源ザの独り言日記

日々あったこと、感じたことを気軽に書き込みます。

桜のトンネル花吹雪、梨の花満開、ミニ菜園雑草繁茂、変異型コロナ感染者増加 /ブラジル・ボルオナロ大統領ご乱心

2021-03-31 21:17:26 | Weblog
今日は期末最終日のため、図書館など公共施設は休館のため、午前中はババと松戸のATMに車で出かけた。途中、八柱霊園通りの桜のトンネルで思いかけず花吹雪に出会った。今年は水戸・偕楽園駐車場付近の公園で見事な満開の桜をたっぷり堪能してきたので、地元の桜並木をすっかり忘れていた。ATMの帰り、松戸南部卸センターの八百屋さんに寄ったら休みで残念。卸センター全体が早仕舞いの様子で活気が感じられない。どうやら期末が関係しているらしい。次は近くのGHCでババがメダカ用ホテイアオイとトマトや茄子などの野菜の苗を買い込んだ。昼食のため地元のGSCに向かうと何時ものルートである狭い市道が水道管の取替え工事で通行止め。仕方なく県道を使ったら大渋滞。GSCでの昼食はババが体調不十分のため、1階と2階とに分かれてとった。午後、一段落してミニ菜園に出かけ、苺コーナーとアプローチの雑草を1時間半かけて抜き取った。初夏の陽気と鎌で雑草をかき出す作業で、汗を掻くは、腰が痛くなるはで閉口した。桜吹雪と相まって、梨の白い花が満開となってきた。今年は豊作に成りますよう、祈った。
 厚生労働省は31日、遺伝子解析で確定した変異型の新型コロナウイルスの感染者数(30日時点)が、34都道府県で678人、空港検疫で123人の計801人だったと発表した。前週の23日時点から、愛知、福井、三重、奈良、和歌山、高知、福岡、大分の8県で新たに変異型の感染者が確認されるなど計152人増えた。都道府県別では、兵庫県が最多で前週比20人増の181人、次いで大阪府が同25人増の130人、埼玉県が同1人増の59人、北海道が同25人増の38人だった。一方、簡易検査での変異型の陽性者は、30日時点で累計1200人(速報値)だった。これらの検体は順次、遺伝子解析され、確定値とし計上される。

<ブラジル・ボルオナロ大統領ご乱心>
ブラジル国防省は30日、陸海空軍トップを一斉に交代させることを明らかにした。有力紙フォーリャ・デ・サンパウロによると、3人は、ジャイル・ボルオナロ大統領がフェルナンド・アゼベド国防相を事実上更迭したことに反発していた。アゼベド氏は29日、理由を明かさずに辞意を表明した。フォーリャ紙によると、アゼベド氏は最近、新型コロナウイルス感染防止策の重要性について報道機関に語った軍幹部の更迭をボルオナロ氏から求められ、断っていたという。

呆れた厚生職員、黄砂到来か /スエズ運河離礁に成功

2021-03-30 21:16:49 | Weblog
朝のストレッチは暖かいが曇りがちな天気の中で行った。ラジオニュースで昨日、厚生省介護担当職員23人が銀座で送別会を開いていたこと知り、28日にコロナ禍の緊急事態宣言が解除されてとはいえ、余りにも庶民を見下した行為に嫌悪感の覚えた。午前中「まなびいプラザ」、午後、「学習室と図書館」で過ごし、早めに帰宅すると孫娘が読者会員登録書を取りに来た。夜のストレッチの際、夜空全体が薄黄色の靄に覆われていて異様な気分にさせられ、途中で目の異常を感じた。先日中国黄土高原で舞い上がった黄土がいよいよ日本に到着したようだ。
(世耕弘成参院幹事長大いに怒る)
自民党の世耕弘成参院幹事長は30日の記者会見で、厚生労働省の職員23人が東京都による営業時間の短縮要請が継続していた24日の深夜に、東京・銀座の飲食店で会食していたことが判明したことについて「(昨夕に)第一報を聞き、人数、時間のオーバー具合に怒りに震えた。とんでもないことをしたと思っている」と述べた。世耕氏は、会食をしていたのが老健局職員だったことに触れ「(老健局は)全国の老人福祉施設などを管轄している。施設で働く皆さんは飲み会どころか外食もやっていない。細心の注意を払って高齢者の生命を守るために汗をかいている」と強調。「(会食に参加した)指導的立場にある人間はもう職務遂行不可能ではないか。全国の施設に指示や行政指導なんてできない」と語気を強めた。その上で、世耕氏は「厚労省にはしっかりとけじめをつけてほしい」と処分を求めた。(サンケイ)
(処分)
厚生労働省は30日、会合を主催した老健局の老人保健課長を大臣官房付に異動させ、実上更迭する方針を固めた。田村憲久厚生労働相も2カ月分の給与を自主返納する。複数の与党関係者が明らかにした。老人保健課長は減給10分の1(1カ月)の懲戒処分とするほか、会合に参加していた職員19人についても訓告や厳重注意などの処分を行う。(サンケイ)

<スエズ運河離礁に成功>
エジプトのスエズ運河で正栄汽船(愛媛県今治市)所有の大型コンテナ船「エバー・ギブン」が座礁した事故で、スエズ運河庁は29日、船の離礁に成功し、運河の通航を再開したと発表した。運河庁は、待機していた船舶が約3日半で運河をすべて通過するとの見方を示した。29日に記者会見した運河庁のオサマ・ラビア長官によると、座礁船は29日午後3時頃、大型タグボートによる作業の結果、運河両岸の中央付近に戻った。船はその後、紅海側と地中海の中間あたりに位置するゲレートビター湖に入った。燃料漏れやコンテナの損傷は確認されていない。他の船舶の通航は29日午後6時に始まった。家畜を積んだ船が優先されたという。紅海、地中海、ゲレートビター湖などで足止めされた船は422隻に上った。運河庁は24時間態勢で船舶を通過させる方針で、30日午前8時(日本時間30日午後3時)までに113隻の通過を終えたい意向だ。スエズ運河は海運の大動脈で、世界の貿易量の約1割が通る要衝で2015年に運河の拡張工事が終わってから、少なくとも計8件の船舶事故があったが。全面的な封鎖は今回が初めてだ。エジプトにとってスエズ運河は、年間約60億㌦(約6600億円)の外貨を稼ぎ出す重要施設だけにエジプト政府は「全面的な封鎖は極めてまれだが、どの海路でも起こり得る」と火消しに懸命という。ラビア氏によると、事故による損失額は1日あたり1500万㌦(約16億円)とみられる。ラビア氏は「事故調査によって、誰が負担すべきか、明らかになる」と述べた。(ヨミウリ)関係者は、正栄汽船は、船体や積み荷については日本の複数の保険会社と1億㌦(約109億円)以上の保険契約を結んでいるとされる。だが、運航で生じた損害などを補償する保険が適用されるかは不明で、賠償規模などを巡って争いになる可能性もあるようだ。日本の海運業界では29日午後5時時点で、日本郵船や川崎汽船などが共同出資コンテナ船運航会社オーシャンネットワークの計5隻が足止めされている。商船三井も自動車や鋼材運搬船など通航待ちが7隻に拡大したという。



朝のストレッチ公園は湖、青空に桜吹雪/ミャンマー国軍が少数民族居住地域空爆

2021-03-29 21:29:05 | Weblog
昨夜の大雨で朝のストレッチの公園は全体が湖状態になっていた。午前中「まなびいプラザ」、午後は諸田玲子著「幽恋舟(上)」を持って学習室で1時間半ほど過ごした。行き帰りの緑道で青空のもと桜吹雪に見舞われた。夜のストレッチでは丸い大きなお月様に薄い靄が掛かっていて、朝からの天気が下り坂を暗示していた。

<ミャンマー国軍が少数民族居住地域空爆>
クーデターで実権を握ったミャンマー国軍が南東部カイン州の少数民族居住地域で空爆を行い、29日までに住民約3000人が東側のタイに避難した。国軍はデモ隊弾圧と同時に、クーデターに反発する少数民族への圧力も強化。国境を越えた避難は増加する恐れがある。29日も国内ではデモが続いた。地元人権団体によると、弾圧の死者は28日時点で459人。同日には北西部モンユワで、負傷者の手当てをしていた看護師の女性(20)が頭部を撃たれて死亡した。ミャンマーメディアによると、カイン州の空爆は27日夜から28日未明に実施され、武装勢力「カレン民族同盟」(KNU)の拠点が標的となった。KNUは地元に居住するカレン族の自治権拡大などを求め、国軍と長く対立。クーデターにも反発し、国軍の食料輸送を妨害しているほか、弾圧を受けた民主派勢力の一部を保護している。
28日には国内の別の地域で国軍と少数民族武装勢力の衝突が発生した。国軍内部には武装勢力からデモ隊への武器供与を警戒する声もあり、恭順の意を示さない勢力には武力を行使する姿勢を見せている。(サンケイ)

来るものが来たか認知症、照ノ富士優勝で大関復帰か/米投票集計機メーカーFOXニュースに賠償訴訟

2021-03-28 20:39:11 | Weblog
天気予報通り、曇りがちな朝となった。朝食後、陽が差してきたので「まなびいプラザ」に出かけたが、早くも帰りは雨となり、置き傘を借りて帰宅した。昼食後、水戸・那珂湊Dr日記を書き足して、Drのお土産を娘宅に届けながら、図書館に出向いた。娘からSNSで依頼した新聞ニュースの登録の通知知らせの有無を聞いてきた。当方はSNSで通知が来るものと考えているので来ていないと返信したが、直ぐに7日ほど前、記憶にない登録ハガキが舞い込み、最近の詐欺ハガキとして仕舞い込んでいたことを思い出した。帰宅してハガキを見直すと、娘から依頼されていた登録通知と知った。最近、思い込みによる失念と突然の物忘れで右往左往することが多く、車の駐車が雑になったことなど不安になっているのが現実味を帯びてきた。いよいよ来るものが来たのではと観念した。
(照ノ富士優勝で大関復帰か)
今日(28日)千秋楽を迎えた大相撲春場所を12勝3敗で制し、大関復帰を確実にした照ノ富士。表彰式のインタビューでは「ほっとしています」と率直な心境を語るとともに、「皆さんのおかげで元の位置に戻ることができました」と一足早い、復帰報告も行った。優勝については「そんなに意識していなかったが、(首位に)並んだ時から、もしかしたら、もう一回、できるんじゃないかと、最後の方はちょっと意識してしまった」と話した。膝のけがや糖尿病などで、大関から一時は序二段まで落ちた照ノ富士。これまでの苦労について尋ねられると「一日、一日、必死で、こういう日が来ると信じてやってきた。よかったです」とこみ上げるものをこらえながら話した。一時は引退も考えるほど苦しんだが、そんなときに支えになったものを尋ねられると、「(テレビ)番組でいっぱい出ているから、毎回、言うことではないんですけど、皆さんのおかげで戻ることができました」と回答。さらに、大関だった頃と比べて変わった点を尋ねられると「そんなに変わっていないと思う」と言い、会場の笑いを誘った。最後は「一場所一場所、1日1日、集中していい相撲を取って、いい姿を見せられるように頑張りたい」と力強く、より一層の活躍を誓った。(ヨミウリ)
<米投票集計機メーカーFOXニュースに賠償訴訟>
昨年11月の米大統領選で、集計機の操作による大規模な選挙不正があったとの虚偽の報道で名誉を傷つけられたとして、米投票集計機メーカー「ドミニオン・ボーティング・システムズ」は26日、米FOXニュースに約16億㌦(約1756億円)の損害賠償を求める訴訟を東部デラウェア州の裁判所に起こした。虚偽報道は、大統領選で敗れたトランプ前大統領やその支持者の歓心を買い、視聴率を稼ぐのが目的だったと指摘している。ドミニオン社は訴状で、FOXニュースの報道により、同社が民主党のバイデン候補(当時)を勝たせるために製品のソフトウエアを操作した▽製品の採用をめぐり政府当局者との間に不正があった▽同社を所有しているのはベネズエラのチャベス独裁政権の選挙不正に関与した企業である-などの誤った情報が拡散されたと主張。ロイター通信によると、FOX側は「大統領選の報道内容に誇りを持っている」として争う姿勢をみせた。
ドミニオン社はこれまでも、虚偽情報や陰謀論を拡散させたなどとして、トランプ陣営に参加していたパウエル弁護士や、トランプ氏の個人弁護士であるジュリアーニ元ニューヨク市長にそれぞれ約13億ドルの損害賠償訴訟を起こしている。

佐倉チュウリップ畑と遊覧船/ミャンマー国軍記念日も抗議デモで死者

2021-03-27 22:56:42 | Weblog
朝から無風快晴となったので、印西のGHCでの給油のこともあって、少々佐倉の・チュウリップ祭りには少々早いが車で出かけた。すっかり忘れていたが、国464号沿いの桜並木を満開で驚かされた。そのためかいつもより乗用車が多いようだ。佐倉のチュウリップ畑までは約1時間。期待していなかったがチューリップ畑は満開で多くの観光客が来場していた。印旛沼では佐倉高の漕艇部員がカヌーの練習をしていて、初めて出会うことができた。今年のチューリップ畑は小学校や企業のコーナーがコロナ禍のために参加しなかったためか例年要理狭い範囲での開催となりそうだ。当方、毎回、遊覧船の乗船したいと思っていたので案内所に行くと11時半出航の6人乗船に1人空きがあるとのことでババに断って乗船した。往復500円。通常は12人乗りだが、緊急事態宣言のこともあり時間通り6人が揃い出発。どこからともなく鶯の声が聞こえ、川面には川鵜などが飛びはね、海カモメが挨拶にやって来た。遊覧船のアシスタントが毎回食パンを千切って与えているという。快晴だが川面に吹く風は流石に冷たい。印旛沼は深さが1.5~2.0mと浅く、渇水期は遊覧船は休業という。当方が遊覧船楽しんでいる間、ババは夕食の突き出しに土手のつくしを採集していたという。次に予定していた佐倉城址の日本桜園を諦め、印西のGHCに目指すことにしたが、途中で昨年秋訪れた「コスモス畑」を経由しようとしたら、予想外のルートに入り込んで仕舞、予想外のロスタイムとなってしまったが、どうにか印西のGHCにできたのはラッキーだった。ババが目指した干し網ネットや当方の歯間ブラシなどを買い求め、給油とタイヤ圧をチエックし国464号で満開の桜に見送られスムースに市内に入り、食料品を買うために寄ったSCの駐車場の出口で手間だったが無事15時半帰宅した。夜のストレッチは小さなまん丸なお月様に薄い雲が被さっていて明日の天気を象徴していた。
(追記)
4.7の毎日に3日から始まった佐倉のチューリップ祭りについて、例年100種類、約80万本のチューリップを楽しんでもらっているが、今年は新型コロナウイルス感染が収まる気配がないため、40種類約30万本となったという。1989年開始から33回目という。
(各地の観光地は観桜客で大賑わい)
新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言が首都圏の4都県で解除されて初の土曜日となった27日、関東地方などの桜の名所では、本格的な開花シーズンを迎えた。花に誘われて人出が増えているが、政府や各自治体は、今年は宴会なしで、人との距離を保って楽しむよう呼びかけている。緊急事態宣言解除後初の土曜日、桜が満開の上野公園では多くの人たちがマスク姿で花を楽しんでいた。 東京都台東区の上野公園では27日午後、暖かい日差しの下、大勢の人がマスク姿で歩きながら、満開の花を眺めていた。花を撮影しようとすると、警備員が「止まらずにお進みください」と促し、密集しないようにしていた。 観光客1人は「すごく混雑しているので驚いた。今日は早々に帰って、近所の桜を楽しみたい」と話した。IT企業「アグープ」のデータによると、前日の26日午後3時台の人出は、調査対象とした関東以西の桜の名所18地点すべてで、宣言解除直前の19日より増加。上野公園は1割増で、目黒川桜並木(目黒区)は2割、千鳥ヶ淵(千代田区)は9割増えた。感染防止のため、都は全ての都立公園で宴会や会食を禁止し、一部の公園では桜の周辺に立ち入らないようネットを張っている。
<ミャンマー国軍記念日も抗議デモで死者>
国軍がクーデターで実権を握ったミャンマー各地で27日、兵士らがデモ隊を銃撃するなどし、地元メディア「ミャンマー・ナウ」によると、市民114人が殺害された。2月1日のクーデター以来、1日の死者数としては過去最悪。27日は国軍記念日で、軍当局が重要視する式典が行われ、反発する抗議デモが相次いでいた。国軍は非武装のデモ隊を銃弾で排除する姿勢を崩さず、内外の批判はさらに拡大しそうだ。最大都市ヤンゴンや第2の都市マンダレーのほか、地方都市でも多数の犠牲者が出た。中部では銃撃で14歳の少女が死亡した。国軍は式典の実施を通じて内外に統治能力をアピールしたい思惑があり、26日夜には国営テレビを通じ、「(デモ参加者は)頭部に銃撃を受ける危険性がある」と警告していた。首都ネピドーで行われた式典で演説した国軍トップのミン・アウン・フライン総司令官は、アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が大勝した昨年11月の総選挙で「不正があった」と改めて主張。クーデターは「避けられなかった」とも話し、権力奪取を正当化した。この日は軍事パレードも行われ、兵士ら約8人が参加した。式典には例年、各国の駐在武官らが出席するが、今年は日本を含む多くの国が欠席した。代表を派遣したのは国軍批判を避けるロシアや中国など8カ国にとどまった。(サンケイ)

午前は快晴、午後寒風強し、映画「哀愁」、プロ野球開幕/スエズ運河座礁で150隻以上が足止

2021-03-26 22:07:12 | Weblog
朝のストレッチから快晴となったが、午後から寒風が吹き抜けて行く1日となった。午後の学習室では諸田玲子著「幽恋舟(上)」を持ち込んで読み始めた。録画しておいた映画「哀愁」を3日間かけて見終えたがモノクロ画面だが感激した。夜のストレッチも寒風が収まらないなかで行った。セ・パ両リーグがこぞって開幕した。新型コロナウイルスの影響下で2年目となる今季も入場制限者数などの制限があるが、上限はあるが今後の感染状況の応じ球場ごとに決定されることになった。自治体からの営業時間短縮要請のため両リーグとも延長戦は行わず、首都圏1都3県でのナイターは当面は開始時間を繰り上げ、午後6時より開始される。また、昨年、120試合制に短縮されたレギュラーシ0ズンは、例年通り143試合制に戻る。東京ドームの巨人ー横浜DeNA戦は9回、代打・亀井善幸選手がサヨナラホームランでサヨナラ勝ちとなった。観客は上限の1万人。
(映画「哀愁」ストーリ)
英独開戦の日。イギリスがドイツへ宣戦布告し、開戦により慌ただしくなるロンドンの街。ロイ・クローニン大佐はフランスへ赴くことになる。駅へ車で向かう途中、彼はウォータールー橋へ立ち寄ると、運転手に橋の向こうで待つように告げて歩き出す。その手には幸運のお守りのビリケン人形があった。ロイはその人形を見つめ、彼がまだ大尉であった時に出会ったあるバレイの踊り子の事を思い出す。
舞台は、第一次世界大戦中に遡る。ロンドン市内には空襲警報が鳴り響いていた。イギリス軍将校のロイ・クローニン大尉(ロバート・ティラー)とバレイの踊り子マイラ・レスター(ヴィヴィアン・リー)はウォータールー橋でめぐり会う。空襲警報で逃げ遅れたマイラとともに、2人は地下鉄の駅へ逃げ込み体を寄せ合う。明日戦地へ向かうというロイに、その夜、劇場での公演があるマイラはビリケン人形を渡す。ロイは大佐との食事があると告げてマイラと別れるが予定を変更し、マイラが出演するオリンピック劇場へと足を運び、彼女の演技(『白鳥の湖』)を鑑賞した後、食事へ誘おうと彼女に手紙を出す。しかしマイラが所属するバレエ団では団長のマダム・キーロワが目を光らせており、そういった色恋事が禁じられていたのだ。手紙の返事として食事の誘いを断る旨をマイラは書かされたが、友人キティの機転によりロイと食事が出来る事になる。レストラン「キャンドルライト・クラブ」で待ち合わせたロイとマイラは、楽しいひと時を過ごし、閉店前の最後の曲として『別れのワルツ』(「オールド・ラング・サイン」/「蛍の光」のアレンジ)が流れる。演奏の終わりに近づくにつれ、楽団は少しずつキャンドルを消していく。2人はダンスをしながら、ついに口づけを交わす。その帰り道で2人はもう会えないだろうと話す。その際にロイはマイラに彼女が「人生に何も期待していないのではないか」と問う。マイラはその理由が「例え誰かを好きになったとしても、結局は戦争によって離れ離れになってしまうから」とロイに告げる。翌日、雨が降りしきる中、マイラが窓の外を見るとフランスへ向かったはずのロイの姿が目に入る。驚いた彼女は大慌てで支度をし、ロイの元へ駆け寄る。彼はフランス行きが2日延期になったことを告げ、マイラに結婚しようと話す。急な事でためらうマイラをよそに自分の気持ちはもう決まっているとロイは伝える。将校は勝手に結婚できないため、上官に報告するため兵舎に向かう。そこで、彼の上官で連隊長の叔父の許可を得る。指輪と花を購入して聖マタイ教会へと向かう。ところが、牧師の説明で「午後3時以降はできない」という法律によってこの日の結婚は叶わず。式は翌日11時に行うことを約束する。マイラは友人キティと踊り子仲間に明日結婚することを報告して、劇場に向かおうとするも、ロイからの連絡が入る。突然の召集でロンドンを急に発ち、戦場へ向かうことが告げられる。公演に間に合わないが、ロイを見送るためにマイラはウォータールー駅へと向かう。ロイが乗る列車が出発した直後に駅に到着し、プラットフォームを駆け出して車中のロイを見つけるも、お互い一声かける程度しか会えなかった。悲しみの中、マイラは公演所へと赴くも、バレエ公演には遅刻する。そこでマイラは彼女を庇ったキティとともにマダム・キーロワから解雇されてしまう。マイラとキティの2人は仕事が見つからず、生活は貧しかった。ある日、ロイの母であるマーガレット夫人(ルシル・ワトソン)が赤十字病院の仕事を休んで、ロンドンに上京し、マイラに会いに来るという。マイラは精一杯身なりを整えて、喫茶店で待ち合わせるが、たまたま目にした新聞にはロイの戦死の情報が載っていた。気絶して目覚めた後に、ロイが戦死したことをまだ知らないマーガレットと会うが、動揺しているマイラは「ロイのことを話す必要ない」という態度を取ってしまう。マーガレットはそんなマイラを好ましく思わず、またの機会にと告げてその場を去る。希望を失い、貯金が尽きてきたマイラはキティがどの様にお金を稼いでいるのか疑問を抱く。ロイの事があってから調子が優れなかった彼女のためにキティが娼婦として稼いでいた事を知ったマイラは、自分自身が死んでしまえばと思うようになるまでに気が滅入ってしまう。ウォータールー橋にたたずんでいたマイラは、声をかけてきた男に虚ろな瞳で応え、ついに娼婦に身を落とす。そしてある日、いつものように客を探していた駅で目にしたのは、戦死したはずのロイの姿だった。偶然の再会を喜ぶロイに対し、マイラは号泣する。ドイツの収容所に送られたがスイスに脱走したこと、母親も来てくれたこと、連絡がつかなくて不安だったことをロイは話す。つらい思いを経験したマイラに、ロイは「今後はこれからは安心して暮らせる」「これから泣くのは幸せな時だけだ」と話す。マイラには娼婦になったという影が付きまとい、ロイにその事を言えずにいた。ロイの強い説得で、マイラはロイと結婚することを決意し、キティに別れを告げてロイの故郷スコットランドへと赴く。ロイはマイラを屋敷に招待し、母マーガレットや執事、そして叔父の公爵に会わせる。マイラはロイの家族の優しさや暖かさに触れ、次第にクローニン家へ受け入れられていくのを感じる。夜には舞踏会が開かれ、思い出の曲「別れのワルツ」の中、マイラはロイとの幸せを強く噛みしめる。しかし、過去を拭い切れず、優しくされる一方で罪悪感を募らせていく。そして舞踏会の晩、マイラはマーガレットに全てを打ち明ける。マーガレットはそんな彼女を受け入れようとする。夫人の部屋から出たマイラはロイと会う。ロイは彼女に、これからは一心同体だという思いを込めてビリケン人形を返す。しかし、マイラはロイに置き手紙を残し屋敷を去り、ロンドンへ帰ってしまう。マイラを追ってロンドンに戻ったロイは彼女の下宿先を訪ねる。しかしそこにマイラの姿はなく、彼女の友人であるキティと再会する。マイラにどんな秘密があろうとも、それでも彼女を捜し出すと訴えるロイを、キティはマイラのいる可能性のある場所に連れて行く。場末の酒場や、いかがわしいダンスホール、そしてウォータールー駅など、ロイはマイラの身に何が起きていたかをようやく理解し、彼女がもう二度と自分の前に現れないことを悟る。その頃、マイラは当てもなく歩いた後、ロイと初めて出会ったウォータールー橋に来ていた。その目にかつて抱いた希望の光はなく、吸い込まれるように彼女は軍用トラックに身を投げて自ら命を絶ってしまう。事故現場にはあのビリケン人形が落ちていた。再び1939年、ロイは「私が愛しているのは、これからもずっとあなただけ。それが真実。」という彼女の言葉を最後に思い返す。そして貰った幸福のお守りを手に、マイラとの思い出の場所であるウォータールー橋を後にする。

<スエズ運河座礁で150隻以上が足止>
23日、エジプト北東部のスエズ運河で日本のコンテナ船「エバーギブン」が航路をふさぐ形で座礁し、他船が通過できなくなっている事故で地元当局が25日夜(日本時間26日午前)も離礁作業を続けているが全長400㍍の巨大な船体が岸に接したまま動かず、復旧は難航。運河内や周辺では150隻以上が足止めされている。運河庁によると、オランダの専門救助チームが当局の作業に加わり、タグボートでのけん引や岸に接した船首付近の土の除去、運河の底の土砂をすくうなどして船体の移動を試みている。運河庁幹部は25日、日本の専門業者も合流する見通しだと明らかにした。一方、チームを派遣したオランダ企業は同国メディアに対し「状況次第で作業は数日から数週間かかる可能性がある」と説明した。地元メディアなどによると、作業は満潮の時間帯に集中して実施。重い船体を浮き上がらせるためコンテナを降ろしたり、船体を安定させる目的で積まれている「バラスト水」を抜いたりする案も検討されている。(サンケイ)
29日、スエズ運河庁は座礁した正栄汽船(愛媛県今治市)所有の「エバー・ギブン」が浮上したと発表した。運河通航の正常化に向け、大きく前進した。運河庁によると、水位が上昇する満潮に合わせて、29日未明から大型タグボート10隻を使って離礁作業を行っていた。その結果、岸から4mだった船尾の位置を102mまで動かすことに成功した。船体は8割方正常な方向に戻ったという。再び潮位が上がる29日昼前(日本時間29日夕)、船首の向きを変えて船体を運河の中央に戻す作業を再開した。アブドルファタハ・シシ大統領は29日、「座礁による危機を乗り越えるのに成功した」とツイッターに投稿した。「エバーギブン」は23日に運河をふさぐ形で座礁しが、スエズ運河庁は当初、砂嵐による視界不良と強風が原因と発表していたが、パイロットの人的ミスの可能性も指摘されている。事故で運河の通航が停止し、紅海や地中海などで船舶約370隻が待機している。通航が再開されても、全ての船舶が通過し終わるまでには時間がかかるとみられる。(ヨミウリ)

聖火リレースタート、満開に桜に矢来の雨 /北朝鮮の弾道ミサイル発射背景

2021-03-25 20:40:38 | Weblog
朝方の晴れ間が時間を追うごとに雨模様になり、午後「図書館」に出かけようとしたら小雨となった。今週は庭の枝垂桜を始め、公園や緑道、校庭の桜が満開になり、春爛漫になっていたが、今日は雨に打たれてうな垂れている。この調子で良くと入学式には桜吹雪になってしまうのではと心配になる。
今日、東京五輪の聖火リレーが福島県のサッカ-施設「Jヴィレッジ」から始まった。新型コロナウイルスの感染防止策を取りつつ、約1万人の走者が121日かけて全国859市区町村を巡る。トーチカでつながれた聖火は、7月23日の開会式で国立競技場(都新宿区)の聖火台にともされる。

<北朝鮮の弾道ミサイル発射背景>
北朝鮮は今朝、約1年ぶりに弾道ミサイルを発射し、本格的な軍事的挑発を再開させた。弾道ミサイルは午前7時4分と23分、北朝鮮の東海岸から東方向に発射され、高度100キロ未満で約450キロ飛行した。日本の領海とその外側の排他的経済水域(EEZ)には到達せず、付近を航行する航空機や船舶への被害は確認されていない。1月の米バイデン政権発足後初めて。1月の朝鮮労働党大会で金正恩総書記が宣言した軍備増強路線を目に見える形で示し、バイデン米政権に、核・ミサイル開発では一歩も引き下がらない姿勢を見せつけたといえる。対北朝鮮政策の見直しを進めるバイデン政権の機先を制そうとする狙いも垣間見える。北朝鮮は、低空を滑空するなどして迎撃が難しい複数の新型短距離弾道ミサイルの発射実験を繰り返し、開発を加速させてきた。だが、昨年3月29日を最後に弾道ミサイルの試射がぴたりと止んでいる。一つには、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で軍部隊の演習自体がままならなくなったという事情があるようだ。金氏自身、公の場に一時、姿を見せなくなり、健康不安説まで浮上した。さらには、昨年11月の米大統領選への影響を考慮したとみられる。あからさまな軍事的挑発を続けると、金氏が親交ぶりを誇示してきたトランプ前大統領の足を引っ張るとの計算が働いた可能性がある。バイデン氏が当選を確実にした後も北朝鮮メディアによる対米非難を封印し、米新政権の出方をうかがってきた。金政権が本格的な挑発再開の契機と位置づけていたのが、米韓両軍が今月8~18日に韓国で行った合同指揮所演習だったと考えられる。北朝鮮で対米外交を担う崔善姫(チェ・ソンヒ)第1外務次官は17日付談話で、米韓演習を非難し、米国が北朝鮮への「敵視政策を追求する中で、われわれが何をするかよく考えてみる方がよい」と指摘。「われわれは既に強対強、善対善の原則で米国を相手にすると明言している」と警告した。金氏は1月の党大会で「新たな朝米関係樹立の鍵は、米国が敵視政策を撤回することにある」とし、この「強対強」の原則に言及していた。つまり「圧力には圧力」といった「行動対行動」でバイデン政権に対処するとの宣言だ。敵視政策撤回とは、米韓演習や米戦略兵器の韓国での展開にとどまらず、究極的には在韓米軍の撤退を指すとも読み取れる。(サンケイ)
朝鮮中央通信は26日、北朝鮮の国防科学院が25日に「新型戦術誘導弾」の試験発射に成功したと報じた。25日に日本海に向けて発射した2発の短距離弾道ミサイルを指すとみられる。朝鮮中央通信は、「低高度滑空跳躍型飛行方式の変則的な軌道の特性」を持つ誘導弾が海上600Km水域の目標を捉えた、としている。弾頭の重量を2.5 tに改良し、奇襲攻撃が可能な「固体燃料ロケットエンジン」の改良型の信頼性を実証したという。今回のミサイルは、北朝鮮が2019年5月から相次いで発射した「イスカンデル」型だった可能性があるとのこと。(ヨミウリ)

夜間無灯火自転車、横綱・鶴竜引退と平成の三四郎死去 /北朝鮮ミサイル2発発射

2021-03-24 20:34:40 | Weblog
今日は晴れたが風強し1日となった。朝、夜のストレッチと午前「なまびいプラザ」、午後「図書館」の生活に戻った。夜のストレッチから戻る途中、猛スピードで左折してきた幼児を乗せた無灯自転車とぶつかりそうになった。接触事故となれば、当方の怪我だけでなく幼児は大きなダメージを受ける懸念があったので最近の若い父親の無謀さに呆れた。当方がジョギング中なれば接触は避けられないと思うとゾ~とする。大相撲第71代横綱・鶴竜(35、モンゴル出身、陸奥部屋)の引退が24日、日本相撲協会理事会で正式に承認された。進退をかけた臨む予定だった今春場所も場所前の稽古中の左脚の負傷で全休し、5場所連続休業となっていた。鶴竜関は引退後5年間は年寄名跡がなくとも現役のしこ名で親方となれる特権があり、当面は「鶴竜親方」として後進の指導に当たる。25日に記者会見を予定されている。2019年7月の名古屋場所で6度目の優勝を果たしたが、その後は腰痛などの影響で昨年は15日間皆勤は1場所のみだった。昨年11月に横綱審議委員会から成績不振の横綱に与えられる内規上の「注意」を白鵬関とともに受けていた。鶴竜は2001年にモンゴルから来日し、同年九州場所、16歳で当時の井筒部屋から初土俵。師匠だった先代井筒親方(元関脇逆鉾、故人)譲りの技能を生かした相撲で14年春場所で初優勝し、場所後にモンゴル出身では朝青龍、白鵬、日馬富士に続く4人目の横綱に昇進。横綱在位は歴代10位の41場所だった。一昨年9月、先代井筒親方の死去に伴い、陸奥部屋に転属。昨年12月に日本国籍を取得し、引退後も親方として相撲協会に残ることが可能となっている。
(平成の三四郎死去)
1992年バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級で金メダルを獲得した古賀稔彦さんが24日、癌で亡くなった。53歳若死にだった。古賀さんが女子柔道部の総監督を務める環太平洋大(岡山市)が明らかにした。古賀さんはソウル、バルセロナ、アトランタ五輪に3大会連続で出場。日本選手団の主将を務めたバルセロナ五輪では、大会開幕直前に左膝靱帯じんたい損傷の大けがを負ったが、決勝でハンガリー選手を大接戦の末に破って優勝した。96年アトランタ五輪でも78キロ級で銀メダルを獲得した。世界選手権でも89、91、95年に優勝。小柄な体から切れ味鋭い技を繰り出し、鮮やかな背負い投げで「平成の三四郎」と呼ばれた。現役引退後は川崎市で「古賀塾」を開くなど柔道の普及に尽力していた。2004年アテネ、08年北京両五輪の柔道女子63キロ級で金メダルに輝いた谷本歩実さんも育てた。(ヨミウリ)
<北朝鮮ミサイル2発発射>
米政権高官が明らかにした北朝鮮によるミサイル発射について、複数の韓国政府消息筋は24日、ミサイルは2発の短距離巡航ミサイルで、黄海側に向けて21日に発射されていたとの見方を示した。韓国の聯合ニュースが報じた。韓国軍が発射を探知していたという。 北朝鮮による弾道ミサイル技術を使ったミサイル発射は、国連安全保障理事会決議で禁じられている。報道によると、消息筋の一人は、今回は巡航ミサイルであり「安保理決議違反には当たらない」との見解も示した。 北朝鮮は昨年4月にも日本海側に向けて短距離巡航ミサイル数発を発射している。米国はどう出るか関心がある。(サンケイ)

那珂湊魚市場、メンタイパーク、枝垂桜の「六地蔵寺」他回り無事帰宅 /ロヒンギャ難民キャンプで大規模火災

2021-03-23 19:26:46 | 近県ドライブ
2日目のホテル白亜紀」の朝は6時前というのにカーテンを開けると快晴の太平洋と初夏のような日差しが飛び込んできた。阿字ヶ浦地域の初日の出は5時半とのこと。昨夜、大浴場の電動マッサジを使ったかめか節々が痛くて、なかなか寝付かれなかったのが影響しているようなので、すぐに大浴場に足を運んで、今日の長い運転に支障きたさぬように筋肉をほぐした。ババが浴場から上がるのを待って7時、朝食に向かった。朝食はバイキングで受付で簡易手袋を渡され、まごついた。コロナ禍回避のためバイキングはマスクと手袋で料理を取り分けることにしているという。8時、ババと白亜紀の地層が隆起した海岸を40分ほど散歩した。帰り側、昨日参拝した「酒列磯前神社」に朝の挨拶と今日のDrの安全を祈願した。この神社は浜辺漁港から50~60mほどの高台にあり、昔も今も多くの漁民から信仰を集めているようで昔は周辺一帯が寺域と思われるほど立派な社殿に見とれた。ババは、はがき大の「ご朱印」(500円)をいただいた。9時過ぎ、ホテル職員さんがババと当方が誕生日祝花束を中にして記念写真をとってくれた。その後、続々宿泊客のサービスで記念撮影をしていた。職員さんに見送られ快晴のなか出発。太平洋沿いの県道を青い空と青い海、打ち寄せる白波を見ながら平磯海水浴場等を眺めながら目指す那珂湊魚市場到着。この魚市場には、若いころから来ているが、最近は観光バスが入らないようだが、それでも買い物客で魚市場特有の活気が漲っていて、賭け声にツイツイ買い求めてしまう。次は数年前、観光バスで訪れた大洗のメンタイパーク。明太子で有名な「かねふく」が営んでいる。120台駐車できる広い駐車場には乗用車が3分の1ほど入っている。観光バスは残念ながら見渡せない。この施設はスケドウダラの生態や明太子の製造工程をさまざまな資料や展示で知ることできる。時にガラス越しに明太子を作る様子が見学でき今日は100人の女性が働いていると表示されている。観光バス客がいないため、館内は数年前訪れたときより少し寂しい。ババは明太子を買い求めていた。次はTVで紹介された枝垂桜の「六地蔵寺」。カーナビ頼りに車を走らせたが、迷うことなく30分ほどであっけなく到着。駐車場を広く取ってあるため難なく留めることができ有難い。境内は広くはないが、見事な至る所、枝垂桜で多くの観桜客同様大満足。ババはご朱印帳を新たに1300円で買い求め朱印してもらうほど感激していた。次の枝垂桜の「報仏寺」を目指し出発。ところが、「六地蔵寺」に入る2ルトとは国道から車1台分の道幅のため国道に出る、間際で入る車と出る車が鉢合わせしてにっちもさっちも行かなくなった。国道に出る車2台が農道に待機することになり、当方の車もそれに習い、農道に待機することにしたが、国道に出るのに時間が掛かると思い、水溜り農道を直進、間道を抜け、国道に入ることができた。ところがカーナビの指示と当方の受け取りが食い違い「報仏寺」一時諦め、急遽、偕楽園に変更し、桜山Pに到着。EVと歩道橋でJR常磐線で超えのは良かったが、正門まで900mとのことで、2年前にも来ていたので諦め、駐車場近くの護国神社に切り換えた。この神社でもババハご朱印帳に記載してもらっていた。最後にカーナビで「報仏寺」を目指すことにした。途中、昼が過ぎたのでミニストップでおにぎりとお新香で車内で昼食をとり英気を養い目指す「報仏寺」に到着。境内には数百年という枝垂桜が満開になっているが、残念ながら「六地蔵寺」のような華やいだ雰囲気はなく、早々引き上げ、カーマビで水戸ICを目指すと迷うことなく20分ほどで到着。友部SAで水戸納豆や梅お菓子など買い求め、谷田部東PAでトイレ休憩して、谷和原ICから国道に出て、一気に市内のGSCで食品や夕食の菓子パンを買い求め無事、16時半前に帰宅することが出来、充実した2日間に感謝した。

<ロヒンギャ難民キャンプで大規模火災>
ミヤンマーから逃れてきたイスラム教徒少数民族ロヒンギャが生活するバングラデシュ南東部の難民キャンプで22日、大規模な火災が発生した。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は23日、15人が死亡し、400人が行方不明になったと発表した。出火原因は分かっていない。現地は竹とビニールでできたテントが密集しており、火は一気に広がったもようだ。UNHCRは「火災は大規模で壊滅的だ」と被害を説明した。ロヒンギャ難民は2017年8月、ミヤンマー西部ラカイン州で国軍と武装集団の衝突をきっかけに大量に発生。国連のまとめによると、衝突以降、70万人以上が国境を越えてバングラデシュに逃れた。(サンケイ)


ババ誕生祝の水戸城跡・弘道館方面,阿字ヶ浦・白亜紀ホテルDr出発

2021-03-22 07:35:31 | Weblog
昨日の暴風並みのお天気から薄明かりの朝を迎えた。ストレッチの公園は不思議なことに水溜りはないので、よほど乾燥していたのだと推測した。天気予報によると、北風が吹くので昨日より気温は低くなるようなので厚着した。今日はババの誕生日祝いで水戸方面Drに行く。9時過ぎ出発。常磐道「谷和原IC」まで一般道で40分ほど。谷田部東PAでトイレ休憩。常磐道下りは休み明けの月曜日なので貨物トラックやダンプカーなどが多いが順調に進み、水戸市内に下りる「水戸IC」手前の「友部SA」で休憩とした。3年前に水戸偕楽園の梅林に行く途中に寄った時同様、相変わらず閑散としていた。1時間半ほどで、水戸市内に入りカーナビの案内で弘道館を目指した。周辺は元水戸城跡で現在は官庁街となっている。初めてなので、カーナビも面食らった見え、駐車場探しに手間がかかった。官庁らしき重々しい建物が目についたので思い切って敷地内の広い駐車場に車を駐め、見渡すと旧茨城県庁で現在は三の丸庁舎として現在も使われていた。庁舎に来館した婦人に弘道館を訪ね、指し示す梅林の公園散策道を徒歩7分ほどで到着した。弘道館公園には約60品種800本の梅林になっている。徳川斉昭が設立した日本最大の藩校は戦乱で焼失し、旧弘道館正門、政庁、至善堂のみ残され重文指定されている。正門は本瓦葺きの堂々たる四脚門です。政庁受付は右手の奥にあり、藩主が隣接し、文武の大試験、その他の儀式などに用いられたという。政庁見学は普通400円だが高齢者は半額。ババは公園内を散策するというので興味新々の当方が入場することにした。受付の脇看板に弘道館駐車場満車の場合、駐車券を提示すると3時間まで無料とのことで、駐車券を車に置いてきたことを言うと、入場券と駐車場証明書を渡され、管理人に話すようアドバイスしてくれた。政庁は各部屋の周囲は広い廊下で繋がっている。館内入場者は3人で男性は私だけで15分ほどで見学し終える。広い廊下には展示パネルが置かれ、特に渋沢栄一氏が最後の将軍・慶喜との関係で何度か来訪していることを知った。裏手の至善堂の御座の間は最後の将軍・徳川慶喜(七郎麻呂)も7歳から11歳まで学び、江戸城開城後の明治元年、水戸に帰還し、幼年時代を過ごした、この至善堂に静岡に移るまでの4ヵ月間籠もり謹慎生活を送ったところだという。
弘道館は水戸斉昭公が天保12年(1841年)に創建した水戸藩の藩校である。文館、武館、歌学館、医学館等々を備えた現在の総合大学のようなところで、当時、国内最大級の規模という。施設の大半は、明治元年(1868)の「弘道館の戦い」で焼失している。旧弘道館正門の真ん前、旧二の丸側の大手橋先に2019年に水戸城の大手門が復元されているが入場は出来ない。ババと鹿島神社の境内で落ち合い、孔子廟、学生警鐘、八卦堂などを見て周った。鹿島神社は安政4年(1857年)5月9日に遷座祭が行われ、同時に弘道館の本開館式が挙行された。鹿島神社の祭神は「天照大神」の国内平定の祖業に貢献した武甕槌命で常陸一の宮である鹿島神宮から分霊を勧進して祀ったもの。要石歌碑は水戸斉昭公の自詠直筆で「行末もふみなたがへそ蜻島大和の道ぞ要なりける」と記されていて、歌意と鹿島神社の「要石」になぞらえていのそうだが、残念ながら当方には刻まれているようだが剥がれていて読めなかった。三の丸庁舎の駐車場に戻り、管理室で駐車券に無料印を貰い、コンビニで買い込んだおにぎりとお新香で遅い昼食とした。13時過ぎ、腹ごなしに散策がてら三の丸の空堀沿いの道を水戸東照宮参拝に出かけた。実は水戸駅から歩いて5分出そうだがそうだ。人様に聞きながら交通量が多い国50号線の銀杏坂の狭い高台に元和7年(1621)、水戸藩初代徳川頼房が創建。徳川家康を祀り「権現さん」親しまれる社だが戦災で焼失し、昭和37年に再建されたもので石の間の天井には梅やメジロが描かれているという。唐門の扉には、大きな三つ葉葵の紋章が付いている。境内には頼房が奉納した銅灯篭や光圀が造らせた常葉山時鐘などが残っているという。また社務所脇には斉昭が作らせたカノン砲の見本や神社脇には中国始皇帝が全国行脚に使った戦車のような安神車2台が格納のされている小屋がある。赤い鳥居をくぐると高台の権現さんに沿ってデープでレトロなアーケード街がある。、日本各地に銀座と名の付く商店街は数あれど水戸の銀座といえばここ宮下銀座です。権現さん(東照宮)のおひざもと、和食、洋食、焼肉、中華...多彩な飲食店が軒を連ねている。昼間に見える宮下銀座は古ぼけ朽ちかけた商店街にしか見えない。
三の丸駐車場に戻り、次はババが旅行会社の案内で見たという、レール&ウォークで見つけ、ひたちなか海浜鉄道湊線に興味が出たというので「金上」駅に向かった。この鉄道は単線で1両編成のジーゼル車でJR勝田駅=阿字ヶ浦間を30数分で運転している。途中の那珂湊魚市場や海上に滑り台の「くじらの大ちゃん」がある平磯海水浴場、「快水浴場百選」に選ばれた遠浅で水が綺麗な広い白砂をもつ、波崎海水浴場、終点の「阿字ヶ浦駅」には国営ひたち海浜公園やショッピングモール、緩やかな孤を描く約1.2Kmのロングビーチを持つ「阿字ヶ浦海水浴場」がある景勝地をもっている。阿字ヶ浦駅行きは14時45分発で15分ほど待つてもらいここで分かれ、当方は車で阿字ヶ浦駅直行した。普通は電車のほうが早く到着するのだが、道路が順調の上、カーナビに指示が完璧だったので15・08分着の20分前に到着してしまった。
時間つぶしに海岸にでも行ってみようと思って周囲を見渡すと正面に神社の鳥居が見えたので行ってみた。堀出神社・ほしいも神社で境内の石廊から骨董品が出てきて、品々を水戸藩での詮議の結果「磯前明神の本体であろう」となり早速、小社を建立して今日に至っているという。社名は、「掘って出た」ことにより堀出(ほりで)神社と命名された由。古くから学問・厄除け祈願の八幡さま・・と信仰されている。また、那珂の大地では明治以来ほしいも作りが盛んに進められてきて先人の努力により、現在は日本一の生産県として、日本全国にほしいもを出荷しているという。
境内を見渡すと驚いたことに黄金色の鳥居が大小26基並び、大きい鳥居の基礎部分の石は「干し芋」をかたどっていて、最近建立した「ほしいも神社」出そうだ。掘出神社の「掘って出た」と「イモを掘り出す」というのをかけ「ほしいも神社」と名付けたという。神社内には明治時代に干し芋を広め日本一の干し芋(かんそ芋)の育てたとされる小池吉兵衛さんの銅像が祭られている。なお、俗に「欲しい物は全て手に入る」神社とも言われている。
境内の駐車場から眼下の太平洋鹿島灘が一望して「阿字ヶ浦駅」の戻ると市内循環バスが入ってきてUターンして行った。暫くして15.08分着の1両編成の電車が入ってきて、7.8人の乗客に混じってババの姿があった。直ぐに最後の目的地「国営ひたち海浜公園」に車を向けた。3450台収容できる広大な駐車料金は520円、入場料はシルバー料金200円。通常は月曜日休館だが20日が春分の日の祝日だったので明日が休館日で広い駐車場には中央入場ゲート付近に乗用車が集中していて当車も近くに駐車した。この公園には数十年前から孫達や市選挙スタッフ仲間と数回訪れていて勝手知ったところ。太平洋に面した広大な公園は215haは樹林、草原、砂丘、見晴らし、プレジャーガーデンに分かれていている。中央ゲートを入るとまず、大観覧車が迎えてくれる。周辺は25種類以上のアトラクションが楽しめる遊園地となっている。昔、孫達が半日大いに遊んだ遊びほうけたことを思い出す。遊園広場には卒業記念で来園したのか学生服姿が若い人たちの姿が多い。遊園地を抜け、西口ゲート近くの西池は野鳥が生息し、スイセンガーデンとスイセンの丘に辿り着く頃は息切れがしてきてサイクルテで3時間410円の自転車を借り出してこなかったのを悔やんだ。シーサイドトレイン(1日周遊券600円・一周40分)利用という手もあったことを思い出す。特にスイセンの丘は全体がスイセンで埋め尽くされ、多くの観光客で賑わっている。接続して記念の森レストハウスがある。ここでババと別れ、見晴らしエリアを目指した。近くの見はらしの里では江戸時代の古民家・旧土肥家のリニューアルを横目に見はらしの丘を見上げると期待した菜の花畑が見えなかったので、思い切って中央ゲートに引き返えすことにした。広大な敷地の公園のため、迷わないためには大観覧車を目指したが、サイクリング専用道もあり、一直線にはいかず、焦りも出てくるがどうにか、大観覧車前でババと出会い一安心。突然、蛍の光の曲が鳴り出した。コロナ禍のため閉園が17時のようだ。我々の滞在は1時間半弱だった。また、海岸沿いの道路に戻り、「ホテルニュー白亜紀」に車を走らせていると、歴史ありそうな立派な神社に出合い、参拝することにした。
ババは早速、社務所で御朱印を頂き、酒列磯前神社であることを知った。夕闇が迫っているので、宿泊のホテルを目指すと、神社のお隣だったので、ビックリ。玄関でホテルの方がわざわざ出迎えてくれ恐縮した。我々の部屋は最上階の3階8号室の和室。夕食は18時半を予約し、早速1階のある大浴場に出掛けた。太平洋が一望する露天風呂も併設していて、薄暗くなった太平洋の波の音を聞きながら、1日の疲れを癒した。こちらの温泉の泉質は、ナトリウム塩化物泉で天然温泉(加水無し、加温、循環ろ過方式)だという。PH=7.8ですがかなりヌルヌルのアルカリ泉に近い肌触りの湯で何時までの身体が温かく至福の時を味和った。夕食は、1階レストランテでテーブルは指定されていて、ご当地グルメの食を味わった。昨日の21に予定通りコロナ禍での緊急事態宣言が解除されたとは言えの今日この頃としては、お客さんは多いように見受けた。部屋の戻り、再度、大浴場行こうと思ったが、身体が火照っていて諦め、寝床に入ったが、ナトリウム塩化物泉と電気足マッサージのためか至る所筋肉痛が出て、暫く寝付かれなかった