最近、韓国映画「1987、ある闘いの真実」を観た。
1987年、韓国での6月民主抗争の発端となったソウル大生の朴鍾哲さんの拷問死と、その事実を明らかにした人々と、その事実を抹殺しようとする者たちとの、闘いが描かれる。李韓烈さんが催涙弾を後頭部に受け倒れる(1ヵ月後に死亡)ところが映画の最後の場面だ。
若い二人の死が韓国社会を大きく動かした。
1987年、私はすでに東京に出てきて編集の仕事をしていた。二人の青年の死はリアルタイムで見ていた。その後の、大統領選挙、盧泰愚政権の登場、88オリンピック…と続く韓国社会の動きも。南の地での人々の闘いを、海を隔てた日本で眺める自分。このブログで何度か書いてきたが、南の闘いの本当のことを自分はわかっていないのだという焦りのような思いを抱いてきた。
「1987、ある闘いの真実」のような事実をもとに作られた映画を観ると、その思いは強くなる。
映画の後半は、涙が流れて仕方がなかった。そして、ある言葉が思い出され、頭の中をめぐるのだった。
「奪われる理由のない若い命が奪われ、隣人との間に見えない壁が生まれた…」
18日から20日にかけて行われた平壌での北南首脳会談。19日、9月平壌共同宣言が発表された時の共同会見で文在寅大統領が語った言葉だ。日本は今年、「明治維新150年」と騒いでいるが、朝鮮民族から見れば苦難の150年だった。朝鮮が日本の植民地へと転げ落ち支配された期間、解放後の分断への過程、朝鮮戦争、4.19、光州…と、どれだけの若い命が奪われただろうか。映画で描かれた二人の青年も。
この映画に対する評は書けない。映画を見ていて、統一を早く実現させ、これ以上、若い命が奪われないようにしなければいけないと強く思った。今年に入っての統一へと向かう北と南の動きが本当にうれしいと思った。
映画「1987、ある闘いの真実」、多くの人に見てもらいたい。
今日の午後、大阪高裁で高校無償化控訴審裁判の判決が出る。5か所で行われている高校無償化裁判で、大阪だけが地裁で勝利した(九州は来年3月に判決)。初めての控訴審判決となる。控訴審でも勝利できるのか、今日の判決が今後の無償化裁判に大きな影響を与える。裁判だけでなくこれからの在日朝鮮人社会を大きく左右すると言っても過言ではない。
朝鮮学校の子どもたちだけが不当な差別を受けているのも、分断のせいだとも言える。判決の結果は、このブログで報告する予定だ。(k)