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日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

富益富、貧益貧

2011-04-13 09:13:05 | (K)のブログ
 最近のテレビ番組を見ていて気になるのは、通常のバラエティ番組のような顔をして大企業を宣伝する番組が増えていることだ。テレビ朝日の「シルシルミシル」なんかはその典型。広告料をもらっているのかどうか知らないが(たぶんもらっているのだろう)、マスコミ全体が大企業に媚を売っているように思えてならない。月刊イオが同胞の焼肉屋さんを紹介するのとはわけが違う。


 「부익부、빈익빈」という言葉が朝鮮にある。漢字で書くと「富益富、貧益貧」となり、「富める者は益々富み、貧しい者は益々貧しくなる」という意味だ。日本のような資本主義社会に住んでいると、日々実感できることで、金を持っている人間のところにはお金が集まり、私のような貧乏人からはどんどんお金が離れていく。
 零細企業が倒産しても政府はほったらかしだが、大企業が倒産しそうになると、「社会的影響が大きい」などといって支援したりもする。
 旧国鉄の跡地を大企業に格安の値段で売却したが、こういう例はたくさんある。


 普段、何もない時にも「富益富、貧益貧」は当てはまるのだが、今回の災害のような非常時にはさらにこの傾向が強くなるようだ。

 16年前に阪神・淡路大震災の取材のときに感じたのも「富益富、貧益貧」であった。ローンがいっぱい残っているのに家が全壊・半壊した人たちや小さな工場が壊れて廃業を余儀なくされた人たちの姿をいっぱい見た。反面、金持ちは同じ被害でもダメージは少ないし、資金がある人たちは災害に乗じて金儲けもしていた。

 福島第1原発の事故は、原子力施設事故の深刻度を示す国際評価尺度(INES)で、チェルノブイリ原発事故と同じ最も深刻なレベル7に相当すると発表された。この事故による賠償を東京電力がすべてできるわけがなく、今回、国の負担する賠償額は1兆円を超えるとも言われている。そのお金はけっきょく税金であり一般民衆のものだ。東京電力には大手銀行が莫大な貸付を行ってもいる。

 今回、福島第1原発周辺地域の人々は住むところを奪われ仕事も奪われた。東京に住む私のような貧乏人も放射能の恐怖が迫ってきても、引越しもできないしどうすることもできない。
 高給をもらっている東京電力の社長ら幹部は、今後、解雇されたとしても、個人的に何か金銭的に賠償するということはないのであろう。

 また、原発事故により放射能の汚染水が大量に海に流されたが、日本は国際社会にどのような謝罪と補償を行うのだろうか。朝鮮半島をはじめ近隣の国々は特に深刻な問題だ。これも、過去の侵略と植民地支配と同じように、正式な謝罪も補償もせずにすまそうとするのだろうか。これまで、世界的に大きな環境汚染の事故が起こっているが、よく考えてみると、ほとんどが「先進国」と呼ばれている国々が起こしている。そしてその被害を多く受けるのは「弱小」の国々だ。
 国際社会でも「富益富、貧益貧」が当てはまる。(k)


イオ5月号の締め切りを終えて

2011-04-12 10:52:19 | (麗)のブログ
昨日、イオ5月号の締め切りが無事終わりました。
もともと決定していた特集があったのですが、地震発生後、東日本大震災の特集に変更となりました。

震災から1ヵ月…相変わらず余震は毎日起こります。今朝も震度4の揺れ。
私の家も木造アパートなので揺れが大きく感じるため、毎日ヒヤヒヤしてます。

今回、イオでは(相)さんが被災地に行き、生々しい震災の傷跡を文と写真で伝えてくれました。
そして、同じく被災地へ出向いた朝鮮新報の李記者がいまも被災地で取材を続けています。

被災された同胞の姿を、私は記事と写真などでしか情報を得ることはできませんが、
今後も被災した後の個々人の姿、声、被災地の現場、ウリハッキョの現状などを、雑誌・イオで読者に伝える。
そういった仕事に携わっているからこそ、より一層、読者に訴えかける誌面づくりを目指していかなければいけないと、強く思います。

締め切りは終えましたが、震災はまだ終わってはいません。
引き続き、被災地の同胞のありのままの姿を、イオで伝えていきたいと思います。(麗)

地震が起きようと起きまいと

2011-04-11 09:34:56 | (里)のブログ
先週もブログで書いた、東北朝鮮初中級学校への補助金不支給のことについて書きます。
いくつかの報道では、不支給を決めた理由を、
「国が砲撃事件を受けて交付基準を見直したため」(産経新聞)とか、
「昨年11月の北朝鮮による韓国砲撃への県民感情を考慮し、支給を見合わせた他府県と歩調を合わせる」(河北新報)などと報じました。

ちなみに朝鮮新報の4月4日付の記事(朝鮮語)では、
「東北初中教育会理事会は、宮城県が延坪島砲撃事件とそれに対する『県民感情』を口実に今年度予算に計上していた東北初中に対する補助金162万4000円を支給しないとしていることに対し、(決定の見直しを求め)抗議していくことで合意した」と報じています。

今回の決定は学校側に、文書などではなく口頭で伝えられたということで、
いずれにしろ県の意向がどのようなものであったのかを調べるために、直接宮城県の私学文書課というところに7日午前、電話してみました。

対応してくれた公務員の方は、想像していたよりもとても丁寧に対応してくれました。
以下に要点をまとめます。



●補助金を交付しないことにした理由は、
昨年11月に朝鮮半島で起きた砲撃事件を受け、県議会内で「県民感情を考慮し補助金を見直すべきではないか」という議論が高まり、支給を見合わせた他府県と歩調を合わせた。
砲撃事件後、国が朝鮮学校への「高校無償化」適用をめぐって総理の指示で審査手続きを停止したことから、県の補助金のこともクローズアップされた。

●普段から大阪や東京など、支給を見合わせた他府県と、朝鮮学校のことをめぐって情報交換はしてきた。

●(やっぱり理由がはっきりわからなかったので)「決め手は何だったんですか?」という質問に、「最終的に何をもって決めたかというのは、正直、事務方としてはわからない」と担当者は返答。県内にも両意見がある、と言っていた。

●宮城県では平成4年度から東北初中に補助金を支給してきた。当時、訪朝団なども行き来する中、友好機運が高まり、当時の知事がゴーサインを出した。「拉致問題」が発覚した時も、県は変わらずに補助金を出し続けた。「その時はそもそも、補助金見直しという議論にもならなかった」と言っていた。

●今回の決定は知事の決断。いわば政治判断。知事の判断が変わらない限り、覆されることはない。


なぜ今回宮城県が東北初中への補助金をカットすると決めたのか、
非常にあいまいな理由しか聞くことができませんでした。
「歩調を合わせる」というのは聞こえは良いかもしれませんが、理由としては不十分すぎます。
そもそも、歩調を合わせなければならない理由は何なのでしょうか。
こんな「適当」な感じで朝鮮学校の権利は踏みにじられてしまうのかと、
憤りも感じつつ本当に呆れてしまいました。


しかしこれは私の個人的な解釈ですが、県の行政内でも温度差があるんだな、と思いました。
少なくとも私に対応してくれた担当者は、今回の決定に疑問を感じているようでした。
「今まで支給していたものを何故」という感じでした。
「理由になってない理由」、ちっとも「合理的でない理由」をふりかざして、
等しく震災で被害を受けた東北初中にさらなる打撃を与えようとしているなんて、本当に許せません。


一方宮城県は、昨年度分の補助金に関しては
「砲撃事件」を受けて一時凍結していたものの、「未曾有の東日本大震災の被災地という人道的な見地から支給した」といいます。
しかし、朝鮮学校のような民族学校にも当然、地方行政からの補助金を受け取る権利があり、
そもそも今回のような非常時だから受けられる恩恵的なものでもないはずです。
地震が起きたか起きていないかなんて関係なく支給されるべきです。


宮城県知事は「人道的な見地から」という言葉を発しながら、
人の道に反したことを同時に行っていると思うのですが、違いますか?(里)





雲隠れする「二次災害」

2011-04-09 09:00:00 | (淑)のブログ
現在イオ編集部は5月号の締め切り直前で、絶賛校正中です。
みんなすばらしい集中力です。仕事の鬼と化しています。
イオ5月号は東日本大震災の特集です。今回すべての特集や連載枠を使って震災関連情報をお伝えします。
次々と出来上がっていく記事を読み読み、改めて甚大な被害を目の当たりにし張り裂けそうな胸の痛みを抑えることができません。だけど被災者の方々が直面している現実に、自身も「伝える者」として真摯に、そして絶えず向き合っていきたいと思います。

震災被害もさることながら、非常事態により雲隠れしている諸問題も同じく関心事です。
日本政府による朝鮮に対する経済制裁は再度延長されました。今回で7度目です。
航路を断たれ、空路での訪朝が困難な高齢同胞たちが再び祖国の山川を見られる日はくるのでしょうか。
「高校無償化」制度は今年度も朝鮮学校のみを除外したまま施行されました。
朝鮮学校生徒らは今年もまた同じ夏を、冬を、繰り返すのでしょうか。
こうして非常識は常識に、不当は真っ当に、有罪は無罪となっていくのかと行く先を憂いてなりません。
「歴史は繰り返す」今この言葉を痛感しています。
在日朝鮮人問題に限らず、社会や言論の目が震災に集中する中で、その影に隠れて煩わしいものを置き去りにしようとする社会の風潮は、日本でしか起こり得ない「二次災害」とも言えるのではないでしょうか。
すでに当ブログでも書かれていましたが、宮城県では朝鮮学校に対する補助金を交付しないことを決定しました。
厳しい避難生活のさなかでも排斥主義を振りかざす県当局に、どれだけ朝鮮人を惨めにしたら気が済むのかとほとほと疲れてしまいますが、それでも。
「民族を問わず、命を救いたい」
垣根を越え手を取り合う被災者の方々の良心にならい、今こそ愚直に声を上げていかなければと思うのです。
不安材料だらけの今日を見つめ直し歴史の再生産を食い止め、未来を手繰り寄せるのは、つなぎあった手であると、固く信じているからです。

ご挨拶が遅れました。今週からイオ編集部に配属された(淑)です。
まだほんの数日ですが、一愛読者であった自分が、今はイオの誌面作りに微力ながら携わることができうれしく楽しい日々です。
1年生記者ですが、社会人としては5年生です。これまでの社会生活で培った経験を生かし、また、感謝の気持ちを忘れず、ぶれることなく確固たる視点で発信していきたいと思っています。
読者のみなさまには月刊イオ、日刊イオとともに末永くご愛顧いただければ幸いです。
どうぞよろしくお願い致します。(淑)

におい

2011-04-08 10:42:24 | (相)のブログ

 イオ5月号の締切日が迫る。東日本大震災関連で現地で取材した内容を必死にまとめている。地震発生から3日後の3月14日から月末までの期間、朝鮮新報社の現地取材チームの一員として、数多くの記事を被災地から発信してきたが、自分が書いた記事を読み返してみながら、被災地の姿を十分に伝え切れていないと反省することしきり。
 何を伝えられていないのか、原稿の中に何が足らないのか考えてみた。そして自分が出した一つの結論、それは「におい」だ。
 においは人間の本能や、特に感情と結びついた記憶と密接な関係があると言われている。嗅覚は人間の中でもっとも感情を刺激する感覚だという指摘もある。1世ハラボジ・ハルモニの独特のにおい、恋人がつけていた香水のにおいなど、かつて自分の人生の中で接してきたさまざまなにおい――。それと同じにおいに接した瞬間、昔の思い出や当時の光景が鮮やかにフラッシュバックした経験は誰しもがあるだろう。

 宮城や福島といった東日本大震災の被災地で自分の嗅覚を刺激したあのにおい。気仙沼の市街地で嗅いだ潮のにおいと焦げ臭さが入り混じった不快なにおい、海岸近くの町で目にした、ほんの数日前まで多くの遺体が埋まっていたであろう、瓦礫の山から発せられる何とも形容しがたいあのにおい。多賀城市の学校に設けられた避難所、数百人の被災者が生活する体育館の中に入ったときのむせ返るようなにおい。そして、石巻で「焼肉塾」メンバーが炊き出した焼肉の、食欲を刺激する香ばしいあのにおい。
 それらの現場に立会い、写真を撮り、記事の中で描写もした。でも、自分自身が見て感じたことの半分も伝えられていないおのれの非力さを痛感する。そして、思う。自分が被災地で目にした情景にリアリティを与えていたのは、においだったのかもしれないと。時が経つにつれて、その情景が自分の記憶からどんどん消え去っていくとしても、あの時のにおいだけはたぶん忘れないだろう。
 いくらうまい表現をひねり出しても、言葉で伝えることはできないかもしれない。いや、文才のある人なら出来るかもしれないが、たぶん自分の貧弱な文章力ではその境地に達することはできないだろう。

 といった内容を昨日の時点で書いておいた。そして、自宅への帰り道。都内の駅のホームで帰りの電車を待っていると、地震に遭った。駅の天井が揺れていた。東京は震度3。それ以上は揺れただろうと思いつつ、さらに情報をチェックする。震源地は宮城県沖、宮城北部などで震度6強! 今回の大震災以降の最大の余震だという。
 3月11日、あの日からもう一月が経とうとしているが、震災はまだ終わっていない。余震もそうだが、行方不明者がいまだ1万5000人いるという胸の張り裂けそうな現実。総聯対策委員会の集計によると3月31日現在、同胞の安否未確認者も250人あまりいる。彼らの家族や友人にとって3月11日はまだ続いている。
 あのカタストロフがたかだか一月で終わるはずがない。死者、被害規模すら確定されていないのに。だから、ちまたで広がる「復興」「がんばれ」の大合唱にはどうしても違和感を持ってしまう。自分が築き上げたものが一瞬にして全てなくなってしまう喪失感は体験した人間にしかわからない。そんな人々がたかだか一月で「さあ、頑張ろう」という気持ちに果たしてなれるのか。そういう人もいるだろう、でもそうじゃない人もいる。被災地の復興は当然必要だが、「喪に服す」期間というか、悲しみにくれる被災者に寄り添う時間というか、そういうものも必要なのではないだろうか。
 正直、被災者の悲しみを私は想像できないし、すべて理解することもできない。だって、私は地震の被害を受けていないし、肉親も失っていないし、帰る家もあるから。そんな人間が無邪気に「がんばれ、がんばれ」と言ったところで、薄っぺらい言葉に聞こえてしまう。それでも被災地の再生のために出来ることはある。勇気づける言葉ももちろん必要。それに加えて、被災地のためにできることを探し、実行することがこれから求められると思う。
 そして、いろんなところで「がんばれ」「日本は一つ」「一人じゃない」と言っている人たちに一言。もちろんそれは正しいことで、間違ってはいないけど、自分は安全圏にいながらそういう発言をしているという自覚だけは持とうよ。(相)

「新1年生」と「外務省ホームページ」

2011-04-07 09:50:56 | (愛)のブログ

先週土日は各地でウリハッキョの入学式が行われたのではないでしょうか。
生まれた時からまるで自分の子どものようにかわいがっている甥っ子も、ウリハッキョに新1年生として入学することになりました。
下記は入学式の前日のやりとりです。
父:「入学おめでとう!!」
甥っ子:(大きな声で)「ありがとうございます!!」
父:「じゃあ練習だ!○○○ハッセン!」
甥っ子:「イェッ」
父:「もっと大きな声で。○○○ハッセン!」
甥っ子:「イェッ!!!」
とまあ、こんな調子で入学式当日は朝早くから起きて、体に比べておおきな책가방(ランドセル)を背負って意気揚々と入学式に参加したそうです。

そして、昨日は初登校日でした。
甥っ子が住んでいる所からウリハッキョに通うには、7時に通学バスに乗ってひと山越えて、1時間車に揺られながら行かなければなりません。
6歳の子どもにはきっとあまりに遠く感じたのか、ソンセンニムになぜウリハッキョはここにしかないのかと聞いていたそうです。
遠すぎるよ~とぐちっていたそうです。
私もウリ幼稚園にそのバスで通っていたのですが、車酔いをして何度もお戻しをしてしまうくらい、結構きつかったです。
それでも、やっぱり甥っ子にはがんばってウリハッキョに通ってもらいたい。

日本政府はこんな非常事態でも、ウリトンポたちに打撃を与えます。
先日ある事実を知りました。
日本の外務省のホームページで各国からの支援として、支援を受けた国名を羅列しているのですが、
朝鮮民主主義人民共和国の名前がどこにもない。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/saigai/index2.html#omimai

朝鮮赤十字会から日本赤十字社に10万ドルを送ったというれっきとした事実があります。
下記 【東京25日聯合ニュース】
http://news.goo.ne.jp/article/yonhap/world/yonhap-20110325wow025.html

しかし、カーソルを下まで回しても、血眼になって探しても、見つからない。
あった事実をないことにしたいのだろうか?
なんか、本当に、この国の政治のスタンスに、がっかりしました。
「ともにがんばろう」なんて言葉だけ。自分たちに邪魔なものは非常事態でも排除する。

そんな国で生きていくには、影響の受けやすい小さなころから、
ウリハッキョでいろいろと学んで、考えて、
在日朝鮮人として生きていくための何かをみつけて欲しいと思うのです。
ウリハッキョは反日思想を植え付ける場所でもなければ、変な思想を吹き込む場所でもない。
ただ単純に、
自分が自分らしくまっすぐに生きていくために、
絶対に必要な場所なのですから。(愛)


火事場泥棒よりひどい朝鮮学校への差別・排除

2011-04-06 09:00:00 | (K)のブログ


 東日本大震災の陰に隠れて、忘れられているかもしれないが、昨年4月1日、民主党政権は、朝鮮学校だけを排除して「高校無償化」法をスタートさせた。文科省は「外交問題とは関係ない」「純粋な教育問題として処理する」と何度も言いながら、昨年11月にようやく適用への手続きがはじまったにも関わらず、朝鮮西海での軍事衝突を口実に、政府は適用手続きを停止した。また、高木文科相は3月末に、震災の影響で適用手続きは進められないなどと発言していた。
 そして、再開されることなく、4月1日が過ぎ、新しい年度が始まってしまった。

 さらに、「高校無償化」問題と足並みをそろえるように、都道府県での朝鮮学校への補助金が、あちこちで支給停止されている。

 大阪の朝鮮学校に対する府の補助金執行を停止していた橋下徹知事は、初中級学校に対して2010年度分の補助金を支給すると発表したが、朝鮮高級学校への支給は一貫して否認を続けている。予算計上した2010年度分を一方的に無くし、2011年度分は計上すらしていない。
 埼玉県でも2010学年度の埼玉初中級学校に対する補助金を予算化してたにもかかわらず支給しないとの結論を出した。

 さらに、震災で大きな被害を受けるなか、在日朝鮮人と日本人が助け合いながら避難生活を送っている宮城県でも、新年度の東北朝鮮初中級学校への補助金を交付しないことを決めた。

 日本に住む外国人が子どもたちに民族教育を施すのは当然の権利であり、日本政府は支援する義務がある。ましてや在日朝鮮人は、日本の植民地支配により日本に住むようになった人たちである。このブログでも何度か書いたが、日本政府は本来、在日朝鮮人の民族教育を手厚く保護・支援する義務がある。にもかかわらず、これまで一貫して弾圧し続けてきたし、いま現在、「高校無償化」からの排除、助成金支給停止という形で弾圧している。

 在日朝鮮人は税金も日本人と同じように取られ、震災が起こっても日本人と同じように被害を受け、放射能も同じように浴びるのに、「高校無償化」からは排除され、補助金はカットされる。
 日本は火事場泥棒よりひどいことを「合法的」にやっているとしか言えない。


 さらにさらに、震災のどさくさにまぎれて、日本政府は、朝鮮民主主義人民共和国に対する「制裁措置」を1年間延長することを決めた。延長は今回で7回目だ。
 ある人がツイッターで、「制裁延長」について、「日本は加害者なのに「制裁」するとはなんという傲慢か」というようなことを書いていたが、その通りだ。

 日本は敗戦後、朝鮮に対する植民地支配や侵略をきちん謝罪、清算することなく、朝鮮半島分断に対して責任を持っているにもかかわらず、米国と一緒に南だけに加担し、北を敵対視し続けて分断を固定化してきた。在日朝鮮人に対する弾圧も、その一環としてあったわけだ。

 在日朝鮮人が現在享受している権利は、日本政府が進んで与えたものではない。1世の時代から朝鮮人と良識ある日本人が闘い勝ち取ってきたものである。その権利すら、いまひとつずつ日本は奪おうとしている。

 4月3日、神奈川県川崎市にある川崎朝鮮初級学校の入学式に、「入学おめでとう応援隊」(写真)として、新入生たちを祝福するために駆けつけてくれたある日本人教師は、「震災後、『日本は一つ』というようなメッセージがテレビなどでさかんに流されているが、そこに在日外国人への視点が外れているのではないか。朝鮮学校に対する権利問題の活動もやりにくい雰囲気になっているが、高校無償化問題、補助金問題など朝鮮学校の権利を守る闘いを地道にやっていかなくてはいけない」と語っていた。(k)


つぶやいている人を見る

2011-04-05 11:34:40 | (麗)のブログ
突然ですが最近ツイッターを始めました。
といっても、ほとんどつぶやいてないです…。初心者ゆえになかなかつぶやくのは勇気がいります。
しかし、フォローしてくださった人がいつの間か31人も…。
全然姿を現さないうえ、ツイッターの良さを全くと言っていいほど発揮していない私にフォローしてくださってありがとうございます。


ツイッターは数秒もしないうちにたくさんの情報がこれでもか!と入ってきます。
「こりゃ便利だ」と思うしかなく、いまは「見る」専門になっています。


始めた当初に知り合いはいないかと探索していると、
大学時代に教育実習でお世話になった美術講師の先生に出会うことが出来ました。
大震災から6日ほどたったころに、「頑張れ!のメッセージ」という先生のツイートが4件。
そこにはご自身が教えている生徒たちの、被災地の同胞へ思いをこめて描いた絵が掲載されていました。
子どもたちの「頑張れ!」というまっすぐで純粋な思いが伝えられていた絵は、
どんな言葉よりも力強く、子どもたちの描いている姿を想像しただけで胸が熱くなりました。


その日、子どもたちの絵は支援物資とともに被災地に送られたそうです。
3週間前の話で申し訳ありませんが、子どもたちとなにかひとつでも出来ることを、という
先生のお気持ちと子どもたちのメッセージに感激を覚え、その日思わずリツイートしました。(麗)

こんな時だからこそ、「日本の良識」を信じたい

2011-04-04 09:45:28 | (里)のブログ
先週から東京では桜の花が咲き始めて、いっきに春めいてきました。
日曜は気温が冬並みに低くて寒かったですが、
また気温が上がれば一気に満開となるでしょう^^


話は変わって、この前の出張での話の続きをさせていただきます。
所用があって岐阜朝鮮初中級学校へたずねた時のことです。
その日は日曜日なのにもかかわらず、ハッキョにはたくさんの人が集まっていました。
岐阜県の青商会のメンバーを中心に、学校の遊具などのペンキ塗りをしていました。
女性たちも来ていて、お昼に豚汁をふるまってくれました。


そこで、以前(おととしの7月くらい)福島に出張に行った時会ったことのある男性を見つけました。
私はとっさに思い出して声をかけました。
福島から岐阜に転勤してきたという彼。
私はてっきり福島県出身だと思い込んでいたのですが、彼は宮城県の海沿いの町の出身で、
今回の東日本大震災で実家が大きな被害を受けたそうです。
不幸中の幸いで、家族は無事だったそうですが、
両親が営む店舗は浸水してしまい、営業不可の状態となってしまったといいます。
震災後、実家に戻って被害を確認したそうですが、思わず言葉が出なくなったそうです。
「まぁ、なんとか大丈夫ですよ」と言いながらも、心配そうな表情を浮かべていました。
前の福島の同僚たちのことも、すごく気がかりだといいます。
私はただ、「ご家族が無事でよかったです」と言葉をかけることしかできませんでした。


直接被災したわけでなくとも、家族や親戚、友人などが被災地にいるという人はたくさんいると思います。
私は今回の大震災を経験して、恥ずかしながら初めて災害に対する危機感というか、恐怖を抱くようになりました。
そしてこんな時に、家族が離れ離れだったらどんなに不安だったかと考えます。
出張中も、テレビの画面に「緊急地震速報」のテロップが流れるたびに、家に電話をかけていました。


このたびの地震による死者・行方不明者数は、発生時から現在までで恐ろしいほどに膨れ上がっています。
そして家族や友人、知人など、その数の何倍、何十倍、何百倍の人々が、悲しみや無念の思いで押しつぶされそうになっているのかと思うと、
本当に苦しすぎます。


テレビを見ればわかる通り、被災地へエールを送るCMがたくさん流れています。
私の家の近所のスーパーの入り口には、「がんばろうニッポン!」と大きく貼紙が貼ってありました。
何万という死者・行方不明者がいて、まだまだ過酷な環境で避難生活を続けている方が何十万といらっしゃる中、
日本中のたくさんの人たちが引き続き被災地に関心を持ち続け、何か一つでもできることをやっていかなければならないんだと、本当に思います。


ですが、3月31日、宮城県が新年度の東北朝鮮初中級学校への補助金を交付しないことを決めたという驚くべきニュースを耳にしました。


こんな状況の中で、こんな決定しか出せないのかと、正直本当に悲しかったです。
東北初中の関係者たちが、日本の友人たちのために炊き出しを行ったその姿を、県の当局者たちは知らないのでしょうか。
現在、日本政府は昨年11月に朝鮮半島で起こった「砲撃事件」を理由に「高校無償化」をいまだ朝鮮学校に適用しないでいますが、
県は別にそんな国の姿勢にならう必要はなく、独自の判断で朝鮮学校に対する施策を講じればいいのではないでしょうか。


テレビで芸能人らが、「日本の力を、信じてる」と繰り返していますが、
それよりもまず、「日本の良識を、信じたい」と言いたいです。(里)

福島取材を終えて

2011-04-01 12:13:53 | (相)のブログ

今週火曜日から震災取材のために福島県を2泊3日で訪れた。3月11日の地震発生後、茨城、宮城と続いた被災地取材も今回の福島で3ヵ所目になった。被害が大きかった地域のうち、岩手には行けなかったが、朝鮮新報の後輩記者が現地で取材したので、今回の震災の初動取材は一段落したと言えるだろう。今後は、各地の復興への取り組みに対する取材など、次の段階に移ることになる。
以下は、福島取材の個人的感想など。

いわき市・久之浜の様子。地震と津波、火災被害を受けたこの町は震災2週間以上が経った今でも瓦礫の山に覆われている


宮城や岩手などの被災地と福島が大きく異なっているのは、同県が原発トラブルに見舞われているという点だろう。沿岸地域の被害は他県と同様、甚大だった。同胞宅と店舗の全壊、半壊などの物的被害も報告されている。被災地のライフラインの復旧もまだだ。地震にともなう津波、火災被害だけでも大変なのに、原子力発電所の事故まで加わって、福島は震災と放射能の二重苦にさいなまれている。

今回、私が行けたのは郡山といわき市の平、小名浜のみ。もちろん、福島第1原子力発電所の30キロ圏内に入ろうという気はさらさらなかった。ただ、沿岸部でもっとも被害の激しかったいわき市・久之浜地区を訪れたいというこちら側の要望はあっけなく却下された。取材2日目にいわきを訪れた際、久之浜の自宅を失って、福島ハッキョに避難し、現在はいわき駅前の焼肉店の2階で生活する分会委員長に会って話を聞いた。その場で、現地に行って取材したいと申し出たのだが、聞けば、久之浜は屋内退避の30キロ圏内に入っているとのこと。同行した現地イルクンや同胞の反対は強かった。「われわれのようにある程度生きた中年や老人はまだしも、未来のある若者、そして子どもや女性は絶対に近づいてはいけない」と。



小名浜港の様子

小名浜港の魚市場も壊滅的な打撃を受けた


放射能問題の難しいところは、まずそれが目に見えないこと、そして内容が高度に専門的なこと。見えないから対処しづらいし、時には必要以上に不安をあおってしまう。この世界で一体何人が原発や放射能のことを理解しているのか。もしかしたら、完全に理解している人間など誰もいないかもしれない。となれば、われわれ素人にできることは限られる。一般の人の多くは、原発や放射能に関して、結局は「何を言っているか」よりも、「誰が言っているか」に依存せざるをえない。テレビや新聞で専門家が言っていることは全部それらしく思える。そして、それと同じくらい疑わしく思える。だから、信頼のおける(と感じている)いくつかのソースの情報を総合して判断するしか自分にはできない。
現状では、この問題に関してある程度開き直らないと、生活できない。そうでないと、福島県はおろか、東日本一帯は人が誰もいなくなってしまう。もちろん、細心の注意は払いつつ。



いわき駅前の様子。商業施設も閉まっているところが多かった

私は3日間しか滞在しなかったが、福島に住む人々の不安はいかばかりか。原発に近い沿岸地域は津波被害が甚大だったが、放射能汚染のせいで救助の手が延びず、被害の全容もいまだ把握できていない状況だという。同胞の中でも放射能に対する不安が日ごとに広がっている。子どもたちに与える影響が心配で、県外に避難する人も多い。「もし状況が悪化して、避難区域が郡山にまで拡大されれば・・・」そんな最悪のシナリオを想定せざるをえないほど、現地の状況は深刻だ。

あまり深刻な話をしても気が滅入るだけなので、明るい話も。厳しい状況の中でも福島の同胞、総聯の活動家は希望を失わず、救援活動と復旧活動に取り組んでいる。そして、学校の教員たちも。ウリハッキョと生徒たちに対して彼らが注ぐ愛情はすごい。いつでも学校を再開させ、延期されている卒業式と入学式を行えるよう、万全の準備を整えている。今回の福島取材で、同校の教務主任が、15年前、大学時代の教育実習で私の担当した生徒だったということが判明。そして、教育実習終了時に学校側に贈った手作りの記念品も壁に掲げてあった。



15年前の教育実習の時、福島ハッキョに贈った手作りの記念品

(相)