早朝から久しぶりの快晴で、ストレッチの際、朝日が眩しい。まずは朝食後布団干して「まなびいプラザ」に向かった。昼食後、寒風が吹き出す中、三脚を使って柚の木から最後の実を30個ほど収穫した。7個ほど持って知人宅に米西部劇「大砂塵」のテーマ曲「ジョニーギター」の楽譜を借りに行き、その足で学習室で昨日借り出した葉室麟著「散り椿(上)」を1時間半ほど読みふけった。夕食後、少し頭が重いのでストレッチは中止してラジオ体操とし、元日に録画したMHKBS放送の友和・百恵「絶唱」を鑑賞した。時代は昨日同様、太平洋戦争後半から終戦にかけての若い男女の悲恋物語。女性(百恵)は肺病で亡くなり、男性(友和)は戦地から戻ってくる物語で涙なくして見ていられない。
(友和・百恵「絶唱」)
山口百恵主役による文芸シリーズ第三作目。大地主の息子と山番の娘との悲恋を描いた大江賢治の同名小説の三度目の映画化。脚本・監督は「潮騒 しおさい(1975)」の西河克己、撮影も同作の萩原憲治がそれぞれ担当。(1975年制作・東映)
(物語)
山陰地方で園田家といえば、山園田といわれる程に名の通った大地主である。その一人息子で大学生の順吉は、山番の娘・小雪を愛しているのだったが、父・惣兵衛は、身分が違うと反対し、町の実業家の令嬢・美保子との結婚を強いるのだった。順吉が大学の休暇を終え京都に戻ると、惣兵衛に因果を含められた小雪は、他国の親戚にあずけられた。小雪に会いに帰省して、その事を知った順吉は、小雪を捜し出し、駆け落ちした。宍道湖のほとりの経師屋の二階が、二人の愛の巣となった。順吉は、肥くみ作業員、材木運びなどをして生活費を稼いだが、二人は幸せだった。だが、戦争が激しくなり順吉にも召集令状がきた。壮行会の日、小雪が唄った山の木挽歌を、どこにいても毎日、決めた時間に二人で唄うことを約束して、順吉は戦地へ向った。戦争はさらに激化し、いつしか順吉からの便りも絶えた。二人で約束した木挽歌を唄う事だけが小雪の心の支えだった。戦争は終った。小雪は結核で倒れたが、木挽歌を唄う事だけは欠かさなかった。やがて、惣兵衛が急死し、小雪はようやく両親と会う事を許された。だが、小雪の体力は限界にきていた。「あの人の足音が聞こえる……山に帰りたい」小雪がこう言って死んだその日、順吉が復員して来た。慟哭する順吉は、葬る前に、せめて山へ帰って、結婚式をしてやりたい、と切望した。花嫁が花婿に抱かれて園田家に着いた。村人たちは、嫁入り歌で二人を迎えた。式が終ると、順吉は、小雪の体を抱いたまま、木挽歌を唄った。それに和して唄うように、どこからか、順吉には小雪の声が聞こえてきた……。
<明日2月1日から中国の海警法が施行される>
中国が中国海警局(海警)に武器使用を容認する海警法を2月1日に施行することを受け、南シナ海の領有権をめぐって中国と対立するフィリピンとベトナムからは強い反発の声が上がった。海警法によって中国による南シナ海の実効支配が強化されるとの警戒感が一段と高まっている。
フィリピンのロクシン外相は27日、ツイッターで「法律制定は主権者の特権だが、南シナ海は開かれていることを踏まえると、海警法は戦争を仕掛けるという脅迫だ」と批判。「抵抗しなければ海警法に服従することになる」とし、外交ルートを通じて抗議したことを明らかにした。
ベトナム外務省も29日の声明で、「ベトナムは国連海洋法条約に基づいて、水域の管轄権を証明する十分な法的根拠と歴史的証拠を有している」と改めて主張し、中国を牽制した。東南アジア諸国連合(ASEAN)と中国は南シナ海の紛争抑止に向けた「行動規範」(COC)の年内策定を目指しているが、海警法施行はこの作業にも影響を与えそうだ。フィリピンのオンラインメデジア「ラップラー」は、「COCは策定前に死んだも同然だ」と指摘した。また、中国は日本の尖閣諸島を中国固有の地としているので日本の驚異になるのではと心配だ。
1日、中国で海上保安機関・海警局(海警)の権限などを定めた「海警法」が施行された。海警公船の活動がさらに活発化するとみられる。沖縄県・尖閣諸島の周辺海域では、日本の領海を警備する海上保安庁の巡視船と衝突する危険性もある。海警法は、国家主権が外国の組織や個人に侵害された際、武器の使用を海警に認める。軍指導機関である中央軍事委員会の命令で防衛作戦の任務を執行するとも明記し、「第2の海軍」と称される海警の軍事的性格を強める内容だ。
中国当局は海警法の対象に、領海や接続水域、排他的経済水域(EEZ)などのほか、「中国が管轄するその他海域」を含める見解を示している。海警が南シナ海や東シナ海で外国の漁民を拘束し、中国の検察に移送するとの懸念もある。(ヨミウリ)
(友和・百恵「絶唱」)
山口百恵主役による文芸シリーズ第三作目。大地主の息子と山番の娘との悲恋を描いた大江賢治の同名小説の三度目の映画化。脚本・監督は「潮騒 しおさい(1975)」の西河克己、撮影も同作の萩原憲治がそれぞれ担当。(1975年制作・東映)
(物語)
山陰地方で園田家といえば、山園田といわれる程に名の通った大地主である。その一人息子で大学生の順吉は、山番の娘・小雪を愛しているのだったが、父・惣兵衛は、身分が違うと反対し、町の実業家の令嬢・美保子との結婚を強いるのだった。順吉が大学の休暇を終え京都に戻ると、惣兵衛に因果を含められた小雪は、他国の親戚にあずけられた。小雪に会いに帰省して、その事を知った順吉は、小雪を捜し出し、駆け落ちした。宍道湖のほとりの経師屋の二階が、二人の愛の巣となった。順吉は、肥くみ作業員、材木運びなどをして生活費を稼いだが、二人は幸せだった。だが、戦争が激しくなり順吉にも召集令状がきた。壮行会の日、小雪が唄った山の木挽歌を、どこにいても毎日、決めた時間に二人で唄うことを約束して、順吉は戦地へ向った。戦争はさらに激化し、いつしか順吉からの便りも絶えた。二人で約束した木挽歌を唄う事だけが小雪の心の支えだった。戦争は終った。小雪は結核で倒れたが、木挽歌を唄う事だけは欠かさなかった。やがて、惣兵衛が急死し、小雪はようやく両親と会う事を許された。だが、小雪の体力は限界にきていた。「あの人の足音が聞こえる……山に帰りたい」小雪がこう言って死んだその日、順吉が復員して来た。慟哭する順吉は、葬る前に、せめて山へ帰って、結婚式をしてやりたい、と切望した。花嫁が花婿に抱かれて園田家に着いた。村人たちは、嫁入り歌で二人を迎えた。式が終ると、順吉は、小雪の体を抱いたまま、木挽歌を唄った。それに和して唄うように、どこからか、順吉には小雪の声が聞こえてきた……。
<明日2月1日から中国の海警法が施行される>
中国が中国海警局(海警)に武器使用を容認する海警法を2月1日に施行することを受け、南シナ海の領有権をめぐって中国と対立するフィリピンとベトナムからは強い反発の声が上がった。海警法によって中国による南シナ海の実効支配が強化されるとの警戒感が一段と高まっている。
フィリピンのロクシン外相は27日、ツイッターで「法律制定は主権者の特権だが、南シナ海は開かれていることを踏まえると、海警法は戦争を仕掛けるという脅迫だ」と批判。「抵抗しなければ海警法に服従することになる」とし、外交ルートを通じて抗議したことを明らかにした。
ベトナム外務省も29日の声明で、「ベトナムは国連海洋法条約に基づいて、水域の管轄権を証明する十分な法的根拠と歴史的証拠を有している」と改めて主張し、中国を牽制した。東南アジア諸国連合(ASEAN)と中国は南シナ海の紛争抑止に向けた「行動規範」(COC)の年内策定を目指しているが、海警法施行はこの作業にも影響を与えそうだ。フィリピンのオンラインメデジア「ラップラー」は、「COCは策定前に死んだも同然だ」と指摘した。また、中国は日本の尖閣諸島を中国固有の地としているので日本の驚異になるのではと心配だ。
1日、中国で海上保安機関・海警局(海警)の権限などを定めた「海警法」が施行された。海警公船の活動がさらに活発化するとみられる。沖縄県・尖閣諸島の周辺海域では、日本の領海を警備する海上保安庁の巡視船と衝突する危険性もある。海警法は、国家主権が外国の組織や個人に侵害された際、武器の使用を海警に認める。軍指導機関である中央軍事委員会の命令で防衛作戦の任務を執行するとも明記し、「第2の海軍」と称される海警の軍事的性格を強める内容だ。
中国当局は海警法の対象に、領海や接続水域、排他的経済水域(EEZ)などのほか、「中国が管轄するその他海域」を含める見解を示している。海警が南シナ海や東シナ海で外国の漁民を拘束し、中国の検察に移送するとの懸念もある。(ヨミウリ)