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月刊イオがおくる日刊編集後記

川越唐人揃い

2017-11-29 10:00:00 | (相)のブログ
 

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)は10月31日、歴史的価値の高い文書などを対象にした「世界記憶遺産」に、江戸時代、朝鮮から派遣された外交使節「朝鮮通信使」に関する資料の登録を認めたと発表した。
 朝鮮通信使の世界記憶遺産登録が決まって2週間後というタイムリーな時期に、朝鮮通信使を模したパレードが埼玉県の川越で行われると聞いて、足を運んでみた。

 11月12日に開催された第13回「川越唐人揃い」パレード。「多文化共生、国際交流」を掲げたイベントだ。
 このお祭りは川越のある商人が1655年に第6回朝鮮通信使を江戸で見物した時の様子を日記に書き残し、川越の町人たちに伝えたのが始まり。その後、地元の祭りの練り物として、朝鮮通信使を再現した仮装行列「唐人揃い」が行われるようになった。その華やかな行列は祭りの定番として代々行われるようになった。明治以降この行列は姿を消すが、かつての唐人揃いを復活させ、多文化共生・国際交流をテーマに掲げたイベントにしようと、有志らが2005年から復活させたというわけだ。

 

 パレードは、江戸情緒あふれる蔵造りの古い建物が立ち並ぶ一番街を進む。横断幕を先頭に、かつての朝鮮通信使を再現した行列、そして各地から参加した団体が後に続く。民族衣装に身を包み、伝統楽器を演奏しながら、踊り、歌いながら通りを練り歩くようすは壮観だった。(相)




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2 コメント

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Unknown (ブラウ)
2017-11-29 11:23:10
>1655年に第6回朝鮮通信使を江戸で見物した時の様子を日記に書き残し、川越の町人たちに伝えたのが始まり

ということは、江戸期においてはおよそ2百年途絶えることがなかった、ということでしょうか。だとしたら、これは相当に由緒あるイベントということになりますね。

そういうイベントが2000年代になってようやく復活したのは大変喜ばしいことだと思います。
ですが…これがもし「日韓友好」の文脈でのみ語られ、朝鮮共和国とは暗黙の了解で切り離されてしまっているとしたら、それはそれでまた歪なものがあります。そこについては気がかりですね。
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Unknown ()
2017-12-01 10:56:40
ブラウさま、コメントありがとうございます。
「川越唐人揃い」が始まった経緯に関してですが、当日配られていたパンフレットの記述によると、川越の豪商・榎本弥左衛門が1655年に江戸で朝鮮通信使を見物し、華やかな行列の感動を「榎本弥左衛門覚書」という日記に書き残しています。その後、1700年頃の川越氷川祭礼では朝鮮通信使の仮装行列である「唐人揃い」と呼ばれる練り物が出されていたということです。川越は朝鮮通信使が通るルートではなかったにもかかわらず、このような行列がかつて存在し、現代に復活して13回続いているというのは特筆すべきことだと思います。
一方、最後の一行の懸念についてですが、まったくないとはいえず、そのような問題意識は私自身も共有するところです。
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