徳丸無明のブログ

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2016-04-12 21:01:06 | 雑文
矢沢永吉といえば、日本でもトップクラスのスターミュージシャンだ。高いカリスマ性を誇り、日本人で彼のことを知らない者は皆無と言っていいくらいだ。
だが、その知名度にも関わらず、矢沢の楽曲は、熱心なファン以外にはあまり知られていない(せいぜいが、ライブの時に「Ha~Ha」のタイミングでタオルを投げる、あの曲ぐらいだろう)。この非対称性が、長らく謎であった。
それがこの度、その解を得た。
近田春夫が、『ヤンキー文化論序説』に寄せたテキストの中でキャロルを評し、「彼ら(あるいはソロになった矢沢永吉などにしても)の「音楽そのもの」は、思ったほどには続く者たちに影響を与えてはいないかもしれない。というのも、ヤンキーにとって、音楽は目的というよりむしろ手段であることが、結果的にみて多いからである。平ったくいえば、それは表現である前にまずビジネス(シノギ)なのだ」と述べているのを読んだのだ。
思わず膝を打つとは正にこのこと。
矢沢は、幼い頃に母が家出、父と死別し、以後親戚の家をたらい回しにされ、小五からアルバイトを始めるという不遇を囲っている。矢沢にとっては、幸薄い状況から抜け出すこと、つまりは「成り上がり」こそが目的であり、音楽はその為の手段に過ぎなかったわけだ。
矢沢は、手段として音楽を身に纏う。そしてファンもまた、そのことを薄々感じ取り、彼の楽曲を享受するよりもむしろ、楽曲を通して「E.YAZAWA」というスターに触れているのだ。だから、ほとんど楽曲が認知されていないのである。
なるほどなるほど。
さて、その矢沢以上に楽曲が知られていないのが内田裕也である。内田は、エキセントリックなキャラと、あとは樹木希林の元夫という社会的事実のみで把握されており、楽曲は全くと言っていいほど知られていない。ヘタしたら、彼のファンであっても曲を知らないのではないかと思えるくらいだ。内田は、永ちゃんより数段大きな謎として、小生の前に立ちはだかっている。この謎を解きほぐすのは、今後の宿題である。(解けなくてもどうってことない気もするけどね)