極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

沸騰大変動時代(五十二)

2024年06月05日 | リスクインパクトマネイジメント概論
彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救っ
たと伝えられる招き猫と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦
国時代の軍団編成の一種、あらゆる武具を朱りにした部隊編成のこと)
と兜(かぶと)を合体させて生まれたキラクタ「ひこにゃん」。 



【季語と短歌:時事を詠む②】

                     老鶯ろうおうや届けし破竹戴きぬ 

老友会の女性会員の一人から戴いた破竹を彼女が湯がき食す(美味い!)・
破竹は、柔らかな段階で、ナイフで切取り外皮を剥き取りそのまま食
する一番と現場で教えられている。




【わたしの経済論⑫:為替と円安】 
人類の三大発明は「神」「言葉」「貨幣」である。三つはとてもよく
似ている。経済学や産業界や金融機関が貨幣を問題にするときは、必
ず「交換」と「保蔵」、あるいは「分配」と「流通」のモデルを出発
点にする。あらためて言うまでもなく、貨幣には、①支払い、②保蔵、
③尺度基準、④交換力、という4つの力がひそんでいる。今日の貨幣
論は、ドルが基軸通貨であって、世界で流通している複数の貨幣はド
ルの「言い換え」にすぎないことによって、その力を維持していると
説明するしかなくなっている。「交換」(exchange)と「互酬」(reci-
procity)の社会が、またたくまに「交易」(trade)と「市場」(ma-
rket)の社会に“大転換”していったとき、貨幣が何を社会変質させ
たかが問われなければならないはずなのだ。フリードマンらのシカゴ
学派が経済学の主流を占めた。
ケインズ経済学は「大きな政府」論だと批判され、ほとんど死に体に

なったかに見えたが、事態がグローバリズムと金融資本主義に向かう
なか、その結末がリーマンショックだとわかると、ケインズの復活が
叫ばれはじめた。本当にケインズの理論が再解釈されたのか、それと
も経済学が混乱しているだけなのか。資本主義は現在の視界に存在す
るいかなる代替的システムよりも、経済目的を達成するのには、おそ
らくより効率的なものにできるであろう。しかし、それが本質的に多
くの点できわめて不快なものであるとも考える(自由放任の終焉)。

マルクスは、貨幣は「形而上学的な不思議さに満ち満ちた存在」と
言い、岩井克人は『貨幣論』(筑摩書房)でその説明を展開。貨幣は
いつしか「大きな物語」を失った。「人間すること」と「経済するこ
と」と「社会すること」は一緒だった。さまざまなデータを比較して、
そういう状態がずうっと1800年前後まで続き、貨幣がなくなるのでは
なくて、貨幣は実体性を失った情報になることでより純粋化し、金塊
やコイン、それがのちに紙幣になって、貨幣がだんだんモノとしての
重みを失っていくプロセスの究極形態(マネーレスではない)、電子
マネーの登場は、この考えていた貨幣論のところが会社論を論理的に

やっていくと、そのなかから「信任論」というものが生まれてきた。
会社とは法人化された企業の別名だが、法律上のヒトでしかない会社
を実際のヒトとして動かしていく経営者とは、法人としての会社に対
して倫理的な義務を負わなくてはならない存在だ、という結論が思い
がけず出てきた。理論的に考えたら行き当たったのが信任論だった。
結局、われわれの生きている社会には、自己利益を求める契約関係に
は決して還元できない、信頼によって任す/任されるという関係が無
数にあるという関係に変わる。重要なのは、現在のような高度情報化
社会では、人間は誰でもある分野では専門家として振る舞わざるをえ
ない。その部分では、自分の利益を抑えて倫理的に振る舞わざるをえ
ない。実際に、多くの人がそう振る舞っているから、この社会は成り
立っている。雑多な世の中に普遍的な法則を見出すものとして、貨幣
のほかに言語と法律がある。言語、法、貨幣。いずれも、物理的な性
質にも遺伝的な情報にも還元されず、単に手段として使われることで、
初めて意味や力や価値をもち、人類全体が世代から世代へと継承して
い。この言語、法、貨幣の謎を解き明かすことが、人間の謎を解き明 
かすことになるはず。このように述べ、 岩井克人は、ビットコインは
必ず滅びると断言する。著書『貨幣論』でお金の正体を解き明かした
彼がそう語る真意とは?暗号通貨と中央銀行の関係、そして、ビット
コインを超えたブロックチェーンの可能性を、「貨幣の本質」から読
み解く。




さて、松岡正剛は『資本主義問題』で、マネーとは何か。なぜマネー

は自分自身を増やすのか。まさに貨幣とは亡霊なのである。貨幣は亡
霊のように自身の特性を失って透明になり、そうすることによってす
べてのものに取り憑き、使用価値を捨象した一般的所有作用だけを相
手に与えていく代物。なぜ銀行や債券や保険がマネーの代行をするの
か。世界資本主義とかグローバリゼーションといったって、結局はマ
ネーと金融のドラマなのか。しょせんはリーマンショックの繰り返し
だけなのか。新鋭ヒストリアンのファーガソンが得意の「反事実歴史
学」の手法をひっさげて、満を持してマネーの謎解きを問うた。
①ある種のビジネス習慣は、生物学でいう「遺伝子」と同じはたらき
をし、「組織のメモリー」に情報を蓄積し、個人から個人へ、あるい
は新しい企業ができれば企業から企業へと伝え残されるのであろう。
②マネーの歴史では、ある種の属性が自発的に突然変異をする可能性
がある。たとえば金融工学だ。経済界ではこれをイノベーションと呼
ぶが、技術革新ばかりがイノベーションとはかぎらない。
③同業種内で資源をめぐる競合があり、その結果が寿命や増殖の度合
いのマイナス要因としてはたらき、どの企業が生き残るかが決まる。
④資本と人的資本を市場がどう配分するかという問題は、業績が悪い
と消滅する可能性がある「残存率」を通じて、適者生存的な自然淘汰
のメカニズムがはたらいているのかもしれない。
⑤種が分化して、新たに形成される余地がある。ひょっとすると、ま
ったく新しい金融機関を創設することで、新たな多様性が維持できる
かもしれない。
⑥どんな場合も、生物にも金融にも絶滅の余地がある。当然、ある種
が絶滅することもある。と、

時間の経過とともに変化する貨幣。自由貨幣、補充貨幣、スタンプ貨
幣、代用貨幣。この卓抜な発想には、何人かの先覚者がいた。ゲゼル
ケインズ、シュタイナーである。エンデはかれらの著作から新たな社
会経済の青写真を汲み取っていく。シルビオ・ゲゼルは、「お
金は老  

化しなければならない」と説いた。お金で買ったものはジャガイモに
しろ靴にしろ、消費されていく。しかしその購入に使ったお金はなく
ならない。モノは消費され、お金はなくならない。モノとしてのお金
と消費物価とのあいだで不当競争がおこなわれる。ゲゼルはそれはお
かしいと考える。ゲゼルはお金も経済プロセスの進行とともに消費され
るべきだと考えた。このゲゼルの理論を実践し、成功した例がある。1
1929年の世界大恐慌後のオーストリアのヴェルグルという町で、その
町長のウンターグッゲンベルガーが町の負債と失業対策のため、現行
貨幣とともに「老化するお金」を導入。いま、マネーと情報はぴった
りくっついている。電子決済や電子ネットワーク社会が、その準備を
なしとげたが、かつて情報と富は結ばれていなかったのか。そんなこ
とはない。グレートマザーの時代は結びついていた。デマレージの経
済社会というものもあった。本書はECUを設計した異才リエターに
よるかなり変わったマネー論仮説。
(貨幣は言語に似ている。資本主義は言語活動の一環だったのである。
おそらく本質的にはそうだろう。しかし、そのことがいよいよ露呈し
てきたのは、カジノ資本主義がポートフォリオなどの金融言語によっ
て拡張してからのことだった。こうして本書の著者マラッツィは、い
ささか舌足らずではあるものの、 新たな金融言語モデルの提案に向
かっていった。)と。



  

第4章 為替と物価
対外純資産の大小は経済成長と関係ない
国が海外に保有している「対外資産」から「対外負債」を除いた「対
外純資産」が以前より増えているため、日本は円安のメリットが大き
くなっている。とはいえ、対外純資産の変動そのものが経済成長に影

響を与えるわけではない。海外株式、海外不動産などの所有権が対外
資産で、それを調達する際、海外の金融機関でお金を借りたら対外負
債になる。かといって、米国の資産は日本円では買えないから、銀行
で円とドルを交換してもらう必要がある。

すると、銀行にドルが集まる。銀行にドルを持ってくる可能性がある
のは輸出業者だ。彼らが輸出したときに輸入する側の海外業者からド
ルをもらう。輸出業者はそのドルを日本では使えないから、銀行に持
っていって日本円と交換する。その結果、銀行にはドルだけが残ってし
まう。だからあまったドルは、円と交換してドルをほしがる人に売る

わけだ。
そのため、大本(おおもと)のドルは輸出業者からきている。こう考

えると、対外資産の大本は「輸出額」からきていることになり、輸出
=対外資産の純増という関係になる。そうなると、対外資産はこれ
までの輸出額の総計になり、逆に輸入額=対外負債の純増という関係
にもなる
輸出額から輸入額を引いた額に、運賃・旅行費・外債利子といった「

貿易外収支」を加えれば、「経常収支」になる。したがって、貿易黒
字の累計=対外純資産ということになり、これまでの経常収支の累計
にほとんど等しくなる。
つまり輸出業者(日本企業)は、輸入業者(海外企業)からドルとい

う「債権」を受けとるが、その債権の累計は、日本が持つ「対外資産
」と言い換えることもできる。それを、ここでは貿易外収支も加えた
経常収支の概念で説明しているのだ。
だから概念上、対外純資産は’「これまでの貿易の経常収支の累計金

額」となる。そのため、経常黒字の話も貿易黒字と置き換えても構わ
ない。両者はそっくりだからだ。
もっとも、貿易収支は経済成長率とは何の関係もない。だから経常収

影響を与えることもない。もし、「対外純資産が重要だ」と主張して
いる人がいれば、それは「経常収支が重要だ」といっているのに近い。
「貿易赤字は大変だ」と騒ぎ、「貿易黒字はいいことだ」と思い込ん
でいる人と、ほとんど同じだ
世界の国のうち、半分は貿易赤字になるのだから、そこに善悪などは

なく、輸出=善、輸入=悪でもない。

ちなみに、対外資産の政府と民間の持ち分のうち、政府が持っている

ほうを「外貨準備高」というが、これも経済成長にとってはどうでも
いい。対外純資産はもとより、対外資産も対外負債も経済的にはいっ
さい関係ないからだ。そうした項目の増減を騒ぐ人は、まずもって言
葉の定義ができていない。
対外負債については、日本政府は抱えていない。外貨債を出すと対外

負債になるが、日本政府はそうしていない。なぜなら、国債で資金調
達はできるからだ。
つまり、日本が持っている対外純資産の政府の保有分=政府の対外資
 

産=外貨準備高。こう理解すれば、すべてが一本につながる。 

「貿易黒字が得」「貿易赤字が損」は誤解  
貿易赤字か黒字かというのと経済的な豊かさは、全く関係ない。貿易

とは国家間の取引のことをいうが、日本国内でもたとえば都道府県の
間で物のやりとりは発生しているから、貿易収支と見立てて計算でき
る。
                         この項つづく


 
ビートルズは、マネージャーであるブライアン・エプスタインが経営
するNEMSレコード・ショップで「マネー」のシングル盤を見つける。
楽曲を聴いたメンバー、とりわけジョン・レノンは本作を気に入り、
すぐに自身の公演のレパートリーに加え、1962年1月のデッカ・レコー
ドのオーディションでも演奏。

The bestt hings in life are free
But you can keep 'em for the birds and bees
Now give me money (thafswhatlwant)
That's what l want (that's what l want) 
That's what l want (that's what l want) yeah
That's what l want 

You rloving give me a thrill
But your loving don'i pay my bi∥s


人生で1番素敵なものは ただ!
だけどそんなの鳥や蜂どもにくれてやるよ
さあ金をくれ(それが俺の欲しいもの)
そう俺が欲しいもの(それが俺の欲しいもの)
それが俺が欲しいもの(そいつが欲しいものさ)
おわかりかい
お前の愛はゾクゾクさせる
だけどそいつじゃ俺の請求書は払えない

● 今夜の一言:

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