日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

“DO YOU HEAR?”

2012-02-11 09:00:00 | (淑)のブログ


 日本軍「慰安婦」問題、鈍足ではありますが韓国国内では動きが見られます。

 慰安婦問題 「仲裁委」の提案準備進める=韓国政府 [2012/02/06聨合ニュース]
 
 昨年、日本軍「慰安婦」問題の解決のために韓国政府が外交努力をしないことは違憲であるとの韓国憲法裁判所の判決を受け、韓国政府は2度に渡って日本政府に対して二国間協議を申し入れましたが、日本政府は一貫して「日韓請求権協定で解決済み」との立場に固執し協議を拒否しています。
 耳を傾けようとしない日本政府に対して、問題解決のためこのように韓国政府が積極的処置を講じているのは、違憲判決の影響が大きいのと、何より、被害女性らと支援者たちが長きにわたって運動を進めてきたからにほかなりません。
 この「仲裁委員会」の設置とは、日本軍「慰安婦」の賠償請求権が日韓請求権協定により消滅したか否かの韓日両国間の解釈上の紛争を、韓日両国と第三国の仲裁委員で構成された委員会による仲裁手続きで解決するというものです。仲裁委員会が韓国政府の解釈を支持する決定をした場合、今後被害者が提訴した際、従来の日本政府の抗弁は認められなくなります。
 しかし記事にもあるように、日本政府が同じ主張を持って仲裁委員会の構成自体を拒否する可能性は否めません。動静を注視するばかりですが、過去の日本の対応を見る限りは、とても楽観はできないでしょう。

 韓国は今冬、55年ぶりの厳寒に見舞われ、ソウルでも最低気温氷点下17.1度を記録、体感温度は氷点下23度だそうです。
 そんな身を切るような寒さの中でもハルモニたちの「水曜日」は続いています。想像してみてください。ハルモニたちのかじかんだ手を、冷たい頬を、寒波にも負けない「叫び」を。
 応答責任―responsibilityは、加害当事国である日本にのみあります。何度も繰り返し言いますが、被害女性を救済できるのは、心からの謝罪と、謝罪から生じる賠償だけです。日本政府には人道的な観点から考え改め、真摯に向き合うことを求めて止みません。

 トップの画像は、昨年末ウォールストリート・ジャーナルのアジア版に掲載された日本軍「慰安婦」問題を世論に訴えるポスターです。韓国の大学教授と歌手らによって企画されたもので、年頭に東京都内にも掲示されました。
 “DO YOU HEAR?” ハルモニたちの声が聞こえますか?(淑)

インフルエンザ流行中

2012-02-10 10:25:42 | (相)のブログ
 寒い日が続く中、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
 本日10日は、そう、現在編集中のイオ3月号の校了日です。編集部は朝から最後の追い込みの真っ最中です。工程が遅れているページは大変です…(あ、私の担当ページです、すみません) 外は寒いですが、編集部内は仕事の熱気でアツい! これはもしかしたら暖房がいい感じで効いてるからかもしれませんが。

 話は変わって、インフルエンザが流行しています。
 国立感染症研究所のまとめによると、日本全国約5000か所のインフルエンザ定点医療機関当たりの患者報告数が、1月23~29日の週で35.95人に達し、全国で警報レベル(30人)を超えたといいます。前週の1.6倍増で、この時期としては過去10年で3番目の多さだとか。昨シーズンのピークも上回っていて、患者は約173万人と推計されています。
 当然、免疫の弱い子どもや高齢者に感染者が増えています。休校になる学校も増えているようです。流行がピークにさしかかっているのでしょうか。
 ちなみに、私は過去一度もかかったことがありません。学生時代は、インフルエンザに罹ると学校を休めるので(正確には、感染を防ぐために休まなければいけないのですが)、風邪の症状が出ると、「インフルエンザであってくれ」と思ったりもしました。不謹慎ですね。

 人間、体が資本です。締切間際に体調を崩して寝込んでしまい、取材ができない、原稿が書けない! となったら目も当てられません。
 かくいう私の体も風邪の初期症状を呈しています。気をつけなければ。(相)


30代、40代

2012-02-09 09:00:00 | (瑛)のブログ
 先日40歳を迎えました。会社の同僚たちに「介護保険料しっかり徴収だよ」と冷やかされたり、ケーキでお祝いしてもらったり。。。ありがたかったです。

 30代を振り返ってみると、「イオ」とともに歩んできたんだと改めて感じます。
20代を新聞記者で過ごした私がイオ編集部に配置されたのは31歳の頃。ご存知のように、イオは30、40代向けの雑誌ですが、「編集部に30代がいない。君が行きなさい」と命じられたのです。

 新聞と雑誌は同じメディアと言っても、仕事のやり方、原稿の作り方も違いました。それまでは、「現場に走って事実を確認し、正確に伝える」ことを記者の最大の使命と感じていましたが、雑誌で働きだしてからは、「事実の伝え方」「同胞メディアの存在」について深く考えさせられました。

イオで働き始めたのは、自分の家庭を築き始めた頃で、公私ともに環境が一変しました。そう、イオは仕事や結婚で独立し始める30、40代に向けた雑誌なので、常に読者対象が入れ替わります。その読者の関心やハートを、その時々の時代状況、生活実態に即した形でつなぎとめることができなければ、部数は減るのみ。さきほど、「同胞メディアの存在」と書きましたが、まさに自分の同世代の人たちがイオを読んでいるか、意識しているか、まったく関心がないのかは、肌身で感じる部分がありました。
しかし、自分が関わった当初のイオを見ると、反省点ばかり。でも現場は待ったなし。活字は残ってしまうのです。

 20代は、夢見た記者になったものの、原稿に四苦八苦しながらの毎日でした。先輩にたくさん叱られながらも、そのぶん面倒もたくさん見てもらい、取材で出会った人たちは、今でも財産になっています。30代になって、自分が描きたいことを少しは形にできるようにはなったものの、まだまだ力不足。そして、チャレンジしたいこともあります。

 イオ編集部は現在、20代、30代、40代、50代の記者がいますが、20代の記者に刺激を受けることも、増えてきました。正真正銘、「おばちゃん」になったなぁと感じます。

40代が始まりました。味わいのある中年を目指したい、と思っています。(瑛)

何の「恥じらい」もない弾圧

2012-02-08 09:02:45 | (K)のブログ

 外国人登録法という法律がある。日本にいる外国人を管理・監視するための法律だ。7月に「新たな在留管理制度」がスタートするため、外国人登録法自体はなくなってしまう。この法律の大きな問題点は、違反した場合に刑事罰になること。そして、常時携帯義務や指紋押捺制度が長い間在日外国人を苦しめてきた。今回の改定で、特別永住の外国人の場合、外国人登録証は特別永住者証明書というカードになり、常時携帯義務はなくなるというが「提示義務」は残るのだという。常時携帯義務と提示義務、どこがどう違うのだろうか?

 大学に入学した後、同胞の先輩から教えられたのは、「外出する際には必ず外登(外国人登録証)を持っておけ」ということだった。警察に呼び止められもし持っていないと、捕まってしまうからだ。銭湯に行くときも、近所に買い物に行くときも、「必ず持っていけ」と念を押された。
 私はその教えを三十数年間守り続け、外出するときは常に外登を持ち歩いている。たぶん、私の人生の中でもっとも長い間、身近にあるのが外登ではないだろうか。


 この常時携帯義務も含め外国人登録法に規定された「義務」は、法律上はすべての在日外国人に負わされているものだ。しかし、実際の運用においては「平等」ではない。
 1963年、茨城県の竜ヶ崎朝鮮人午後夜間学校の教室で女性教師の李さんが授業している最中、竜ヶ崎署警察官が入り込んできて、李さんに外登の提示を求めた。その日たまたま外登を自宅に忘れてきた李さんは、生徒のいる前で連行され、登録法違反とは関係のない生徒の氏名、住所、保護者の職業など数時間に渡って尋問を受けた。
 1990年には、職員が外登の記載事項の変更をしなかったという些細な「違反」を理由に、何十人もの警官が東京朝鮮中高級学校に殺到、強制捜索し何の関係もない書類などを押収するという事件も起きている。
 昔、朝鮮大学校の前で警察が待ち構え、外出から帰ってきた朝鮮大学校の学生に「外登を見せろ」と迫ったということもあった。
 このようなことは欧米系のインターナショナルスクールに対しては絶対にやらないはずだ。日本は、在日朝鮮人や気に入らない外国人を狙い撃ちし、弾圧する道具として法律を使ってきた。


 そして現在。
 2月5日の産経新聞は次のように伝えている。
 「大阪市の橋下徹市長は5日、市内で開かれた北朝鮮による拉致問題を考える集会であいさつし…『大阪府、大阪市では拉致問題は許さない。不法国家である北朝鮮が正常な国になるまで付き合いは一切しないという意思をはっきり示していきたい』と強調。自身が府知事時代に打ち出した朝鮮学校に対する補助金支給要件の厳格化を上げ『全国の自治体でやればできる。これぐらい国が何で指示を出せないのか』と指摘した。」

 続いて7日のNHKニュースは「松原拉致問題担当大臣は、閣議のあとの記者会見で、朝鮮学校への補助金の支給にあたり、大阪府が北朝鮮の指導者の肖像画を教室に掲げないことなどを条件としていることについて、ほかの自治体が大阪府の対応を参考にするよう、平野文部科学大臣に要請する考えを示しました。」と報道している。


 結局、橋下市長らは、「不法国家、北朝鮮を懲らしめるために、日本にある朝鮮学校を兵糧攻めにする。在日朝鮮人の民族教育の権利を弾圧する」と言っているわけだ。「無償化」から朝鮮学校を外した最初の「口実」「理由付け」は、今は何も残っていない。
 現在進行形の「高校無償化」からの朝鮮学校排除、大阪府や東京都など地方自治体に広がる朝鮮学校への補助金カットなどを見ると、明らかに昔の弾圧と性質が違ってきている。
 今は「法律」もくそもない、めちゃくちゃな弾圧であるということ。また、昔は弾圧に対して正当な抗議をすると、抗議をうけた側もそれなりに「恥じらい」というものを感じていた場合があったが、いま橋下市長はじめ政治家たちは何の恥じらいも感じていない。逆に自分たちが「正しいことをしている」とさえ思っているはずだ。
 そして、このような政治家が大きな支持を受けている、またこのような「朝鮮学校イジメ」を多くの人々が「正しいこと」だと思っていることも、昔と大きな違いだ。「北朝鮮に対しては何を言っても、何をしても許される」という風潮が完全にできてしまい、いまの流れに声を出して反対する日本人がいても完全にかき消されてしまっている。
 日本はとんでもない社会になってしまったというのが正直な気持ちだ。

 今も進んでいるが、今後、「北朝鮮を支持するから」「朝鮮総聯と関係しているから」「朝鮮籍だから」と、権力者の恣意的な判断で特定の人々の権利がどんどん剥奪され弾圧・迫害が加えられていくのであろう。それはどこまでエスカレートしていくのだろう。
 今回、改定される「新たな在留管理制度」では、「みなし再入国許可」というものが導入される。これは、特別永住者の場合、2年以内の出国、再入国については再入国許可を不要とするものだが、法務省は「朝鮮籍」者の特別永住者は「正式な旅券がない」という理由で「みなし再入国」を認めないとしている。

 長々と書いた割には現在の状況をうまく伝えられないが、心の中にある自分を押しつぶそうとしている不安は現実のものだ。(k)


食生活改善?

2012-02-07 09:00:00 | (麗)のブログ
「普段なにを食べているのか」とよく聞かれます。
また、「自炊をあまりしてなさそう」とか「野菜をあまり食べてなさそう」とも言われます。


はっきり言います。
ご名答。


ブログで公言するのもあれですが、(過去に散々書いてきましたが)ほとんどがコンビニやお惣菜屋で買ったものを食べています。

なので普段口にしないものが飲み会で出てくると、迷わずガッツリ食べます。それはもう、無心で。

最近「タニタの社員食堂」のレシピ本が売れに売れているそうですが、私はそのひとつのメニューの食材を買うのも面倒くさいので、いまの朝鮮出版会館の食堂のメニューで大満足です。(笑)


こんなこと言ってるからいつまで経っても自炊出来ないのかなと思ったり…。
それも否めませんが、とりあえず目が覚めるような「おふくろの味」なお味噌汁を作れるようにならないと…。(麗)

行ってきます!

2012-02-06 09:00:00 | (里)のブログ
ブログを読んでくださってるみなさん、いきなりですが私(里)は今週から朝鮮に滞在することになります。

「ウリナラ」に行くのは実に4年半ぶり。

滞在期間も結構長いので緊張もしていますが、いまのウリナラを自分の目で見て感じられることへの喜びも感じています。

職場の上司や同僚たちからもたくさん激励してもらいました。

少しの間みんなに会えないのがとても淋しいですが、もらったエネルギーをあっちでの活動で活かしたいと思います!


少し落ち着いたら、ブログも書きたいと思うので、こうご期待…です!(里)


2月は学芸会の季節

2012-02-05 09:00:00 | (愛)のブログ
あっという間に2月ですね。
毎日寒さが身にしみる季節です。
さて、2月といえば、ウリ学校で行われる学芸会の季節です!

私も今年の学芸会を待ちにまっていました♪
自分の子どものようにかわいがっている甥っ子の初!学芸会だからです。
去年ウリ学校に入学した甥っ子が1年間の集大成を見せてくれるまたとない機会です。

日本の保育園に通っていた時は「ボク」といっていた甥っ子も、
ウリ学校に通いだして「ナ」と自然に言うようになり、
生活の隅々でウリマルを使うようになりました。
それをまねして、まだウリマルを習っていない姪っ子たちも、
自然にウリマルを使うようになりました。
甥っ子たちをこよなく愛するイモちゃんから見ると、かなりうれしいことです。

甥っ子はいま学芸会の練習真っ最中だそうです。
姉が言うには、まだ校歌の歌詞を間違えて覚えてるらしく、
もうちょっと練習が必要だそうです。
それでも、生まれた時から可愛がっている甥っ子が
ウリマルを話しながら堂々と舞台に立っている、
朝鮮人としての一歩を踏み出しているそんな成長した姿を想像しただけで、
涙がでそうな気がいまからしています。
当日は一眼レフを持って、
甥っ子の晴れ舞台をばっちり写してこようと目論んでいます。(愛)



「ピョンヤンの冬休み」も読みたい

2012-02-04 09:00:00 | (淑)のブログ


 柳美里さんの「ピョンヤンの夏休み」を読了しました。同書と関連したエントリーを、すでに(k)さんと(相)さんの2人が当ブログに書いていて、もう3度目になるのでいささか気が引けましたが、良書なので繰り返し宣伝するに越したことはありません。

 とかく、柳美里さんの言葉で描かれる朝鮮は、美しい。情景が眼前に浮かんでくるようです。自然や街中の景色はもちろん、そこに暮らす人々の言動、柳さん自身の感情の微妙な変動にいたるまで全てが非常に繊細、鮮明、豊穣な表現で綴られていて、ものすごくリアリティのある「物語」を読んでいるようでした。
 愛情たっぷりに描かれる朝鮮の人々や、柳さんが朝鮮語を一つひとつ学ぶ姿、他愛のないやりとりなど、人々の心と心が通い合う姿に、何度も笑顔になってしまいました。通訳の金雪花さんと、柳さんの息子の丈陽くんとのやりとりは特に印象深かったです。ページの下に挿入された小さな写真たちもまたいい。
 また、柳さんが出会った人たちがそれぞれ抱える暗い過去や、民族分断といった朝鮮半島の現状に心を痛めたり、柳さん自身の、「祖国」と「自分」との関係性に対する苦悩などが随所で見え隠れし、何度か喉の奥の方が熱くなりました。

 私はこの本を、休日に近所のカフェに居座ってのーんびり読みました。途中休憩を挟んだり、隣の人の会話を盗み聞いてこっそり笑ったりしながら(すみません、どうでもいいですね)。
 朝鮮について書かれた本は日本で数多く出版されていますが、コーヒー片手に穏やかな気持ちで読める本はそう多くないんじゃないかと思います。
 柳美里さん自身が、「『ピョンヤンの夏休み』は、書いているのが楽しい稀有な作品でした」(月刊イオ2月号「ポドゥナムの里から」)とおっしゃっているように、「ピョンヤンの夏休み」は読んでいるのも楽しい作品でした。
 同書は、2008年秋、2010年春、同年夏と3度の訪朝記を一冊にまとめたものですが、冬だけが欠けています。
 私自身、冬の朝鮮を見たのは今から12年前の2000年の一度きりで、湿度のない凛とした空気や街ごと白く覆う雪、凍った大同江でスケートを楽しむ人々など・・・柳さんの目には朝鮮の冬景色がどう映り、どんな言葉たちで表現されるのか、「ピョンヤンの冬休み」もいつか読んでみたいなぁと思いながら、本を閉じました。(淑)

取材で出会った人々を思い浮かべながら

2012-02-03 09:56:33 | (相)のブログ
 

 2012年もあっという間に1月が終わり、2月に入りました。
 今年の冬は例年になく寒い日々が続いていますね。マフラーはもちろん、近年あまりお世話になっていなかった手袋も押入れから引っ張り出して使っています。
 わがイオ編集部の面々は3月号の締切を前にして、編集作業の真っ最中です。同僚の(里)さんが今月初めから朝鮮に長期出張することになっているので、今後はさらに忙しくなるでしょう。
 私は、といえば先週1週間にかけて宮城、岩手、福島の東北3県を回って取材した内容をまとめています。毎度のごとく、書くべき原稿が結構たまっているので少々焦り気味。
 
 取材ノートやICレコーダーの内容を起こし、改めて見直してみると、取材過程で出会った人びとの顔が思い浮かびます。
 取材とは多くの場合、それに応じてくれる人や協力してくれる人がいないと成り立ちません。こちらの無理な要求に応えてくれて、答えづらい質問にも嫌な顔せず答えてくれる取材相手の人びと。現地の地理に不案内な記者のために、貴重な時間を割いて案内役を務めてくれ、取材のコーディネーター役も務めてくれる現地の総聯専従活動家の方々。記者に電話をくれて、さまざまに有益な情報を提供してくれる同胞や日本人の方々。そして、毎回美味しい食べ物をごちそうしてくれる人も(笑)。
 もちろん、このような協力者を探すというのも記者の大事な仕事のうちの一つですが。ともかく、彼らの存在なくしては私たちの仕事の多くの部分は遂行が困難になることは間違いありません。毎回感謝してもしたりないほどです。

 このような人びととのつながりが記者としての財産になるのだと思います。私自身は財産がまだまだ少ないですが、これからもっと増やしていきたいと思います。
 写真は、仙台滞在中に昼食でごちそうになった厚切り牛タン定食です。(相)

17年ぶりのウリハッキョ⑨保護者補助金を生んだ大田区

2012-02-02 09:00:00 | (瑛)のブログ
 ハッキョのある東京都大田区は、日本で初めて朝鮮学校保護者への保護者補助金が支給された場所です。支給されたのは日本が国際人権規約を批准した翌年の1980年でした。
 補助金は、地元の同胞たちはもちろん、ウリハッキョを支援する日本の議員や市民たちによって実現されたのですが、運動のきっかけは、老朽化した校舎の補修問題でした。

 校舎の補修には当然、多額の費用が必要になります。保護者や地域同胞が頑張って資金を集めるのですが、それだけではまかないきれません。そこで大田区の同胞たちは区を訪れ、援助金を出してほしいと要請を重ねていくのですが、その過程で保護者の中で「日本人と同じように私たちも納税の義務を果たしている。当然、それに見合う補助の支給を受ける権利がある」という意見が出たのです。そして、翌80年1月から教育会とオモニ会、保護者を中心に、「保護者補助金」を獲得するための運動が大衆的な規模で始まり、署名運動が始まりました。

 当時を回想した、韓鐘萬・教育会顧問の文章があります。

 「オモニたちがよく頑張りました。真冬の寒い時期にもかかわらず家事やパートで忙しいオモニたちが、近辺の日本の主婦たちに署名をもらい、また区労協傘下で女性が多く働く平和島競艇の婦人組合では1万5000人分の署名や支持支援を得ました。また国会や区の議員、商店街の役員にまで範囲を広げ、補助金支給の必要性を訴えました」(「在日朝鮮人の民族教育の権利について」より)

 大田の同胞たちは5万人の署名を集めて区議会に提出しました。民族教育支援の声は議会を動かし、ついに80年6月13日の本会議で朝鮮学校への補助金支給が正式に決まったのです。
 補助金支給の動きは都内に広がります。1990年には23区すべてに朝鮮学校保護者への補助金制度が設けられた経緯を見ても、大田で初めて制度が生まれた重みを感じます。

 しかし、30年以上たった今、保護者たちの前には東京都の補助金ストップという厳しい現実が突きつけられています。
 東京都は1995年から支給している「私立外国人学校教育運営費補助金」を2010、11年度と2年連続で凍結し、東京朝鮮学園へ補助金を支給していません。
 補助金カットの動きは、大阪、宮城などでも起きており、朝鮮高校の無償化排除の動きと大きく関連しています。
 
 石原都知事は、朝鮮学校の教育内容を問題視し、「徹底的に調査する」としています。
 外国人学校を支援する法律がまったくない日本で、なぜ朝鮮学校に対してだけ、これほど強い教育内容のチェックが行われるのか―。他のインターナショナルスクール、宗教教育を行う私立学校に対して、戦時中でもない今日、同様のことが果たして行われたでしょうか。

 保護者補助金制度の発足から31年。30年とは世代が一巡する時間です。
 在日朝鮮人をめぐる状況は一進一退を繰り返してきました。
 現在の状況は祖国解放後、雨後の筍のように増え続けた朝鮮学校が、GHQと日本政府によって武力で閉鎖された1948、49年の状況を彷彿とさせます。大げさだと笑う人もいるかも知れませんが、私は保護者として相当の危機感を感じています。
 
 目下、東京都の朝鮮学校では都知事が補助金を引き続き支給するよう、署名を集めています。ぜひご協力ください。(瑛) 

パワハラの定義

2012-02-01 09:06:45 | (K)のブログ
 1月30日、厚生労働省が職場でのパワーハラスメント(パワハラ)の定義を明確化する報告書をまとめた。パワハラは以前から社会問題として注目されてきたが、厚労省が職場でのパワハラを定義づけるのはこれが初めてだとのこと。
 読売新聞の報道によると、報告書における職場でのパワハラの定義は、「同じ職場で働く者に対し、職務上の地位や人間関係などの優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて精神的・身体的な苦痛を与えたり、職場環境を悪化させたりする行為」となっている。
 さらに、職場でのパワハラの類型を次の6つに分けて示している。①暴行など「身体的な攻撃」②暴言など「精神的な攻撃」③無視など「人間関係からの切り離し」④実行不可能な仕事の強制など「過大な要求」⑤能力とかけ離れた難易度の低い仕事を命じるなど「過小な要求」⑥私的なことに過度に立ち入る「個の侵害」。

 こういう報道を見ると、やはり自分が職場でパワハラをしていないか、自然に振り返ってしまう。
 類型のなかで、
①の「身体的な攻撃」はさすがにやっていない。
②の暴言は、口に出すことはない。けれど心の中では言ったりしているかも。
③は、こちらは無視することはないけれど無視されることは多い。
④の「過大な要求」はまったくないと思う。
⑤は「閑職に追いやる」という言葉があるからこれもパワハラなのだろう。「私は重要な仕事をまかされていない」と思っている編集部員がいないように、これからはもっと大切な仕事をどんどんまかせていきたい。
 ⑥が今回もっとも反省した点で、今後、「カレシできた?」などということはいっさい訊かないことにする。


 以前、同胞の医師と話をした時に聞いたのは、病気の多くはストレスが原因になっているということ。野生のサルはガンにならないが、「猿回し」のサルはガンになるらしい。これもストレスからくるものとのことだ。
 職場は1日の多くの時間を過ごす場所だけに、職場の人間から攻撃されたらたまらない。雑誌編集というのは、ただでさえストレスの溜まる仕事である。

 それにしても、最近、日本の政治状況から私生活にいたるまで、ストレスの溜まることが多いのはどうしたことなのだろうか。仕事や生活を根本的に見直したいと思っている。(k)