「ぷらっとウオーク」 情報プラットフォーム、No.251、8(2008)
{八重咲き}
八重咲きで思い出すのは「七重八重 花は咲けども山吹の 実の(箕)一つだに なきぞ悲しき」の和歌である。後拾遺和歌集(1086年)にあり、詠み人は醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王である。急な雨で箕を借りたいと立ち寄った農家で娘さんに黄金色(やまぶき色)八重の山吹を差し出される。その意味を理解できなかった太田道灌は、教養の無さを痛感し、一念発起するというエピソードである。
花を構成する各要素、萼片、花びら、雄しべ、雌しべは、組織的に見て葉と同じものであり、それらが花びらに変化しての八重咲きは不思議ではない。雄しべ、そして雌しべまでも花びらになった八重咲きでは、種子が形成されないので、「実の一つだに」ないのは当然である。増やすには、挿し木、接ぎ木、取り木のような栄養繁殖が必要となる。
バラと言えば一般的に八重咲きを思い浮かべるのは、雄しべや雌しべが見える平咲きよりも気高さを感じるからだろうか。カップ咲き、ロゼット咲き、クオーター咲き、ポンポン咲き、剣弁高芯咲き、丸弁抱え咲きなど、八重咲きの特徴を様々に細分化している。
兼好法師は八重の桜や梅が嫌いだったようである。徒然草の第139段(1330年頃)に「家にありたき木は、松、桜。松は五葉もよし。花は一重なるよし。八重桜は奈良の都にのみありけるを、この頃ぞ世に多くなり侍るなる。吉野の花、左近の桜、皆一重にてこそあれ。八重桜は異様のものなり。いとこちたくねじけたり。植ゑずともありなむ」と記している。
解説すれば「八重は、あくどくひねくれており、植える必要もない」となる。牧野富太郎は「人間は全く勝手なもので、自然の摂理をねじ曲げてでも改良を加えてきた。このため草花は立派で美しく、色彩も豊富になったが、花自身にとっては奇形や不具にされてしまったわけである」と述べている。人間は偶然の突然変異を手厚く、保護したのである。
アサガオほど多種多様な花や葉の変化形態が取り揃えられている園芸植物は珍しい。采(サイ)咲き、獅子咲き、孔雀咲き、牡丹咲き、車咲き、立田咲きなどの名前が付いていると知れば、写真集や図譜で調べたくなる。挿し木では増やせない一年草のアサガオ、種子が採れない突然変異のアサガオの系統の維持は巧妙な方法で行われている。
メンデルの法則に従って簡単に説明する。劣性遺伝子を持つ系統では、自家受粉で作った種子からは、正常個体が3,変異個体が1の割合で発生する。次の代では1の変異個体からの種子は採れないが、3の内の2の正常個体には劣性遺伝子が保存されている。1865年のメンデル以前に江戸時代の園芸の達人たちは経験的にこのことを熟知していたのである。
この時代の日本は世界に類を見ない園芸の豊かな社会を創っていた。武家、僧侶、商人、町民、農民まで、階級・性別を問わず広がっていた。様々な園芸書・本草書・図譜が出版されている。
幕末の日本に滞在した園芸植物家のロバート・フォーチュンは「日本人の著しい特色は、庶民までもみな生来の花好きなことである。好きな植物を少し育てて、無上の楽しみにしている。もし、花を愛することが人間の文化生活の高さを示すものならば、日本の庶民は、イギリスの同じクラスの人達に較べてずっと優雅である」と感想を記している。
この時代に皆で花色・花形を愛でたのは、キク、ハナショウブ、シャクヤク、サクラソウ、ナデシコ、ボタン、ツツジ、ツバキ、カエデなど、変わり葉では、オモト、フウラン、セッコク、アオイなどである。数百年前の日本の粋なガーデニングを想像して欲しい。
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