朝久しぶりの雨。庭の草木が活気づいていたが、朝のストレッチを中止せざるを得ず残念。朝食後、障子紙のカット3枚に1時間かけて終了した。昨日同様両足が重くなり、急に日差しが出たので散歩がてらGSCに食パン6枚切りと霧吹きを買いに出た。10時というのにお客は多く、目当ての食パンはすでに在庫が2袋となっていた。霧吹きは在庫が豊富で迷ったがどれも100円だった。帰宅して早速カット済の障子に霧吹きで紙をピントさせ、窓枠に戻した。カット済みのヤレ紙をゴミ袋に入れようと玄関の花瓶置に目をやると霧吹きが鎮座していて大笑い。両足の疲労回復のため一休みして、ミニ菜園まで足慣らしの散歩した。夕食後、洗面所ドアーに年間カレンダー交換をするため両面テープの剥がしに1時間を要し、今度は両腕が重くなってしまった。NHK紅白歌合戦は関心がなくこの日記を書いている。
(家族経営で125年の書店閉店)
東京・中目黒の老舗書店「新高堂(ニイタカドウ)書店」が12月30日に閉店した。日本統治下の台湾で創業し、戦後は中目黒に店を構え、家族経営で125年の歴史を重ねてきた。営業最終日には常連客らが相次いで訪れ、名残を惜しんだ。 仕事帰りによく立ち寄ったという人や毎週週刊誌を買いに来た人など、常連客らが次々と訪れ、店の思い出を語った。最後の客となった男性は東野圭吾氏の小説など2冊を購入。来店者は「これだけお客さんとコミュニケーションをしている店はない。温かさが伝わってくる」と話した。 11月に閉店を告知した後、台湾とのかかわりを知って店を訪れる台湾人客が増え、台湾メディアからも取材を受けた。5代目経営者の梅田美音(みね)さん(48)は「台湾人のご夫妻が訪れ、『新高堂に来るために台湾から来ました』と言われて本当に驚きました」と明かし、台湾との縁を改めて感じたという。 ◇3階建ての店舗の時代も 30日は午後8時に閉店。壁の棚に創業者らの位牌を並べ、集まった親戚たちがクラッカーを鳴らして、みなで記念写真を撮った。 新高堂は、日本が統治していた時代の台北で1898年、村﨑長昶(ながあき)が創業。台北一の繁華街に3階建ての大きな店舗を構え、台湾最大の書店に発展した。敗戦後の1946年、一家は日本に引き揚げ、48年ごろ、2代目の敏昶(としあき)・清子の夫妻が中目黒で書店を始め、家族で経営をつないできた。「本屋は街の文化の発信拠点」を信条に、街の本屋さんとして親しまれてきたが、デジタルや出版不況の影響で苦境が続き、閉店を決断した。
<ユーロスターがトンネル内の浸水で運休>
30日、ロンドンと欧州主要都市を結ぶ高速鉄道ユーロスターがトンネル内の浸水のため、ロンドン発着の全ての列車41本が運休した。3万人以上が影響を受けたとみられる。31日に運行を再開したが、遅延や混雑が予想されるため運行会社は不要不急の利用を控えるよう呼びかけており、年末休暇の旅行客らに大きな影響が出ている。ユーロスターはロンドンとパリを約2時間半で結ぶほか、ブリュッセルとアムステルダム発着の列車もあり、通常は1日40本以上が運行されている。英メディアによると、浸水はテムズ川の下を通るロンドン近郊のトンネル内で起きた。一部の国内路線の運行にも支障が出ているという。浸水について水道管理会社は「防火対策用の給水パイプの破裂が原因と考えられる」との見方を示し、調査している。