8.泰 伯 たいはく
ことば------------------------------------------------------
「人のまさに死せんとするや、その言うこと善し」(5)
「士はもって弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し」(8)
「民はこれによらしむべし。これを知らしむべからず」(10)
「その位に在らざれば、その政を謀らず」(15)
「学は及ばざるがごとくするも、なおこれを失わんことを恐る」(18)
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18.学問は、迫えば追うほど遠のていくように思われてくるもの
だ。(孔子)
子曰、學如不及、猶恐失之。
Confucius said, "Your should continue to pursue study till t
he end. But at the same time, you should be afraid of losing
scholarship that you learned."
【佐竹本三十六歌仙トレッキング;素性法師⑤】
#TheThirtySixImmortalPoets#SoseiHoushi
遍照の子。『大和物語』168「苔の衣」には、父の在俗中に生ま
れ無理に出家させられたという兄・由性のことが語られるが、とも
に素性も幼くして仏道に入ったと考えられている。仁明天皇の皇子
である常康親王つねやすしんのうの雲林院に父とともに出入りし、
宮廷人と交流した。
今こむと いひしばかりに 長月の有明の月を まちいでつるかな
素性法師 『古今集』恋4・691
「今すぐに参ります」とあなたが言ったばかりに、9月の夜長をひ
たすら眠らずに待っているうちに、夜明けに出る有明の月が出てき
てしまいました。
素性(そせい)は遍照が在俗の際の子供で、兄の由性と共に出家さ
せられたといわれ、素性は父の遍照と共に宮廷に近い僧侶として和
歌の道で活躍。はじめ宮廷に出仕し、殿上人に進んだが、早くに出
家した。仁明天皇の皇子常康親王が出家して雲林院を御所とした際、
遍照・素性親子は出入りを許可されていた。親王薨去後は、遍照が
雲林院の管理を任され、遍照入寂後も素性は雲林院に住まい、同院
は和歌・漢詩の会の催しの場として知られた。後に、大和の良因院
に移った。宇多天皇の歌合にしばしば招かれ歌を詠む。古今和歌集
(36首)以下の勅撰和歌集に61首が入集し[1]、定家の小倉百人一首
にも採られる。家集に『素性集』(他撰)がある。
佐竹本三十六歌仙絵巻は、三十六歌仙を描いた絵巻物で、鎌倉時代
(13世紀)に制作された。久保田藩(秋田藩)主・佐竹家に伝来し
た、三十六歌仙絵の草分け的存在にして、代表的な作品である。書
は後京極良経、画は藤原信実によると伝わる。元は上下2巻の巻物
で、各巻に18名ずつ、計36名の歌人の肖像と住吉大明神が描か
れていたが、1919年(大正8年)12月20日に各歌人ごとに
切り離され、掛軸装に改められた。原型とは異なっているが、一部
を除き重要文化財に指定されている。
彦根市民のソウルフード「近江ちゃんぽん」
城郭田園都市・彦根に住んではや半世紀。美味いものは大阪と思っ
ていたがそれは間違っていた。フナ寿司、ビワマス、日野菜漬け、
そして近江ちゃんぽん。ちゃぽん亭の近江ちゃんぽんは、まろやか
であっさり、滋味深く優しいスープ----独自配合の厳選された魚節
や昆布を使い、店内で丁寧に炊き出した「究極の黄金だし」に特製
のかえしを入れてさらに炊き出す----が評判。注文が入ってから国
産の生野菜や豚肉を加えて鍋でじっくり煮込むことで、一つ一つの
スープに旨みを凝縮させてた彦根で生まれて55年の安くて美味い
ちゃんぽん。お好みで胡椒または自家製ラー油を。スープが薄い場
合特製醤油を加える。ところで、なんといっても近江ちゃんぽんに
酢を適量加えると旨みとまろやかさが増し、健康にも良い。ちゃん
ぽん亭の酢の加え方は、①まず、加える前にスープを堪能、②半分
ほど食べたら酢を適量加える(レンゲ半分程度、③よく混ぜてから
食べるとあるが、わたしは、ストレートに加え混ぜ食べている(多
少は旨味・味わいを損ねているかもしればいが十分に美味しい)。
【桐井栄初回(一周)追善供養録:威徳院】
大船の津守が占(うら)に告(の)ぬらむとは
まさしに知りてわが二人宿(ね)し
大津皇子 万葉集 巻2・109
大船の泊(とま)る津守の占いに出るだろうことを知っていて二人
で寝たと二人の関係が世間に知られても構わないと開き直り詠うほ
どこの恋に身を焦がした石川女郎が、皇位継承のライバルの草壁皇
子にも慕われ三角関係にあった。
威徳院はかなり高い位置に在るので見晴し抜群。後方は明日香村か
ら橿原市街。畝傍山、二上山が望める。ただ、二上山、あべのハル
カスまで望めると案内書にあるが、天気は秋晴れでも写真では霞ん
でいるように確認できない。二上山は中学のクラブ活動で鉱物採取
やピクニックを楽しんだ山。畝傍山は奈良盆地南部に位置し、香具
山・耳成山と並ぶ大和三山の1つで標高は198.8メートル と最も高
い。尚、畝高(県立畝傍高等学校)は吉野丹治で檜の製材所を営む
従兄弟の出身母校。
さて、7日は午前8時に二人で出発。いつものように名神彦根IC→
茨城IC→近畿自動車道(E26→E91/帰りは御所ICE24→E91)→橿原
(ここまでノンストップ)R169→R155明日香村に午前10時半頃到
着→県道155号線が明日香と多武峰間が接続され景観は大きく変容し
ていることに驚く。石舞台からしばらくして、道標があり南への細
い山道を上ると威徳院に到着。途中の山道は細くて雨天や積雪・凍
結時は危険で、南都ブームで観光客も増えているの要注意。
奈良県高市郡明日香村尾曽267
威徳院は創建1,200年の寺院で本尊は毘沙門天。商売繁盛、学業成
就、勝負に勝つ「尾曽(おおそ)の毘沙門さん」と地元に親しまれ、
古くから信仰されている。創建以来、何度も火災に遭い、寺の記録
はすべて焼失し詳細は不明。境内北東の裏山を切り開いた四国八十
八か所霊場の「お砂ふみ道場」があり、この一カ所で八十八か所を
巡るのと同じご利益があるというが。ここからの素晴らしさは、そ
の眺望----明日香村、奈良と大阪の境界の山々までが一望でき。道
場からの眺望が見事で天空の寺院と称される。本尊の秘仏毘沙門天
は飛鳥時代に日羅上人が天上から紫雲をまとって現れたと伝えられ、
福の神とし信仰祈願されてきた。
①寺名:威徳院(いとくいん) ②住所:奈良県明日香村尾曽267
③山号:藤花山 ④宗派:真言宗豊山派 ⑤開創:江戸時代末期
⑥本尊:毘沙門天
年間行事
1月 不動明王初護摩祈願
2月3日 星祭り厄除け開運祈願法要
4月第2日曜日 秘仏本尊御開帳大般若転讀大護摩法要
8月21日 四国八十八カ所お砂踏み道場空海祭り
11月3日 弁財天秋季大祭 風呂敷護摩加持
12月31日 除夜の鐘
永大供養塔『光明』の案内
①3月3日、8月21日、9月3日の各日に供養塔前で合同供養。
②宗旨宗派不問合祀。
③檀家制不問。
④生前予約受付可。
⑤葬儀・戒名授与可。
⑥法事・仏事相談可。
当日、お伺いしたところお留守で電話を入れ、暫くして住職の生駒
和尚が帰ってこられ、早速、本堂の上にある「お砂踏み道場」にあ
る供養塔光明をご案内していただき納骨・お性根入れを現認する。
供養塔前の三つのお醤油樽のお堂でのお焼香を済ませ、本堂を解錠
し追善供養式を上げお礼を申し上げお別れする。
尚、和尚の話によると、奈良県桜井市初瀬(はせ)にある真言宗豊
山派総本山の寺院----山号は豊山(ぶさん)、院号は神楽院(かぐ
らいん)本尊は十一面観音、開基(創立者)は僧・道明。西国三十
三所第8番札所。寺紋は輪違い紋----長谷寺と(同じ宗旨にある)と
の説明を受ける。その長谷寺は、大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下
ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。初瀬山は牡丹の名所であり、4月
下旬〜5月上旬は150種類以上、7,000株と言われる牡丹が満開にな
り、古くから「花の御寺」と称されている。また『枕草子』『源氏
物語』『更級日記』など多くの古典文学にも登場。中でも『源氏物
語』にある玉鬘の巻のエピソード中に登場する二本(ふたもと)の
杉は現在も境内に残っているという。
竹内まりや 「シングルアゲイン」&「告白 」
「シングル・アゲイン」は、竹内まりやの18枚目のシングル(EP:
MOON-779,SCD:10SD-29, CT:MOSC-1012)。「告白」(こくはく)は
19枚目のシングル(SCD:AMDM-6018)。ところで、彼女はテレビ放
送(どこのチャンネルか忘れたが)で75歳までは歌を歌っていた
が、雰囲気や声が、従兄弟の富田千賀子さんに似ていて親和力を感
じて観ている。いつまでも歌っていて欲しいものである。
人口減少時代のまちづくり⑳
28 「孤独死」が問題にされる理由は何か
【要点】
①東京23区における一人暮らしで65歳以上の人の自宅で
の死亡者数は増加傾向。
②家族関係と地域コミュニティの崩壊が問題。
③一人暮らし高齢者の貧困化か問題。
1 孤独死~定義は難しい、しかし確実に増加
孤独死とは、主に一人暮らしの人がだれにも看取られずに一人きり
で死ぬことで、日常生活における突発的な体調悪化や疾病、ケガな
どによって白室内で死亡に至るケースを指すことが多い。尚、孤立
死や独居者が住居内で亡くなっている状況を指す独居死のような言
葉も使われる時もある。孤独死が社会的テーマとなり始めたのは、
1970~80年代ごろからで、住宅団地における一人暮らし高齢
者の孤独死が近隣の人や訪ねてきた親族に発見されたという事件が
報道で取り上げれていた。さらに、阪神・淡路大震災といった大規
模災害後の仮設住宅で、慣れない住環境と未成熟なコミュニティの
ために異変に気付きにくく、疾病等で身動きが取れないまま死亡す
る人が出るという事態を招いたことなどによります。孤独死につい
て、その実態を確定的な数字として挙げることが難しいですが、東
京都監察医務院(死因不明の急性死や事故で亡くなった人の検案、
解剖を行っている)によると、東京23区における65歳以上の一
人暮らしで、自宅での死亡者数は、2016年に3,179人となっ
ており、全休として増加の傾向にある。また、内開府の調査によれ
ば、「孤独死を身近な問題だと感じる」「とても感じる」「まあま
あ感じる」人の合計が、60臓以上の合計が2倍弱なのに、一人
暮らしでは4倍超の結果となっている。
2 孤独死を生んだ背景~コミュニティの希簿化、高齢単
独帯等の増加
孤独死はさまざまな状況下で発生。一般に、都市部などを中心に地
域コミュニティが希薄な地域が、また、過疎地域等で人家が散在的
に残っているため気付きにくいという環境下で発生することが多い
ようです。核家族化の進行によるという見方も挙げられるが、特に、
高齢単独世帯、高齢世帯の増加、さらには家族等との連絡の頻度や
近所づきあいの希簿化など、身内や隣近所等とのやり取りなど、相
談ができなくなり孤独死につながるということが増えている。また、
高齢者の貧困率が高まることによって、老人ホームなどへの入居を
困難にし、結果として孤独死の可能性を高めるという循環も充分に
想定でききる。
3 地域での見守り等の着実な取組みから孤立化への社会と
しての対応力向上
今、現場に一番近い市町村が中心になり、一人暮らし高齢者や要援
護者に対して、民生委員との連携により情報・実態の把握や見守り
活動、配達業務等の民間事業者との連携による異変等の通報・連絡、
社会福祉協議公等が中心となり見守りシステムを構築。さらに、相
談ごと、買い物支援を行うなどのさまざまな取組みがおこなわれて
いる。今後とも、先ずは、地域社会での孤立化を防ぐことを基本に、
見守り、支援を基本としたソフト面での対応や、プライバシーに配
慮しつつも確認・緊急通報システム、情報整理・共有化システムな
どのハード面での一層の対応に努める必要がある。さらに、年齢に
関わらず経済的問題や障害等による地域・社会との関係希簿化等か
ら起こる孤立化などへの対応力を地域や社会全休として付けていか
なければならない。
キーワード 一人暮らし/希薄化/見守り