源ザの独り言日記

日々あったこと、感じたことを気軽に書き込みます。

ババ誕生祝の水戸城跡・弘道館方面,阿字ヶ浦・白亜紀ホテルDr出発

2021-03-22 07:35:31 | Weblog
昨日の暴風並みのお天気から薄明かりの朝を迎えた。ストレッチの公園は不思議なことに水溜りはないので、よほど乾燥していたのだと推測した。天気予報によると、北風が吹くので昨日より気温は低くなるようなので厚着した。今日はババの誕生日祝いで水戸方面Drに行く。9時過ぎ出発。常磐道「谷和原IC」まで一般道で40分ほど。谷田部東PAでトイレ休憩。常磐道下りは休み明けの月曜日なので貨物トラックやダンプカーなどが多いが順調に進み、水戸市内に下りる「水戸IC」手前の「友部SA」で休憩とした。3年前に水戸偕楽園の梅林に行く途中に寄った時同様、相変わらず閑散としていた。1時間半ほどで、水戸市内に入りカーナビの案内で弘道館を目指した。周辺は元水戸城跡で現在は官庁街となっている。初めてなので、カーナビも面食らった見え、駐車場探しに手間がかかった。官庁らしき重々しい建物が目についたので思い切って敷地内の広い駐車場に車を駐め、見渡すと旧茨城県庁で現在は三の丸庁舎として現在も使われていた。庁舎に来館した婦人に弘道館を訪ね、指し示す梅林の公園散策道を徒歩7分ほどで到着した。弘道館公園には約60品種800本の梅林になっている。徳川斉昭が設立した日本最大の藩校は戦乱で焼失し、旧弘道館正門、政庁、至善堂のみ残され重文指定されている。正門は本瓦葺きの堂々たる四脚門です。政庁受付は右手の奥にあり、藩主が隣接し、文武の大試験、その他の儀式などに用いられたという。政庁見学は普通400円だが高齢者は半額。ババは公園内を散策するというので興味新々の当方が入場することにした。受付の脇看板に弘道館駐車場満車の場合、駐車券を提示すると3時間まで無料とのことで、駐車券を車に置いてきたことを言うと、入場券と駐車場証明書を渡され、管理人に話すようアドバイスしてくれた。政庁は各部屋の周囲は広い廊下で繋がっている。館内入場者は3人で男性は私だけで15分ほどで見学し終える。広い廊下には展示パネルが置かれ、特に渋沢栄一氏が最後の将軍・慶喜との関係で何度か来訪していることを知った。裏手の至善堂の御座の間は最後の将軍・徳川慶喜(七郎麻呂)も7歳から11歳まで学び、江戸城開城後の明治元年、水戸に帰還し、幼年時代を過ごした、この至善堂に静岡に移るまでの4ヵ月間籠もり謹慎生活を送ったところだという。
弘道館は水戸斉昭公が天保12年(1841年)に創建した水戸藩の藩校である。文館、武館、歌学館、医学館等々を備えた現在の総合大学のようなところで、当時、国内最大級の規模という。施設の大半は、明治元年(1868)の「弘道館の戦い」で焼失している。旧弘道館正門の真ん前、旧二の丸側の大手橋先に2019年に水戸城の大手門が復元されているが入場は出来ない。ババと鹿島神社の境内で落ち合い、孔子廟、学生警鐘、八卦堂などを見て周った。鹿島神社は安政4年(1857年)5月9日に遷座祭が行われ、同時に弘道館の本開館式が挙行された。鹿島神社の祭神は「天照大神」の国内平定の祖業に貢献した武甕槌命で常陸一の宮である鹿島神宮から分霊を勧進して祀ったもの。要石歌碑は水戸斉昭公の自詠直筆で「行末もふみなたがへそ蜻島大和の道ぞ要なりける」と記されていて、歌意と鹿島神社の「要石」になぞらえていのそうだが、残念ながら当方には刻まれているようだが剥がれていて読めなかった。三の丸庁舎の駐車場に戻り、管理室で駐車券に無料印を貰い、コンビニで買い込んだおにぎりとお新香で遅い昼食とした。13時過ぎ、腹ごなしに散策がてら三の丸の空堀沿いの道を水戸東照宮参拝に出かけた。実は水戸駅から歩いて5分出そうだがそうだ。人様に聞きながら交通量が多い国50号線の銀杏坂の狭い高台に元和7年(1621)、水戸藩初代徳川頼房が創建。徳川家康を祀り「権現さん」親しまれる社だが戦災で焼失し、昭和37年に再建されたもので石の間の天井には梅やメジロが描かれているという。唐門の扉には、大きな三つ葉葵の紋章が付いている。境内には頼房が奉納した銅灯篭や光圀が造らせた常葉山時鐘などが残っているという。また社務所脇には斉昭が作らせたカノン砲の見本や神社脇には中国始皇帝が全国行脚に使った戦車のような安神車2台が格納のされている小屋がある。赤い鳥居をくぐると高台の権現さんに沿ってデープでレトロなアーケード街がある。、日本各地に銀座と名の付く商店街は数あれど水戸の銀座といえばここ宮下銀座です。権現さん(東照宮)のおひざもと、和食、洋食、焼肉、中華...多彩な飲食店が軒を連ねている。昼間に見える宮下銀座は古ぼけ朽ちかけた商店街にしか見えない。
三の丸駐車場に戻り、次はババが旅行会社の案内で見たという、レール&ウォークで見つけ、ひたちなか海浜鉄道湊線に興味が出たというので「金上」駅に向かった。この鉄道は単線で1両編成のジーゼル車でJR勝田駅=阿字ヶ浦間を30数分で運転している。途中の那珂湊魚市場や海上に滑り台の「くじらの大ちゃん」がある平磯海水浴場、「快水浴場百選」に選ばれた遠浅で水が綺麗な広い白砂をもつ、波崎海水浴場、終点の「阿字ヶ浦駅」には国営ひたち海浜公園やショッピングモール、緩やかな孤を描く約1.2Kmのロングビーチを持つ「阿字ヶ浦海水浴場」がある景勝地をもっている。阿字ヶ浦駅行きは14時45分発で15分ほど待つてもらいここで分かれ、当方は車で阿字ヶ浦駅直行した。普通は電車のほうが早く到着するのだが、道路が順調の上、カーナビに指示が完璧だったので15・08分着の20分前に到着してしまった。
時間つぶしに海岸にでも行ってみようと思って周囲を見渡すと正面に神社の鳥居が見えたので行ってみた。堀出神社・ほしいも神社で境内の石廊から骨董品が出てきて、品々を水戸藩での詮議の結果「磯前明神の本体であろう」となり早速、小社を建立して今日に至っているという。社名は、「掘って出た」ことにより堀出(ほりで)神社と命名された由。古くから学問・厄除け祈願の八幡さま・・と信仰されている。また、那珂の大地では明治以来ほしいも作りが盛んに進められてきて先人の努力により、現在は日本一の生産県として、日本全国にほしいもを出荷しているという。
境内を見渡すと驚いたことに黄金色の鳥居が大小26基並び、大きい鳥居の基礎部分の石は「干し芋」をかたどっていて、最近建立した「ほしいも神社」出そうだ。掘出神社の「掘って出た」と「イモを掘り出す」というのをかけ「ほしいも神社」と名付けたという。神社内には明治時代に干し芋を広め日本一の干し芋(かんそ芋)の育てたとされる小池吉兵衛さんの銅像が祭られている。なお、俗に「欲しい物は全て手に入る」神社とも言われている。
境内の駐車場から眼下の太平洋鹿島灘が一望して「阿字ヶ浦駅」の戻ると市内循環バスが入ってきてUターンして行った。暫くして15.08分着の1両編成の電車が入ってきて、7.8人の乗客に混じってババの姿があった。直ぐに最後の目的地「国営ひたち海浜公園」に車を向けた。3450台収容できる広大な駐車料金は520円、入場料はシルバー料金200円。通常は月曜日休館だが20日が春分の日の祝日だったので明日が休館日で広い駐車場には中央入場ゲート付近に乗用車が集中していて当車も近くに駐車した。この公園には数十年前から孫達や市選挙スタッフ仲間と数回訪れていて勝手知ったところ。太平洋に面した広大な公園は215haは樹林、草原、砂丘、見晴らし、プレジャーガーデンに分かれていている。中央ゲートを入るとまず、大観覧車が迎えてくれる。周辺は25種類以上のアトラクションが楽しめる遊園地となっている。昔、孫達が半日大いに遊んだ遊びほうけたことを思い出す。遊園広場には卒業記念で来園したのか学生服姿が若い人たちの姿が多い。遊園地を抜け、西口ゲート近くの西池は野鳥が生息し、スイセンガーデンとスイセンの丘に辿り着く頃は息切れがしてきてサイクルテで3時間410円の自転車を借り出してこなかったのを悔やんだ。シーサイドトレイン(1日周遊券600円・一周40分)利用という手もあったことを思い出す。特にスイセンの丘は全体がスイセンで埋め尽くされ、多くの観光客で賑わっている。接続して記念の森レストハウスがある。ここでババと別れ、見晴らしエリアを目指した。近くの見はらしの里では江戸時代の古民家・旧土肥家のリニューアルを横目に見はらしの丘を見上げると期待した菜の花畑が見えなかったので、思い切って中央ゲートに引き返えすことにした。広大な敷地の公園のため、迷わないためには大観覧車を目指したが、サイクリング専用道もあり、一直線にはいかず、焦りも出てくるがどうにか、大観覧車前でババと出会い一安心。突然、蛍の光の曲が鳴り出した。コロナ禍のため閉園が17時のようだ。我々の滞在は1時間半弱だった。また、海岸沿いの道路に戻り、「ホテルニュー白亜紀」に車を走らせていると、歴史ありそうな立派な神社に出合い、参拝することにした。
ババは早速、社務所で御朱印を頂き、酒列磯前神社であることを知った。夕闇が迫っているので、宿泊のホテルを目指すと、神社のお隣だったので、ビックリ。玄関でホテルの方がわざわざ出迎えてくれ恐縮した。我々の部屋は最上階の3階8号室の和室。夕食は18時半を予約し、早速1階のある大浴場に出掛けた。太平洋が一望する露天風呂も併設していて、薄暗くなった太平洋の波の音を聞きながら、1日の疲れを癒した。こちらの温泉の泉質は、ナトリウム塩化物泉で天然温泉(加水無し、加温、循環ろ過方式)だという。PH=7.8ですがかなりヌルヌルのアルカリ泉に近い肌触りの湯で何時までの身体が温かく至福の時を味和った。夕食は、1階レストランテでテーブルは指定されていて、ご当地グルメの食を味わった。昨日の21に予定通りコロナ禍での緊急事態宣言が解除されたとは言えの今日この頃としては、お客さんは多いように見受けた。部屋の戻り、再度、大浴場行こうと思ったが、身体が火照っていて諦め、寝床に入ったが、ナトリウム塩化物泉と電気足マッサージのためか至る所筋肉痛が出て、暫く寝付かれなかった