管理人ぎんなんの日記

つれづれなるままに。
思いついたときに更新。

上越「林泉寺」

2009年11月30日 14時51分45秒 | 日常
今日は先週行ってきた新潟旅行のうち、「林泉寺」について。

私は、なによりもどこよりも「春日山城」に登りたかったのですが、もう1ヶ所どうしても行きたいところがありました。それが「林泉寺」です。林泉寺は春日山城のすぐそばにあるお寺です。上杉謙信は、7歳から14歳までこの林泉寺で勉強をしていました。7歳から14歳ですよ。うちの息子は現在11歳。7歳から14歳と言えば、小学校2年生から中学校3年生まで。勉強するにはぴったりの歳。人生の考えかたやら生きかたやらを学んだとしたら、いや当然学んだのでしょうけど、それがその後の人生にどれほど大きな影響を与えることか。そんな林泉寺に行ってみたいとずっと思っていました。

林泉寺だけではなく、他の有名観光スポットも、私が行ったのはちょうど三連休だったし日曜日だったし、ものすごい人でした。林泉寺もすごい人で、写真を撮るにしても他の人が入らずに撮ることはできないほど。ちょっと撮ろうと思えば、歩いている人にしばらく立ち止まってもらわなければいけないほど。そんなことをしていると、すぐに人の列が長くなってしまう。それほど混んでいました。

林泉寺の門には上杉謙信が書いたという「春日山」という文字と「第一義」という文字が掛かっています。現在門に掛かっているものは複製ですが、本物は林泉寺の宝物館に展示されています。この宝物館がまた混んでいて、人の肩越しに展示物を見なければならないほどでした。

境内には川中島の戦いで亡くなった人の供養塔、それから上杉謙信の墓所もありました。お祈りしてきましたが、謙信の亡がらは米沢市に移されているのでここにはありません。

一番入口にある惣門と、山門、本殿、宝物庫、供養塔というのが見どころですが、私はなによりそのお寺のたたずまい、雰囲気に触れたかったのです。どんなところで謙信は勉強していたのだろう。お寺の掃除をしたのだろうか。石畳を掃いたりしたのだろうか。水を汲んだりしたのだろうか。7歳だったら背もまだ低かっただろうに。力仕事も大変だっただろうに。お寺って寒いだろうに。そんなことを感じたかったのです。

林泉寺は、あんなに観光客がいたにもかかわらず、非常に静かでした。空気が澄んでいて、深呼吸すると心が穏やかになるようでした。できるならば、人があまりいない時間に来たかった、そして思う存分、長居をしたかったです。あの空気のなか、太陽の下、ぼーっとしていたかったです。行った日は日帰り旅行でしたし、予定も詰まっていたので、ぼーっとする時間はありませんでしたが、あちこちにベンチもあったので、あのベンチでぼーっとできればなぁと思いました。

木々が風に揺れる音を聞いていると、木と木のあいだから、ひょこっと小さな修行僧が出てくるような、そんなかんじがしました。
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いちょう並木へ

2009年11月29日 16時35分55秒 | 日常
毎年この季節になるとここに書いていますが、今日は夫と息子と3人で、神宮外苑のいちょう並木に行ってきました。いちょうの季節に毎年行っているんです。1994年の秋から毎年行っているので、今年で16回目ですね。毎年来れるということは、いちょうの季節に病気やけがで寝込んで来れなかったという年はないということ。幸せなことです。

妊娠中にも来たっけ。ベビーカー持って来たっけ。それが今や、3人で写真を撮ると、一番背が低いのは私ですわ。

いちょう並木の先では毎年いろいろな屋台が出ています。今日はさつま揚げのようなもの(名前が出てこない)、肉まん、たこ焼きを食べました。ケバブやタイ料理の屋台もあるんですよ。来年はなにを食べようかしらね。……と、やはり「花より団子」かしらね。
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自分史

2009年11月28日 17時34分26秒 | 日常
小学校6年生の息子が学校の宿題をやっていました。「自分史」を書くのだそうです。11歳で「自分史」? 何年の何月に幼稚園に入園、卒園、何年の何月に小学校に入学。それって、クラスの子どもたち、ほとんど同じようなものじゃあないのかしら。

教科書に見本が出ているというので見てみたら、「引越し」とか「塾に入る」ということも書いてある。息子は1回引越しを経験しているので、それも書いて、あとは空手を始めたことも書いて。あとは学校の学芸会と学校のXX周年記念行事を書いて。それもきっとクラスの他の子と同じよねぇ。

ノートの左側に自分史を書いて、右側に日本や世界のできごとを書くそうです。右側は学校でみんなでやるそうです。

2003年に阪神タイガースが18年ぶりに優勝、なんてことを右側に書いちゃあダメですかね。人生のなかの大きなできごとだし、人生のなかでそうそう起こるできごとじゃあないんですけどね。
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日本酒「謙信」

2009年11月27日 22時42分06秒 | 日常
今日はなんだかばたばたしていて、この日記を書くのがこんな時間になってしまいました。

実はもうほろ酔いです。ビールを飲んだあとに、日本酒「謙信」を飲んでいます。そうです、この前新潟に行ったときに買ってきた日本酒です。日本酒「謙信」について詳しくはこちら。池田屋酒造株式会社 酒造、新潟県 こだわりの食材が見つかる!買える!ごちそうナビ

春日山城などの観光地をひととおり見終わってから、JRの直江津駅に戻る途中で買ったものです。小さな商店街っぽい道でした。まだ17時だったけれど、開いているお店は、新潟名物笹だんご屋さんが2軒に、酒屋さんが1軒のみ。笹だんご屋さんはいかにも観光客向け。2軒ともきれいなお店でした。しかし酒屋さんはとても観光客向けとは思えない。観光ポスターなども貼っていないし、お店内部の照明もとても暗い。いちおう自動ドアだったけれど、お店に人はいない。「すみません~」と言ったら、やっとお店のご主人らしき人が出てきてくれました。

迷わず「謙信」を手に取り、お金を払おうとしたら、「お客さん、どちらから?」と。私が「東京です」と言うと、「もう観光は終わりました?」とご主人。「ええ、春日山城に登ってきました」と言うと、「それは良かった」とご主人はにっこり。

新潟と言えば日本酒よね。「謙信」なんていう名前の日本酒をお土産にできて大満足でした。辛口でとてもおいしいです。上杉謙信はお酒が大好きだったそうですよ。謙信がお酒を飲むのに使った「馬上杯」というものが米沢の上杉博物館に残っているそうです。馬に乗ってまでもお酒を飲んでいたのですね。さて、次回の日帰り旅行は米沢にしましょうかね。
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大河ドラマ「天地人」最終回「愛を掲げよ」感想

2009年11月26日 15時23分52秒 | 大河ドラマ感想
今日の日記は大河ドラマの感想です。興味のあるかたはお付き合いください。

いよいよ最終回ですね。いやぁ、もう、タオルを手放せない回でした。兼続の息子景明の死に泣きました。そして、総集編と言ってもいいほどの回想シーン。その回想シーンのひとつひとつに泣いてしまいましたよ。信長、秀吉、三成、それから幼いころの与六と喜平次。まったくもう、NHKさん、泣きどころをわかっていらっしゃる。

家康が亡くなり、戦いのない泰平の世となった時点で、過去のことを振り返る兼続。徳川家の若い家臣たちに向かって語ります。信長のこと、秀吉のこと。ここまできて振り返ると、信長と秀吉の時代というのは、激動の時代だったと思います。

そして「関ヶ原の合戦で随一の人物と言えば?」との問いに「石田三成」と答える兼続。三成から教わったということばを語ります。

  「なによりこの日本国をみつめる目を持たねばならぬ」

しんと静かになる家臣たち。どこぞの政治家にも聞かせたいセリフです。

今回、家康が亡くなるシーンもありましたが、人間というのは死ぬときにどのようなことを思うのでしょう。死んだことがないのでわかりませんが、死ぬときには今までの人生が走馬灯のように頭に浮かぶというのは本当でしょうか。印象的なセリフは、徳川家康の跡継ぎである秀忠のセリフ。

  「父上の生涯とはなんだったのでございますか。
   愛も義もない生涯に、なんの意味があったのか」

秀忠はそう思ったのでしょうけど、家康には家康の考えがあったはずであり、死ぬときに自分の人生をどう思って死ぬのか、それは本人の心のみ感じること。兼続も「もみじになれたかのぅ」ともみじを見ながらつぶやきました。上杉家は天下を取れなかったし、越後から米沢へ移されてしまった。それでも自分のこころざしをきちんと持って、もみじのような家臣として生きてきた兼続は、きっと満足して人生を終えたのではないかと思います。

兼続とお船が杖をつきながら山を登り、眼下の景色に感動するシーンは、私も感動して涙してしまいました。つい先日、杖こそ使わなかったけれど、ぜーぜー言いながら登った春日山城からの景色を私も思い浮かべました。兼続とお船の顔はとても穏やかでした。

最後に、ドラマの最初のころ、謙信が言ったセリフをもう一度書いておきたいと思います。

  「私の考える『義』とは、人が人としてあることの美しさよ」

兼続もお船も美しかったです。私も、人として美しくありたい。そう思います。大河ドラマ「天地人」、1年間ありがとう。俳優のみなさん、スタッフのみなさん、すばらしいドラマをありがとうございました。

さて。約1年にわたり、私も毎週感想を書いてきました。書いていて、自分で楽しかったです。読んでくださったみなさん、1年間お付き合いいただき、どうもありがとうございました。来年の大河ドラマは幕末が舞台なので、ドラマは観ようと思っているけれど、ここに毎週感想を書くことはしないつもりです。幕末については自分でいろいろ書くほど知識を持っていませんので。しかし、2011年の大河ドラマは戦国時代が舞台ですね。そのときはまた感想を書くかもしれません。もしそうなったときには、よろしくお願いいたします。
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結婚14年

2009年11月25日 17時53分17秒 | 日常
今日は結婚記念日です。14年です。夫はお休みをとってくれました。ふたりでちょっと近所のイタリアンレストランに行ってきました。

結婚記念日を迎えるたびに思うのですが、「もう14年か」という気持ちと「まだ14年か」という気持ちが半々です。あっという間に14年たち、振り返れば「もう14年か」と思います。と思えば、なんだか夫とはもう100年ぐらい一緒にいるような気もする。そう思うと、「まだ14年か」と思います。

2年前の結婚記念日に、私はインフルエンザで寝込んでいたっけ。健康が一番。今日もふたりでレストランに行けたのは幸せなこと。辛口の白ワインにすっかり酔ってしまったランチでした。
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"本物の"

2009年11月24日 15時14分49秒 | 日常
春日山旅行についてはまた後日書くとして、今日はうちの近所のお店の話。

近所に和菓子屋さんがあります。ときどき和菓子を買いますが、そこのポスターに「翌日には固くなる"本物"のお団子です」と書いてあります。

そうだよな~、最近のお団子って、翌日になっても固くならないもの。妹が言ってたけど、家で手作りするパンはほっぽっておくとすぐにカビがはえるけど、買ってきたパンはいつまでたってもカビがはえないって。確かにそうだわ。

翌日になっても固くならないようにするためのものや、なかなかカビがはえないようにするためのものが、お団子やパンに含まれているっていうことよね。それって、固くならなくて便利だし、カビがはえなくてラッキーだけど、でもそれってよーく考えると怖いような気がする。

ちょっと前に読んだ「おいしいハンバーガーのこわい話」にもいろいろな添加物や香料の話が出ていたけれど、現在市販されている食べ物には本当にいろいろなものが含まれているということよね。でもそれじゃあ含まれていないものを食べましょう買いましょうとなると、うーん。かなり厳しいかも。

今度、その"本物"のお団子とやらを食べてみましょうかしらね。
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やっぱり筋肉痛

2009年11月23日 14時25分21秒 | 日常
昨日予想したとおり、今日は全身筋肉痛です。特に足。ひざ。それからおしりの筋肉。うー、参った、参った。

春日山城はネットで調べてみると、みなさん「登るのが大変!」と書いている。ヒールの靴なんてとんでもない。「山登り」をする覚悟で。ちゃんとした靴で。往復で軽く1時間は見積もって。などなど書いてある。覚悟して行きましたが、まあもう本当に大変でした。ちなみに私は往復で1時間半かかりました。

なにが大変って、きれいな階段があるわけじゃあないのですよ。足元はもちろん土そのもので、丸い木を利用して階段が作ってある。土の部分は前日が雨だったこともあってぐちゃぐちゃだし、落ち葉がたまっていてすべりやすくなっていたりする。木の部分を踏みしめながら登るにしても、木とその次の段の木が離れている部分もあって、よっこいしょとなんとか体を持ち上げて次の一段を登るかんじ。離れているかと思えば狭いところもあり、リズミカルには登れない。それがずっとずっと続くのです。

途中、直江兼続の屋敷跡やら、お花畑跡とか、見どころもあるのですが、それらをつなぐのはすべて丸い木でできた階段。やっとのことで本丸までたどりついた時には、もう足はがくがくでした。本丸までたどりついてもね、なにがあるっていうわけじゃあないのですよ。広い場所に記念碑みたいなものがいくつかあるだけ。景色がきれいなだけ。その景色を説明する看板のみ。

でもね、私はどこよりもなによりも、ここに来たかったのです。謙信がどんな景色をどんな場所から眺めていたのか。どんなところで生活していたのか。詩を詠んでいたのか。琵琶を弾いていたのか。月を見ていたのか。本丸にはなにも残っていないけれど、謙信が見たであろう光景を見ることができました。眼下には平野が開け、かなたには海も見えました。きっと本丸から、平野に育つ稲の様子を見ることができたでしょう。山に雪が降る様子や、ときには穏やかなときには荒れ狂う海を見ることができたでしょう。本丸で深呼吸をしました。来れてよかった。登れてよかった。

それにしても、私ってば、謙信の家臣にはなれないわ。太鼓が鳴って本丸に集合!なんてことになっても、かけつけられないわ。家臣のみなさんはやっぱり体力があったのね。それでなきゃつとまらないわよね。

本丸の近くには、謙信が崇拝していた毘沙門天を祀った毘沙門堂もありました。それからお花畑跡も。お花畑跡ですよ! 戦国武将の本丸そばにお花畑ですよ! 仏様などに供えるためのお花を育てていた場所らしいですが、お花畑ですよ! どんなお花が育てられていたのでしょう。謙信もみずからお花畑に行くようなことがあったのでしょうか。あったはずよね、だって毘沙門堂の隣ですもの。いやぁ、想像するだけで楽しいです。

春日山城は、謙信が存在しているあいだは、ただの一回も攻められたことのない城です。あれじゃあ攻められないわ。攻めるのも大変だわ。そう思いました。

続きはまた後日。
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春日山城

2009年11月22日 22時49分51秒 | 日常
今日はいったいどこに行ってきたかと言うと、上杉謙信が居城としていた春日山城に行ってきたのです。春日山城と言っても、城址ですが、本丸まで登ってきました。いやぁ、登るのは大変でした。明日は全身筋肉痛になっていると思われるほど、まさに「山登り」。足腰、もうがくがくです。疲れた~。詳細はまた。
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ひとり旅

2009年11月21日 18時16分42秒 | 日常
いよいよ明日は大河ドラマ「天地人」の最終回ですが、くしくもそんな明日、私はちょいとひとり旅に出てきます。「天地人」ゆかりの場です。明日はくたくたで帰ってくると思うので、詳細はまた後日。

ちなみに明日のひとり旅は、夫から私へのお誕生日プレゼントです。1日自由な時間と旅行代を出してくれるとのこと。うれしい、うれしい。楽しんでくるからね~。
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コミック「JIN-仁-」

2009年11月20日 15時16分51秒 | 
TBSで日曜日の夜に放送しているドラマ「JIN-仁-」を毎週楽しく観ているわけですが、先日、この原作であるコミックを借りてしまいました。16巻まで。

とても読みごたえがあって、続きが気になって気になって、16巻を一気に読み終わってしまったのですが、これ、まだまだ途中なんですよね。原作が終了しているわけじゃあない。16巻まで発売されているけれど、まだまだ続いている。だってねぇ、気になる部分がちょうど途中で終わっているのですよ。どうなっちゃうのよ、あれ。気になるじゃないのよ。そんなかんじです。

それから、読んでみて気がついたのですが、ドラマはだいぶ原作と変えてある部分があるようですね。なにより、主人公の仁がドラマだと若いしカッコいい。それに原作には出てこない人物もいたり。謎になっている部分が原作ではちらっとタネ明かしをしているように感じる部分もあるけれど、あれはドラマではどうやって終わらせるのかしら、などなど。

私は医療ドラマは苦手でほとんど観ません。このドラマもたびたび手術シーンが出てきて、赤色の肉なんだか臓器なんだかが画面に映りますが、それも「あ、出そうだな」と思うと、手でテレビ画面を隠して観ないようにしてしまうほど苦手です。テレビから流れる声を聞きながら、夫に「どうなった、どうなった? 手術、終わった?」などと聞く始末。もうこればっかりは苦手なんだもの、しょうがないです。

コミックではさすがに白黒なのでそこまでの苦手さはありませんが、あれがリアルにカラーだったら大変だったでしょう。

ドラマ、最後はどうなって終わるのかなぁ。仁は現代に帰れるのかなぁ。楽しみです。
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青いバッジ

2009年11月19日 15時41分32秒 | 日常
私、ひとつ勉強しました。今さらなのですが、「ブルーリボン」というものがなんであるか知りました。

よく政治家のかたがたが胸に青いリボンのようなバッジをつけているのをテレビで観て、「あれ、なんだろう?」と思っていました。

ピンクリボンとオレンジリボンは知っていました。ピンクリボンは乳がんの撲滅、それから乳がん検診を勧めるためのリボンです。オレンジリボンは、子どもへの虐待を防止するためのリボン。

ブルーリボンは北朝鮮による日本人拉致問題のリボンだったのですね。ずっと不思議に思っていたのなら早く調べればいいのに、今ごろになってやっと調べて理解しました。政治家の人たちがつけていたのは、そういう意味の青いリボンだったのですね。

他にもいろいろな色のリボンがいろいろな活動を表わすシンボルとして使われているようですね。また勉強になりました。
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のぶっち

2009年11月18日 13時21分57秒 | 日常
私が戦国時代の本をたくさん読み、戦国武将が大好きなのは、息子もわかっています。昨日テレビを観ていたら、織田信長について放送していました。息子が言いました。

「おお、のぶっち」

え、織田信長は「のぶっち」ですか。ひゃ~、楽しい、楽しい。それじゃあ、豊臣秀吉は「ひでっち」ですか。うん、楽しい。それじゃあ、徳川家康は「いえっち」ですか。うーん、呼びにくい。上杉謙信は「けんちゃん」でしょうか。それじゃあ、武田信玄は「しんちゃん」だってばよ。

私が「えーっ、織田信長は『のぶっち』なの~?」と言ったら、息子は「うーん、じゃあ『おだっち』かな。あ、でもそれじゃあ『ONE PIECE』の『尾田っち』になっちゃうなぁ」と。

いやぁ、小学生、楽しい、楽しい。
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編み物

2009年11月17日 15時28分09秒 | 日常
今日は雨のなか、地下鉄に乗ってちょっと出かけてきました。

地下鉄はそんなに混んでいなくて、立っている人もほとんどおらず、座席もぽつぽつと空席がありました。そんななか、座席で編み物をしている女性がいました。棒針編みではなくかぎ針編みだったので、両手に棒を持っているわけではありませんでしたが、うーん、地下鉄内で編み物をするのかぁと思いました。かぎ針だからオッケーなのかな。やりたい気持ちはわかります。棒針編みだったらものすごく気になるけど、かぎ針なら両側の人に迷惑がかからないからオッケーかな。どうでしょう。

そもそも、地下鉄のなかでどういう行動だったらオッケーなのか、オッケーじゃないのか。文庫本を読むのはオッケーですよね。新聞を縦に折った状態で読むのはオッケー。でもそれがエッチな新聞だったらオッケー? 週刊少年ジャンプはオッケー? ゲームはダメ? 音を消していればオッケー? 文学作品を読むソフトならオッケー? お化粧はオッケー? 髪の毛をブラシでとかして結う作業はオッケー? などなど。

編み物していた女性は私よりも年上に見えました。編んでいたのはきっと帽子だと思います。私の祖母もよくセーターを編んでくれました。今日は祖母の命日です。
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大河ドラマ「天地人」第46回「大坂城炎上」感想

2009年11月16日 15時34分05秒 | 大河ドラマ感想
今日の日記は大河ドラマの感想です。興味のあるかたはお付き合いください。

あっというまに大坂冬の陣と夏の陣が終わってしまいました。なんと言っても今回のみどころは、家康が自分の化けの皮を自分の手でやぶらざるを得なかったところでしょう。やっと認めましたね、家康。

  「約束などは昔のこと。
   守ろうなどとは はなから思うておらぬ」

言いましたね、遂に。兼続の前で。自分の息子の秀忠の前で。まわりの者も、他の武将も、息子も、もちろん兼続も、家康が腹のなかではそう思っていることなどわかっていたはず。それを敢えて息子の前で言わざるを得なかった家康。そこへ追い込んだ兼続。そんなかんじでしょうか。もちろん、だからと言って誰かが文句を言うわけでもない。誰かが責めるわけでもない。誰かが攻めてくるはずもない。痛くもかゆくもない。

でもね、人間としてどうなのよ、と思います。兼続は秀忠の前で、それを明らかにしたかったのではないでしょうか。だからこそ、秀忠の世には期待すると言ったのではないでしょうか。それはつまり、家康という人間のことはよくわかっているということ、家康には期待していないということなのでしょう。それはきっと、関ヶ原の戦いの前に「直江状」をつきつけたときの気持ちと同じなのだろうと思います。

そういう場面から続いて、千姫救出という場面になるのだと思いますが、今回の千姫救出はドラマすぎると思います。どの本だったか、千姫救出は家康の命令であり、確か救出した武将の名前も残っていたはず。今回のように兼続と幸村が助けたというのは、ドラマすぎると思います。

しかし、兼続と幸村がこっそりと会っていたというのは、アリ、だと思います。冬の陣から夏の陣まで期間があるし、もう豊臣方に勝ち目がないことはわかっていたし、豊臣方の浪人が街をうろうろしていても大丈夫だったらしいです。ああやって人知れぬ場で会っていた可能性はアリでしょう。別れのシーンは切なかったですね。涙がこぼれました。幸村、カッコよかったです。

いよいよ来週は最終回です。大坂城も燃えてしまったから、いったいどのシーンで終わるのでしょうね。楽しみにしています。
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