管理人ぎんなんの日記

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大河ドラマ「天地人」最終回「愛を掲げよ」感想

2009年11月26日 15時23分52秒 | 大河ドラマ感想
今日の日記は大河ドラマの感想です。興味のあるかたはお付き合いください。

いよいよ最終回ですね。いやぁ、もう、タオルを手放せない回でした。兼続の息子景明の死に泣きました。そして、総集編と言ってもいいほどの回想シーン。その回想シーンのひとつひとつに泣いてしまいましたよ。信長、秀吉、三成、それから幼いころの与六と喜平次。まったくもう、NHKさん、泣きどころをわかっていらっしゃる。

家康が亡くなり、戦いのない泰平の世となった時点で、過去のことを振り返る兼続。徳川家の若い家臣たちに向かって語ります。信長のこと、秀吉のこと。ここまできて振り返ると、信長と秀吉の時代というのは、激動の時代だったと思います。

そして「関ヶ原の合戦で随一の人物と言えば?」との問いに「石田三成」と答える兼続。三成から教わったということばを語ります。

  「なによりこの日本国をみつめる目を持たねばならぬ」

しんと静かになる家臣たち。どこぞの政治家にも聞かせたいセリフです。

今回、家康が亡くなるシーンもありましたが、人間というのは死ぬときにどのようなことを思うのでしょう。死んだことがないのでわかりませんが、死ぬときには今までの人生が走馬灯のように頭に浮かぶというのは本当でしょうか。印象的なセリフは、徳川家康の跡継ぎである秀忠のセリフ。

  「父上の生涯とはなんだったのでございますか。
   愛も義もない生涯に、なんの意味があったのか」

秀忠はそう思ったのでしょうけど、家康には家康の考えがあったはずであり、死ぬときに自分の人生をどう思って死ぬのか、それは本人の心のみ感じること。兼続も「もみじになれたかのぅ」ともみじを見ながらつぶやきました。上杉家は天下を取れなかったし、越後から米沢へ移されてしまった。それでも自分のこころざしをきちんと持って、もみじのような家臣として生きてきた兼続は、きっと満足して人生を終えたのではないかと思います。

兼続とお船が杖をつきながら山を登り、眼下の景色に感動するシーンは、私も感動して涙してしまいました。つい先日、杖こそ使わなかったけれど、ぜーぜー言いながら登った春日山城からの景色を私も思い浮かべました。兼続とお船の顔はとても穏やかでした。

最後に、ドラマの最初のころ、謙信が言ったセリフをもう一度書いておきたいと思います。

  「私の考える『義』とは、人が人としてあることの美しさよ」

兼続もお船も美しかったです。私も、人として美しくありたい。そう思います。大河ドラマ「天地人」、1年間ありがとう。俳優のみなさん、スタッフのみなさん、すばらしいドラマをありがとうございました。

さて。約1年にわたり、私も毎週感想を書いてきました。書いていて、自分で楽しかったです。読んでくださったみなさん、1年間お付き合いいただき、どうもありがとうございました。来年の大河ドラマは幕末が舞台なので、ドラマは観ようと思っているけれど、ここに毎週感想を書くことはしないつもりです。幕末については自分でいろいろ書くほど知識を持っていませんので。しかし、2011年の大河ドラマは戦国時代が舞台ですね。そのときはまた感想を書くかもしれません。もしそうなったときには、よろしくお願いいたします。
コメント (2)
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