Go! Go! 後藤光雄

鈴鹿市議会議員 後藤光雄。鈴鹿に生まれて鈴鹿に住んで鈴鹿にやってきて「本当に良かった」といえる、まちづくりをともに!

鳥に思う

2009-07-08 04:18:42 | 語呂・語録
 発想の豊かさを、個性を磨くヒントにと、切り抜いていたものです。

鳥に思う
                        森 政弘(自在研究所社長)

 鳥は、いろんなことを感じさせ、また教えてくれる動物である。
創造性開発は、今や時代の最重要課題の一つになってきたが、かって私が奉職していた東京工業大学の制御工学科では、この事態を見越して、十数年前から学生の創造性を養ういくつかの授業を行ってきている。その中に二年次の前学期に行う創造工学演習というものがあった。

 その授業では、とらわれない考え方や、ものごとの実体を見抜く眼を育成することが、目標となっている。そのための宿題として私はこんなテーマを出した。

「鳥は、揺れる電線にとまっていて、なぜ落ちないのか。」

 一週間後にレポートが出てきた。しかし、それを繰ってみると、平凡な答えが多過ぎていささか閉口した。いやしくも、物理の授業ではなく、創造性を開発する授業である。
それなのに、まさに工業大学の学生というべきか、八割以上が物理で答えてきている。

「電線が風その他で揺れて、自分の体の重心が電線よりも後ろに行きかかると、鳥は頭を動かして重心が前へ来るように操り、重心が前に行こうとすると、しっぽを動かして重心が後ろへ移動するように調整し、つねに重心が電線の真上にあるように制御しているからです。」というのが大部分をしめていた。

もちろん、これは間違いではない。間違いではないからといって、良いわけではない。
とにかく固定観念を打破することが目的の授業である。物理学や力学の世界だけからしかものが見られないようでは、創造性が身に付いたとはいえない。
だが、少数ではあるが、けっこういける答案もあった。その一つはこういうのだった。

「ぼくは、この宿題が出てからは毎日電線に止まっている鳥を探し続けました。授業の時は窓際に座り、学校の行き帰りには電車の窓から外を眺めるなどして、懸命に探しました。
しかしこの一週間、ついぞ電線に止まっている鳥は見かけませんでした。先生、鳥は果たして電線にとまるものでしょうか?でも、レポートを書かなくてはなりませんから、やむなくわが家のカナリヤを観察しましたところ、こんなことを発見しました。
うちのカナリヤは、昼間は止まり木で遊んでいますが、夜眠るときにはブランコに移るのです。」と。

私は、「それでこそ鳥だ。眠る時に揺れるブランコに乗り移る。だから落ちないのだ。
人間ならば、休む時は揺れない方へ移るにちがいない。」と書き添えて返した。

簡明で素晴らしい答案が一つあった。

「先生、鳥は落ちても飛べばいいと思っているからです!」

私はこれに、百点満点で百三十点を付けた。

赤い夕日にシルエットをえがいて飛ぶ雁、初夏の大空を群れをなして踊るつばめなど、渡り鳥を眺める時、表明しがたい大自然の神秘に引き込まれる。
何に引かれてかは知らないが、彼らは親子うち揃い、困難をものともせずに、自ら何千キロメートルもの大旅行に出発する。

 その時、すずめは知らん顔で、後ろからついていくようなことはしない。どちらも立派なものである。人間はこの姿勢を見習うべきではないか。

 彼らは何のために渡るのか?・・・・欲得に汚れたわれわれ人間の目には、餌のため、と映るかもしれない。そして客観的にはそれも事実であろう。しかし、主観的な鳥の心情としては、食うためとういうような欲得はないのであろう。鳥に聴いたわけではないが、おそらく、
「こっちへ、いらっしゃーい」
という母なる大地の声が聞こえ、ちょうど、ママの膝へ向かってまっしぐらに走り寄る子供のように、その声の方向に無心に飛んでゆくのであろう。

 だが、無心に行ったその先には、ちゃんと餌が用意されている・・・・ように大自然というものは仕組まれているのである。


鈴鹿市議会議員 後藤光雄