昔、日本でも、「社会の木鐸」とか「第4の権力」という言葉がありました。
「社会の木鐸」というのは、世の中に何か問題が起これば警告を鳴らして社会を正しい方向に導くという意味で、新聞の代名詞に使われた言葉です。「第4の権力」も、権力の暴走を監視する役割をもった「権力」ということで、マスコミに対して言われた言葉です。
しかしいま、日本のマスコミは、社会に対し警告を鳴らさないし、その影響力を権力の監視にも使っていません。何か、ダラダラと伝えているだけです。
私は朝鮮人なので、日本のマスコミの朝鮮問題に関する報道を見ていると、そのデタラメさがよくわかります。なので、日本のマスコミが流す、パレスチナ問題や米国のことなどの日本以外の国や地域の報道、また日本国内の報道でも、「朝鮮問題と同じように、いい加減なのでは」と思ってしまいます。
あくまでも感覚ですが、一般の日本の人たちも、日本のマスコミ報道に対し、いまはあまり信頼を置いていないという感じがしています。昔に比べ、信頼が落ちているのは確かでしょう。
今日、出来上がった月刊イオの11月号は、特集で日本のマスコミの朝鮮報道について取り上げています。特集タイトルは「朝鮮報道を見極める」。
この他にも、見事、ボクシングの世界チャンピオンを獲得した李冽理選手の世界挑戦戦の記事、高校無償化からの朝鮮学校排除に反対する集会とデモの記事など、盛りだくさんな内容になっています。
ご愛読ください。(k)
「社会の木鐸」というのは、世の中に何か問題が起これば警告を鳴らして社会を正しい方向に導くという意味で、新聞の代名詞に使われた言葉です。「第4の権力」も、権力の暴走を監視する役割をもった「権力」ということで、マスコミに対して言われた言葉です。
しかしいま、日本のマスコミは、社会に対し警告を鳴らさないし、その影響力を権力の監視にも使っていません。何か、ダラダラと伝えているだけです。
私は朝鮮人なので、日本のマスコミの朝鮮問題に関する報道を見ていると、そのデタラメさがよくわかります。なので、日本のマスコミが流す、パレスチナ問題や米国のことなどの日本以外の国や地域の報道、また日本国内の報道でも、「朝鮮問題と同じように、いい加減なのでは」と思ってしまいます。
あくまでも感覚ですが、一般の日本の人たちも、日本のマスコミ報道に対し、いまはあまり信頼を置いていないという感じがしています。昔に比べ、信頼が落ちているのは確かでしょう。
今日、出来上がった月刊イオの11月号は、特集で日本のマスコミの朝鮮報道について取り上げています。特集タイトルは「朝鮮報道を見極める」。
この他にも、見事、ボクシングの世界チャンピオンを獲得した李冽理選手の世界挑戦戦の記事、高校無償化からの朝鮮学校排除に反対する集会とデモの記事など、盛りだくさんな内容になっています。
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