日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

 休暇をふりかえって

2009-08-20 09:26:16 | (蒼)のブログ
 今年の夏季休暇は文字通りがっつり休ませてもらった。働き盛りともいえる20代中盤にしてはぜいたくすぎた休暇だった。
 
 そんな休みの日、ダラダラしていたから必然的に生活パターンが逆転した。
 「さて」と、わけのわからないやる気がでるのはいつも日がおちたあと。
 「どこに行くか」、と迷いつつテレビをつけると世界陸上。
 一度見てしまうと最後、ベルリンの空間的迫力と選手の熱気、競技の内容に圧倒され、1日に消費する総てのエネルギーはそこに動員され、結局、外出はできず、朝方までテレビに釘付けになる。
 そんな休暇だった。
 毎日が似たような感じで、どの日もさして差は無く、「昨日」を永久に再生しているような時間の流れのなかで一日を過ごした。

 そして連休明け、怠惰に過ごした連休を振り返りながら、ひとつの重大な事実に気付いた。

 それはたとえば世界陸上のある種目で、同一人物が新記録を毎年だし続ける「リプレイな現象」と、毎年違う選手が優勝したり新記録をだしてはヒーローがそのつど代わっていく「リニューアルな現象」とでは、同じ「re(再)」でも明らかにその性格やら質やらが異なるように、「昨日」を永久に再生したような時間の流れのなかにいても、新鮮な発見があり、新鮮な空気があり、新鮮な音が聴こえた若い頃と、過去の記録のうえにどんどん次の記録を上塗りしていっているだけのような一途な今。
 いずれの「今日」も一生懸命なのは確かなのだが、一方の「今日」は深みはあっても新鮮さはなく、もう一方の「今日」は深みはないけど大切に大事に扱っていたということは明白な事実なのである。

 気付けば、「自分探しの旅」にでる歳でもなく、「結論はまた明日」的モラトリアムに再突入するわけにもいかない歳になった「今日」だからこそ、いろいろな意味で、自分から新鮮さを探さなきゃいけないなーと思った、連休明けの水曜日だった。(蒼)