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日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

家の中での民族教育?

2014-10-09 09:00:00 | (愛)のブログ
先週のアジア大会の女子サッカー決勝戦 朝鮮VS日本選の中継は盛り上がりましたね!!
私たち家族もその日はテレビの前で一喜一憂、大興奮でした!
最近いろいろなことがわかってきた我が子も「がんばれー」という私の掛け声をまねするように「ばれー!」と続けて応援してました。
ゴールの時にはバンザーイと手をあげると同じようにまねっこをして、その状況を純粋に楽しんでいました。

でも、ふと頭によぎったことが。
今回の試合は朝鮮VS日本戦、そしてこの子が通っているのは日本の保育園。
当然に周りのお友達は日本チームを応援するだろう。そんな中わたしたちが応援しているのは朝鮮代表。
子どもはもう少しいろんなことが理解しだすと、やはり疑問を抱くようになるだろうか?
そんな時、私はどういって話すのだろうか?うまく説明できるのかな?
これはある意味では家の中での民族教育のひとつかも知れないなと思いました。

もう少し先のお話になるかもですが、そんなことが頭をよぎった朝鮮VS日本戦でした。(愛)

朝鮮での食生活

2014-10-08 09:00:00 | (淑)のブログ
 冷麺、タンコギ(犬肉)、チュオタン(どじょう汁)、ソコリタン(牛テールスープ)、ノットゥチヂミ(モヤシのチヂミ)、カンネンイクッス(トウモロコシのうどん)、松の実のおかゆ、ハマグリのアルコール焼き、マツタケ…

 上記は朝鮮に滞在していた4ヵ月間に食べたものたち。こう並べるとなかなか贅沢しているように見えるが、実際、食生活は充実していたと思う。
 基本的に昼夜の食事はホテルの食堂でとったが、外食も多かった。昼夜と書いたのは、朝食はもともととらないからで、食堂のウェイトレスには何度も叱られた。「どうして食べないんだ」「毎朝寝坊しているのか」。あげく「出席表をつくりますよ!」とまで。そこまできつく言われても行かなかった私は、今思えば罰当たりだ。

 過去の訪朝では決まって痩せて帰ってきたが(食生活ではなく、タイトなスケジュールによるもの)、今回は滞在2ヵ月を過ぎたあたりから、太り始めた。
 それもそのはず、宿泊してる部屋は3階で平壌支局の事務所は5階なので、通勤はドアトゥードアで2分くらいだし、移動はすべて運転手付きの車。1日の消費カロリーが極端に少なかったからだ。
 これではいかんと、大同江の朝の散歩を始めたのが4ヵ月目(遅い)。初日に張り切って、30分間競歩したら、汗もかいて爽快! ごはんもおいしい!と手応えを感じるも、翌朝筋肉痛(それも過度の)になったので、自分で自分に驚いた。

 話は食べ物に戻り、冒頭の料理の中でダントツ摂取量が多かったのが、冷麺。優に30食以上は食べたと思う。
 平壌の人たちはとにかく冷麺が好きで、一緒によく食べた。滞在していたのは春から夏にかけてなので、季節も手伝ってか、と思いきや真冬でも同じように食べるのだとか。
 向こうでは冷麺ではなく「クッス」と呼ぶ。「우리 시원하게 국수 할가?」(さっぱりと、クッス食べようか?)といった具合に。
 平壌ホテル、解放山ホテル、高麗ホテル、玉流館、アリラン食堂、大劇場食堂などなど、いろんな場所で食べたが、私はやっぱり玉流館の冷麺が一番美味しいと思った。これにはガイドのYさんも同意見。

 朝鮮で食べた珍しい料理といえば、인조고기밥だ。日本語に直訳すと「人造肉ごはん」となる。
 写真がないのが残念だが、日本のいなりずしに似た料理で、揚げではなく大豆で作った衣にごはんが巻かれている。味は淡白で、ヤンニョムをたっぷりぬって食べる。
 ちょっと怖いこの名前の語源は、苦難の行軍の時代に遡る。社会主義の崩壊や相次ぐ自然災害などに見舞われ、あらゆるものが不足し、食糧事情が困難だった頃、肉に替わって大豆で栄養をとろうと作られた料理だそうだ。その頃に比べて食糧事情が格段に改善された今も、この食文化が残っており、인조고기밥のほかにも、大豆を揚げたおつまみのような料理もあり、味付けも各家庭ごとに異なる。

 そんなこんなも含め、私が一番気に入った料理が、ハマグリのアルコール焼きの締めで食べられるおかゆだ(写真)。今もたまに、ハマグリの出汁とゴマ油の芳ばしい匂いを思い出しては、食べたくなる。(淑)




「祭り」の後で

2014-10-07 09:00:00 | (相)のブログ
 韓国の仁川で行われていたアジア競技大会が先日、16日間の熱戦に幕を下ろした。
 オリンピックやサッカー・ワールドカップほどではないが、自分の仕事にも関係するとあって、この間、朝鮮民主主義人民共和国の選手たちの成績を中心にそれなりの関心を持って大会をフォローしてきた。現地の雰囲気については、イオ編集部と同じフロアにある朝鮮新報の記者が現地から送ってくる記事や写真の数々を見ながら想像するしかないのだが…。
 今大会、朝鮮は14種目に出場し、金メダル11個、銀メダル11個、銅メダル14個、合計で36個のメダルを獲得し、金メダル数の国別順位では7位に入った。一方、ホスト国の韓国は国別順位で2位となる金メダル79個を含め、合計234個のメダルを獲得した。
 朝鮮の金メダルはサッカー、重量挙げ、レスリング、卓球、ボクシング、体操、射撃の7競技で獲得したものだが、個人的にはサッカーでの活躍(女子が金、男子が銀)が印象に残った。
 朝鮮側の応援団の派遣は実現しなかったが、韓国の市民団体による「南北合同応援団」が各競技会場で朝鮮選手たちを応援し、選手たちもそれに応えようと素晴らしいプレーを見せ、ともに勝利を祝うといった感動的な場面が多く見られた。北と南双方の選手が互いの健闘を称え合う光景(たとえば男女サッカーの「北南対決」や表彰式など)には北南間の政治的な対立を超えた清々しさを覚えた。朝鮮の女子サッカー代表選手が滞在している選手村の洗濯場を訪れ、そこで働くボランティアのメンバーに感謝の意を込め、金メダルの授賞式の際にもらった花束をプレゼントしたというエピソードにも心が洗われる気がした。
 最終日の4日は朝鮮人民軍の総政治局長、朝鮮労働党中央委員会の書記ら最高位級の幹部一行が現地を電撃訪問するというサプライズで持ちきりとなった。これも、アジア大会の閉会式という場がなければ実現しなかっただろうと思う。
 このエントリで「スポーツと政治」というややこしい問題に深入りする気はない。ただ、このような光景を見るたび、少々ナイーブかもしれないが、政治的な緊張を緩和し、民族、人種間の融和を演出する、そんなスポーツの肯定的な作用を信じたくなるのだ。(相)

どのクッ(スープ)がお好き?

2014-10-06 09:00:00 | (麗)のブログ
11月号では、本格的な朝鮮のスープ特集を企画しています。

朝鮮料理には、コムタン、サムゲタン、チゲなど魅力的なスープがたくさんあります。
なかなか家庭でつくることはない朝鮮のスープをレシピで紹介し、栄養学的に優れた部分を解説します。

さて、先日、特集の撮影に行きました。久しぶりの料理撮影とあって、色々と悪戦苦闘したのですが、無事に終えることが出来ました。
撮影後は、作っていただいたスープを撮影隊である編集部たちでいただきました。
どれもすごく美味しく、体の芯からあたたまることができ、みんなで撮影を頑張った甲斐があったと、ようやく胸を撫で下ろすことができました。
ちなみに、私が朝鮮のスープで一番好きなのがシレギクッとトックッなのですが、皆さんはどのクッが一番お好きですか?

特集では10種類のスープが紹介されますので、馴染みのあるスープから初めて見るスープなど、いろんな朝鮮のスープから好みの物を選んで作っても楽しいかと思います。

お楽しみに‼︎(麗)

大阪で補助金裁判、府の暴論に反論

2014-10-03 09:00:00 | (K)のブログ
 昨日のブログにあったように、10月1日、大阪地方裁判所で「補助金」裁判の第11回口頭弁論が行われ、同胞や朝鮮学校を支援する日本人とともに傍聴してきました。

 大阪の「補助金」裁判は、大阪府と大阪市が朝鮮学校に対する補助金の交付を打ち切ったことに対し、大阪朝鮮学園が2012年9月、補助金を不支給とした行政処分取り消しと交付の義務付けを求め大阪府と市を提訴したことに始ります。
 私も(瑛)さんと同じように、見事に傍聴の抽選に外れましたが、某朝鮮学校の校長先生が譲ってくださり、傍聴することができました。

 裁判では原告の大阪朝鮮学園側代理人である木下裕一弁護士が意見陳述を行いました。
 木下弁護士の意見陳述の内容は大きく2つで、一つは、大阪府の「1条校になる道があり1条校になれば補助金が支給されるのだから1条校になれば良い」という主張に対しての反論で、2つ目は、大阪府が1960年代の国会議事録を引用して、外国人学校の制度化が各種学校のうち職業教育を行う各種学校を制度化するにあたって、副次的に議論が行われていたものに過ぎないとした主張に対しての反論でした。

 ここでは、ひとつ目の「1条校になる道があり1条校になれば補助金が支給されるのだから1条校になれば良い」という主張に対しての反論について、その内容を4つに要約して報告したいと思います。

 第1に、1条校になればという言辞、発想自体が暴論だと言えるとしながら、理由として、①「1条校」とは「日本国民」の国民教育のための法制度であり、「外国人学校」にこれらに合わせよというのは原理的に筋の違う話であるということ、②朝鮮学校の教育の主な目的のひとつが民族教育、朝鮮民族としてのアイデンティティの確立にあり「1条校」における学習指導要領を前提とした教育実践とは矛盾するものであること、③1条校の教育は基本的に日本語で行われるはずのものであり、授業や学校生活全てを基本的に朝鮮語で行う朝鮮学校の教育実践は維持できず、地理や歴史についての教育は当該本国から見た視点を基軸になされるはずのものであり学習指導要領及び検定教科書とは矛盾すること――と主張、「1条校になれば良い」という言辞は朝鮮学校の存在自体を否定するものとした。

 第2に、補助金という公的資金による助成は、特段の事情でもない限りは、後退禁止・平等取り扱い等の制約を受けるもので、府や市の自由裁量などではないこと。教育内容に着目して補助金を増減するといったことも、公権力による教育内容への不当な介入であり許されない。「1条校」の教育内容に同調しないのであれば補助金をカットするという施策は、明らかに裁量権の逸脱濫用であり差別であり違法であるとした。

 第3に、大阪府が1条校となった4法人の外国人学校を引き合いに出していることに対して、上述のように、1条校であることは外国人学校の教育実践とは原理的及び最も重要な点において矛盾するものであり、1条校の「例がある」ことによって何ら変わるものではないこと。「韓国語」の授業を「週に4時間」程度しか行えないなどの大きな制約があることなどを主張した。

 第4に、「本国との関係」を問題視されること自体の不当性について主張した。
 ①「本国との関係」があることは、「外国人学校」である以上当然のこと、②日本の外国人学校に関する法制度もこのことは当然の前提としており、外国がする教育内容を尊重し日本の制度における平等取り扱いを認めており、またその前提として、本国との関係、影響についても承認していると言えること、③朝鮮学校の場合のみ、朝鮮民主主義人民共和国との関係、朝鮮総聯との関係を問題視すること自体が差別的取り扱いであり平等原則違反であること――と主張した。



 口頭弁論終了後の集会では、木下弁護士が今日の意見陳述の内容について説明しました(写真)。続いて、弁護団長の丹羽雅雄弁護士が発言、朝鮮学園の理事や教員、保護者、生徒、卒業生らの陳述書を用意しており、次回の口頭弁論で提出する予定であることや、保護者全員に対する学園側のアンケートも進めていることなどを報告しました。「子どもたちの教育の権利の問題は普遍的な人権である。これについて、国際人権法の視点から主張していく」と語り、「あくまでも個人的な感覚として、裁判は4合目に差し掛かったころだと思っている。これからが正念場。弁護団みんなでがんばっていきたい。引き続き支援をお願いしたい」と呼びかけました。


 次回、「補助金」裁判の12回口頭弁論は12月10日11時から行われます。
 また、大阪の「無償化」裁判は11月14日(金)の11時(10時半集合)から大阪地裁で開かれます。その日は東成区民センターの大ホールで朝鮮学校支援の大きな集会が開催されます。(k)

東京で無償化裁判、大阪で補助金裁判

2014-10-02 09:00:00 | (瑛)のブログ
 

 10月1日、東京地裁で無償化裁判、そして大阪地裁で補助金裁判の口頭弁論が行われた。

 私は62人の朝高生が原告となった東京の無償化裁判、(k)さんは大阪の裁判へ。

 第3回の今日からは東京地裁で一番大きい大法廷が会場となった。344人もの人が列をなし、大法廷の98席中50席は、東京中高の生徒たちが席を埋めた。朝鮮大学校生が後輩に傍聴券を譲るなど、地裁では心温まる光景が繰り広げられていた。今まで3回ともはずれ続けているクジ運のない私だが、幼馴染が席を譲ってくれ、ありがたかった。

 1、2回の裁判で朝高生側の主張と国側の反論が出そろったことを受け、この日は朝高側の弁護団が44ページにわたる準備書面と証拠を提出した。

 3人の女性裁判官が入廷した後、大阪朝高出身の康仙華弁護士が準備書面に基づき主張した。



 康弁護士は、「すべての者に学ぶ権利を」を理念とした高校無償化法の成立過程、朝鮮高校を念頭に置いた「規定ハ」が制定されるまでの経緯など、9点を主張した。東京朝高生たちはこの裁判で、国が朝高が該当する「規定ハ」を外したのは差別であり、法律違反だと主張している。康弁護士は、文科省の検討会議や審査会では、朝鮮学校の指定に向けて積極的な議論がなされており、審査会では朝鮮学校に法令違反の事実がないことが確認され、国が主張する「本件規定13条に適合すると認めるに至らなかった」というような事実が見られなかったと主張した。



 閉廷後、弁護士会館で行われた報告集会で弁護団の喜田村団長が述べられたことが、裁判を理解するうえでのポイントになると思うので、以下に整理する。

 (法廷では)何が一番問題ということを裁判所に説明しました。
 一つ目に述べたことは、朝鮮高校は「規定ハ」の類型に従って、受給資格を得ようと申し出をしたのに、文科省は「規定ハ」それ自体をなくしてしまった。そうすると、朝鮮高校は未来永劫、このままだと受給資格が得られない。法廷では裁判長に、傍聴席にいる生徒さんを見てください、ここにいる生徒たちが誰も就学支援金をもらえないことになってしまうんだ、「規則ハ」をなくしてしまうことは、そういうことだと申し上げた。
 高校無償化法とは、日本の高等学校と同じような同質の教育機関に通う子どもにはすべて支援金をあげます、という法律なんです。法律が一番上にあって、その下に規則がある。規則が法律に反してはいけない。
 ところが、法律では、「すべての子どもに支援金をあげますよ」と言っていたのに、文科省が「規則ハ」を削ってしまったから、他の学校の子どもたちはみんな受けられるのに、「規則ハ」にグループ分けされる子どもはもらえない。これは明らかに高校無償化法が予定していたことと正反対です。みんなにあげましょうと言っているのに、特定の教育施設に通う子どもたちはダメだと言っているわけだから。「規則ハ」を排除したことは高校無償化法に違反する結果になりますよ、と言った。

 2つ目には、13条の問題。高校無償化法の13条には、「指定教育施設は、就学支援金の授業に係る債権の弁済への確実な充当など法令に基づく学校の運営を適正に行わなければならない」という条文があり、国は、朝高が就学支援金を授業料の支払いに充てることをしない可能性があると言っている。しかし、実際の所を考えると、就学支援金は子どもたちに対する支払いなわけで、授業料から就学支援金を減らせばそれで終わってしまう。それをやらなければ、保護者から問合せもあるだろう、そんなことをするはずもない。それなのに、あたかも授業料の支払いに充てないかも知れないというのは、根拠のないおかしな話ですよ、といった。
 国が言っている二つの理由というのは、まったくおかしいですよねと申し上げた。

 第3に、8月29日の国連・人種差別撤回委員会が無償化差別は人種差別にあたる、これはおかしいという懸念を表明したことを申し上げた。
 この裁判は、原告と被告との間のことだが、それはひとりここだけの問題ではなくて、国際社会が日本を見ているし、被告の国は人種差別条約に基づいて人種差別を行わないことを積極的に進めていく義務を負っているのに、まったく反することをやっている。この事件は全世界が見ている。日本政府が負っている義務を本当に履行しているかを問われている。
 裁判所にこの事件の深さ、広がりを理解していただこうと、この三点を申しあげた。

 次回、第4回口頭弁論は来年2015年1月14日。同じく東京地裁の大法廷で行われる。今日の朝高側の反論に対して国側から反論が出される予定だ。

 10月18日(土)の14時からは、都内で報告集会が行われるので、傍聴を逃した方はぜひ足を運んでみてください。(瑛) 

私はあなたの話が聞きたい

2014-10-01 09:00:00 | (理)のブログ
 前回の日刊イオでも書きましたが、秋は芸術に関するイベントが盛りだくさんですね。その中でも私がぜひ足を運びたいのが「武蔵野美術大学芸術祭」。こちらで、朝鮮大学校美術科と武蔵野美術大学の学生らによる合同展示が開かれます。芸術祭での合同展示は去年に引き続き2回目になります。

 詳細については、ただいま絶賛準備中の制作者がこちらで綴っています(本人に転載許可をもらいました)。→http://ameblo.jp/chodemi/entry-11932328955.html

 私ももともと絵を描くことは好きでしたが、「観る」のはあまり得意ではありませんでした。どのように観るといいか、どのくらい観たらいいのか、なにを考えるべきなのか分からなかったからです。もちろん自由でいいのでしょうが、もう少しヒントが欲しいなあとよく思っていました。

 そんな私が鑑賞好きになったのは大学4年の時です。朝大の美術科で学ぶ同級生の友人が、校内で個展を開くということで行ったのがきっかけ。会場には、ハガキ大の紙にパステルで描かれた作品が百数点並んでいました。そこで直接、個展のテーマや作品に対する思いを聞きました。その話がとても面白かったのです。

 彼女は小さい頃、郵便配達員になりたかったそうです。理由は「届け物と一緒に、人々に幸せを運ぶ姿がかっこよかったから」。

 今は郵便配達員にはなれないけれど、自分の絵を通して観る人に何かを届けたい。だからハガキの大きさの紙に描いた―。いつかはなくなってしまう「かたちあるもの」を、それが存在したということだけでも留めておきたかった。観てくれた人が、「この色はあの時の感情に似ている」と、自分の心の中にある感情を引き出すきっかけになれば嬉しい―…。彼女の話を聞けば聞くほど、その空間に込められた気持ち、絵の意味が伝わってきて、納得・感動!という、今までにない体験ができました。そのまま詩や小説にしてもいいくらい、素敵で温かい話です。

 それからというもの絵を観る時は、可能であれば制作者の話を聞くようにしています。感動が2倍にも3倍にも膨れ上がります。去年行った冒頭の合同展示でも一つ一つの作品について丁寧に解説してもらい、やっぱり納得・感動!だったのでした(その時の日刊イオです)。→http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/9acfdf10a70f9135abd62273f1fcef51

 今年の展示への期待も高まります。その際もやはり作品に対する話を聞いてみたいです。芸術祭はどなたでも参加できるので、興味のある方はぜひ展示会場を訪ねてみてください。(理)