2002年9月、2003年2月、そして2004年の4月のことでした。

  異業種交流会のパーティーは、私たちの結婚のお祝いを重ねて下さったものです。このとき、「おまんハチキンぢゃのう」「しょう呑めるのう」と言いながら何度も何度もお酌をして下さったのですが、ただの呑兵衛のおんちゃんにしか見えませんでした。

 その後、奥様も居られたと思いますが数人の方々とご一緒に2階にあるわたしのお店を訪ねて下さいました。「ここかよ。ここやったか」「おまんくは、よう見よらな分からん」と言いながら急な階段を上がって来て下さいました。ランチとコーヒーのご注文を頂きました。「たまらんろう。おまん、ようやりゆうのう」とわたしの環境の変わりように対して励ましのお言葉を頂きました。

そしてランチ代だけを頂戴しました。お連れの方が「コーヒー代が」と戻って見えました。急いで下に降りて、「間違っておろうよ」と言われる垣内さんに「サービスをさせて頂きます。サービス、サービス」と申し上げたことでした。

  花見のとき、わたしが「ちえ子ママの花」と名付けたクリスマスローズが家の庭に盛大に咲き誇っていました。それを小さな花束にしました。主人を迎えに大津の垣内邸に向かいました。坂下で待つつもりでしたのに、お集まりの皆さんに誘われ、花見の宴のお庭まで引き込まれてしまいました。

山田の家から持ってきたお花の由来をお話すると、垣内さんは「ありがとう」と花束を受けとりながら、優しい目でわたしを見てくれたのです。とても印象的でした。わたしの立場を理解して下さっている方、わたしの心強い味方と感じました。

「お店まで、またお出かけ下さい」「おまんくはしょう階段がきついきのう。めったによういかんわ」と、そして「このお庭にほんとにたぬきがおるがですか?」「おるおる。さっきまでおった」「飼ってるがか?」「その辺の山あにおらや。いつでも見に来いや」と楽しくも思い出深くお話をさせて頂きました。

  お会いしたのはたったの3回ですが、垣内さんのお人柄を知るに充分でした。わたしには「そうかよ。そうかよ」と聞いて下さる、そんな垣内さんでした。さようなら。
                           --------

  2004年9月15日、告別式から帰って、垣内保夫著「機械屋人生60年」をふたたび読んだ。1994年出版のこの本の中、「若者に物造りの喜びを」と副題を付けた「あとがき」には、これから出来る工科大への思いが一行だけ書いてある。創設に関わった身として、満足して頂けたのだろうかと考えてしまう。妻、一枝の思い出を記して、垣内保夫さんの追悼の辞に代える。

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・「トンデモ科学の大冒険」--書評

2010-11-21 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                   情報プラットフォーム、No.206、11(2004)
{「トンデモ科学の大冒険」--書評}


 「科学の本ができあがりましたのでお届けします。版元によるとサイエンス・エッセイとなっています」という書き出しで、秒読みで打ち上げたばかりの著書を送って下さったのは長谷川さんである。

「トンデモ科学の本を書くつもりであるが、航空宇宙エンジニアの肩書きでは実証済みの科学技術の羅列になってしまう可能性がある。これでは面白くない」「この本は科学書ではなく、紀行文と定義している。

宇宙の謎のロマンティックな世界を、読者と一緒に旅をする設定とし、難しい理論を排除。数式は一切カット」「グラスを傾けながらの読書は無限のロマンの世界へ誘ってくれる筈」とまえがきで執筆の心構えを述べている。

  小惑星の衝突で地球は滅びるのか? ウイルスは宇宙からやってきた? 地球を救う国際救助隊「サンダーバード」の創設がいまこそ必要? ロシヤの宇宙船は素晴らしくローテク! 宇宙へは巨大構造物「軌道エレベーター」で!  大学発の手作り超低予算の鯨衛星とは? などが多岐にわたる各章の内容だが、そのうちの一つを拾い読みをしても面白い。

最終章、第7章の「テレポーテーションが実現する!」は量子論の世界をめぐる運命論である。これはやはり難しい。ところで、随所にちりばめられている「☆知恵のスパイス」は活字のポイントを落としたコラムである。長い旅の道中、涼風の中の一休みである。

  あとがきの「旅の終わりに」では、宇宙開発で培われた技術や素材を日常生活に活用する”スピンアウト”は当然のことであるが、逆に地上の優れた技術を宇宙で利用する”スピンイン”の必要性を強調している。

日本在野の中小企業には優れたニッチハイテク(狭く掘り下げたマイナーなハイテク)が存在するとして、高知の3つの企業を事例として紹介している。

視認性に優れたグリーンレーザー・ポインターの高知豊中技研、粒子流動化風呂の兼松エンジニヤリング、水を一切使わないバイオトイレのエナジオである。「全国の都道府県を巡れば、この47倍のニッチハイテクが発見できるだろうと結んでいる」

  宇宙観光旅行が大富豪だけのものではなくなる兆しが見えてきた。民間開発によるスペースシップワンが、乗員3名分の重量を乗せて、9/29と一週間後の10/4の2回、滑走路から出発して100km超の高度まで達して、無事に帰還したとのニュースである。

諸条件を見事に満たして、1000万ドルの賞金を獲得したのである。誰でもの宇宙体験旅行は目前であり、時期を得た出版である。

 長谷川洋一著、「トンデモ科学の大冒険」、(株)文芸社、初版(2004,10,5)発行、\1,470

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・茸はこの木

2010-11-21 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                    情報プラットフォーム、No.205、10(2004)
{茸はこの木}


 キノコの俳句・川柳などを集めてみた。手もとにあるものをご紹介しよう。俳句での季題は当然で秋である。
 俳諧から。
     手の前に蝶の息つく茸哉(一茶)

 見つけたと伸ばす手の先に、先客がゆっくりと羽を動かしている状景である。どうしようかと少し躊躇するキノコ採りである。
     うつくしやあら美しや毒きのこ(一茶)

 ベニテングタケだろうか。このような毒々しいキノコを図鑑で見たことはある。カラー写真の世界である。
     椎茸のほだ木精根尽き果てり(若林直子、俳句歳時記)

 自分の身に置き換えているように思える。暗い林の中でうち捨てられているほだ木である。ほだ木の体積で椎茸の総生産量は決まる。もうキノコは生えないのである。
     舞茸や杉箸ふとき坊料理(桂 樟渓子、俳句歳時記)

 これはキノコを食べる時の一句である。精進料理であろうか。杉箸は太いのでだろうか、長いのだろうか。    

  
 狂歌から一句。
     秋の田のかりほの庵の歌かるた
            手もとににありてしれぬ茸狩(四方赤良、歌ごよみ秋) 
 有名な天智天皇作の和歌のもじりになっている。このようなものを狂歌と呼ぶ。百人一首のかるた会の様子である。札もキノコも、そこにあっても見つけるのは大変でる。

 川柳、バレ句から一句。
     初茸を食うと娘の声が錆び(俳風柳多留)
 裂けたところや切り口が空気に接して紫色に変色する初茸にかけてあり、意味深長である。川柳の中でも、エロっぽいものを破礼句と呼んでいる。松茸の句は山ほどある。

 ところで、表題には仕掛けがある。気が付くだろうか。言葉遊びの一つである回文になっている。「竹やぶ焼けた」、「僕は川久保」などが回文の例である。
  注)「森ときのこを愛する会」の会報、Fungus, No.10 (2001)への投稿文を追補した。

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