今日はサクッとするレです。
サッパリかき氷。レモンはスライスレモン入り。パインは果肉入り。日本のしつこい猛暑をこいつで乗りきりましょう。
わりと誰にでもあるんじゃないかって話をします。無意識にかかわる話です。
僕は以前、福岡ドームで野球の試合の接客の仕事をしていました。入口のもぎりとか、立ち入り禁止の場所の見張りとか、配置はいろいろあります。あるとき、スタンドの席案内を割り振られた日のことです。
席案内は、何もすることがないときには通路に立ちます。外側の、売店が並ぶコンコース通路と、スタンドをつなぐ入場通路です。そこに立って、自分の席がわからないお客さんが来るのを待ち、スタンドで異変が起きていないか、試合前であればバッティング練習のボールが飛び込んでこないかなどにも気を配るのです。ボールがスタンドに飛んできたら、笛を吹いて危険を知らせねばなりません。
その日の試合前、ヒマな時間帯が訪れ、僕はボールの行方を目で追いながら、少しボーッとしていました。あまり打球が伸びない選手が練習に立っており、警戒心も緩み気味でした。客の入りはまだまばらでした。
すると、チーフが僕の元にやってきました。チーフというのは、バイトのリーダー格の人です。チーフは、「お客さんからあくびしてるって言われたよ」と告げました。
なんでも、ひとりのお客さんが僕のことを指して、「あいつずっとあくびばっかりしてるけど大丈夫か」って指摘したらしいのです。なのでチーフは、みっともないからやめるようにと僕を注意しにきたのでした。
しかし僕は、いっさい心当たりがありませんでした。あくびなどしておらず、普通に立っていただけなのです。
だから、「あくびなんかしていない。お客さんの勘違いだ」と反論しました。チーフは、「でもお客さんがそうおっしゃってるし、しているんじゃないか」と答えました。
僕はムキになり、「絶対にしていない。言いがかりはやめてほしい」と突っぱねました。チーフはあきれた様子で、「やるなら気づかれないよう、こっそりとね・・・」と言い残して去っていきました。
僕はなぜそんな嘘っぱちを言われなくちゃならないんだと腹を立てました。あくびなどしておらず、マジメにやっているのにと。
気持ちを切り替えて仕事を続けようと、再びグラウンドのバッティング練習に目をやりました。
すると、数秒後、僕の口からあくびがあふれ出ました。
「あ、やってる!」
僕は驚きました。まったくの無自覚のうちにあくびをしていたのです。
お客さんは正しかった。言いがかりでもなんでもなかったのです。
こーゆーことって、けっこうあるんじゃないでしょうか。ちょっとしたクセのようなもの。自分ではいっさいの自覚なしにやってしまってる行為。
しかしなぜ自分で気づかないのでしょうか。自覚しないことが、自分の心にとってプラスの働きになっているのでしょうか。精神分析的には、苦痛に感じるものを認識の外に追いやる、ということがあるからです。
ですが、ちょっとしたクセくらいなら自覚しててもそこまで苦痛ではないはずです。だから、理由がよくわからない。
皆さんはこれ、どう思いますか。
でね、それはそれとして、僕思うんですけどね、日本人のあくびのイメージって間違ってますよね。
あくびをするヤツはやる気がない。人の話をちゃんと聞こうとしていないからあくびが出る。もしくは、寝ようとしている。そんなふうに思われていますよね。
でも僕はそれは違うと言いたい。なんでも、あくびってのは脳の酸素が不足したときに起こるそうじゃないですか。酸素が足りてないから、供給を増やすために起こる生理的反応があくびなのだと。
じゃあですよ、意識をしっかりさせるため、やる気を保つためにあくびをしているってことじゃないですか。ホントにやる気がないなら、あくびが出ることはないんですよ。あくびをしないまま眠ってしまうはずです。
あくびをするのは、眠らないようにするためです。眠気を覚ますためにあくびをしているのであって、寝るためにしているのではない。
だから、あくびをする人を悪く言うべきではないんですよ。むしろ頑張ろうとしているのだと、前向きに評価すべきなんです。
問題なのは、あくびをする人が置かれた環境のほうです。脳の酸素が足りないからあくびをするということは、その場所の酸素が薄いということでしょ。酸素濃度が低いからあくびが出るんですよ。
つまり、酸素が薄い環境が悪いのであって、あくびをする人が悪いわけではないのです。あくびをする人は被害者なのですよ。酸素が薄い環境の被害者なのです。
だから認識を改めましょう。もっと積極的にあくびをすべきだと。あくびは仕事を頑張るために不可欠なものなのだと。やる気があるからあくびが出るのだと。
あくびを許容し、みんなが気兼ねなくあくびのできる社会を実現させましょう。
あくびは必要です。さあご一緒に。
サッパリかき氷。レモンはスライスレモン入り。パインは果肉入り。日本のしつこい猛暑をこいつで乗りきりましょう。
わりと誰にでもあるんじゃないかって話をします。無意識にかかわる話です。
僕は以前、福岡ドームで野球の試合の接客の仕事をしていました。入口のもぎりとか、立ち入り禁止の場所の見張りとか、配置はいろいろあります。あるとき、スタンドの席案内を割り振られた日のことです。
席案内は、何もすることがないときには通路に立ちます。外側の、売店が並ぶコンコース通路と、スタンドをつなぐ入場通路です。そこに立って、自分の席がわからないお客さんが来るのを待ち、スタンドで異変が起きていないか、試合前であればバッティング練習のボールが飛び込んでこないかなどにも気を配るのです。ボールがスタンドに飛んできたら、笛を吹いて危険を知らせねばなりません。
その日の試合前、ヒマな時間帯が訪れ、僕はボールの行方を目で追いながら、少しボーッとしていました。あまり打球が伸びない選手が練習に立っており、警戒心も緩み気味でした。客の入りはまだまばらでした。
すると、チーフが僕の元にやってきました。チーフというのは、バイトのリーダー格の人です。チーフは、「お客さんからあくびしてるって言われたよ」と告げました。
なんでも、ひとりのお客さんが僕のことを指して、「あいつずっとあくびばっかりしてるけど大丈夫か」って指摘したらしいのです。なのでチーフは、みっともないからやめるようにと僕を注意しにきたのでした。
しかし僕は、いっさい心当たりがありませんでした。あくびなどしておらず、普通に立っていただけなのです。
だから、「あくびなんかしていない。お客さんの勘違いだ」と反論しました。チーフは、「でもお客さんがそうおっしゃってるし、しているんじゃないか」と答えました。
僕はムキになり、「絶対にしていない。言いがかりはやめてほしい」と突っぱねました。チーフはあきれた様子で、「やるなら気づかれないよう、こっそりとね・・・」と言い残して去っていきました。
僕はなぜそんな嘘っぱちを言われなくちゃならないんだと腹を立てました。あくびなどしておらず、マジメにやっているのにと。
気持ちを切り替えて仕事を続けようと、再びグラウンドのバッティング練習に目をやりました。
すると、数秒後、僕の口からあくびがあふれ出ました。
「あ、やってる!」
僕は驚きました。まったくの無自覚のうちにあくびをしていたのです。
お客さんは正しかった。言いがかりでもなんでもなかったのです。
こーゆーことって、けっこうあるんじゃないでしょうか。ちょっとしたクセのようなもの。自分ではいっさいの自覚なしにやってしまってる行為。
しかしなぜ自分で気づかないのでしょうか。自覚しないことが、自分の心にとってプラスの働きになっているのでしょうか。精神分析的には、苦痛に感じるものを認識の外に追いやる、ということがあるからです。
ですが、ちょっとしたクセくらいなら自覚しててもそこまで苦痛ではないはずです。だから、理由がよくわからない。
皆さんはこれ、どう思いますか。
でね、それはそれとして、僕思うんですけどね、日本人のあくびのイメージって間違ってますよね。
あくびをするヤツはやる気がない。人の話をちゃんと聞こうとしていないからあくびが出る。もしくは、寝ようとしている。そんなふうに思われていますよね。
でも僕はそれは違うと言いたい。なんでも、あくびってのは脳の酸素が不足したときに起こるそうじゃないですか。酸素が足りてないから、供給を増やすために起こる生理的反応があくびなのだと。
じゃあですよ、意識をしっかりさせるため、やる気を保つためにあくびをしているってことじゃないですか。ホントにやる気がないなら、あくびが出ることはないんですよ。あくびをしないまま眠ってしまうはずです。
あくびをするのは、眠らないようにするためです。眠気を覚ますためにあくびをしているのであって、寝るためにしているのではない。
だから、あくびをする人を悪く言うべきではないんですよ。むしろ頑張ろうとしているのだと、前向きに評価すべきなんです。
問題なのは、あくびをする人が置かれた環境のほうです。脳の酸素が足りないからあくびをするということは、その場所の酸素が薄いということでしょ。酸素濃度が低いからあくびが出るんですよ。
つまり、酸素が薄い環境が悪いのであって、あくびをする人が悪いわけではないのです。あくびをする人は被害者なのですよ。酸素が薄い環境の被害者なのです。
だから認識を改めましょう。もっと積極的にあくびをすべきだと。あくびは仕事を頑張るために不可欠なものなのだと。やる気があるからあくびが出るのだと。
あくびを許容し、みんなが気兼ねなくあくびのできる社会を実現させましょう。
あくびは必要です。さあご一緒に。
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