日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

サッカー(祖国訪問記・番外編5)

2009-08-11 09:08:05 | (K)のブログ

 ブログの祖国訪問記のなかで、朝高ボクシング部の生徒たちが祖国で強化合宿を行ったという話を書いた(7月12日)。そのほか祖国訪問中に、舞踊部や民族楽器などを祖国で学ぶために朝高生が訪れていた。特に民族芸術の場合、祖国の専門家から直接学ぶことは非常に有意義だと思う。いずれにせよ、祖国で学べる生徒たちが羨ましいかぎりだ。

  そんななか、朝鮮大学校のサッカー特設班が祖国での強化訓練を行っていた。サッカー特設班は、その名の通り、サッカーの上手い学生を集めて特別に設けたもので、朝鮮の国家代表選手、鄭大世も特設班出身だ。祖国での強化訓練は、2003年に特設班ができて以来、初めてだという。44年ぶりのW杯出場を決めた絶好のタイミングでの強化訓練となったようだ。強化訓練では、トレーニングや祖国のチームとの強化試合をこなし、また祖国の子どもたちを相手にしたサッカー教室も行ったという。「W杯出場を決めた祖国の高いサッカー技術を学ぶことで、チームを精神的にも技術的にも1ランク、2ランク、レベルアップさせたい」と崔勇海監督は語っていた。

  7月27日には金日成競技場で朝鮮のU-20代表チームとの試合が行われた(この試合は見ることができなかった)。強化試合として組まれたものなので、観客のいないなかで行うものと思われたいたが、どこから聞きつけたのか、観客席には4000人の市民がつめかけていたそうである。祖国ではいま、W杯出場により空前のサッカーブームが起き、熱狂的なファンが試合のあるところ、どこにでも駆けつけるのだという。サッカーの試合で騒動を起こすフーリガンがいるが、祖国の熱狂的ファンは騒動を起こすこともなく熱心に応援するので、「愛国的フーリガン」だと、あるサッカー関係者は笑って話していた。試合の結果は0―0の引き分け。後日、U-20代表のひとりに、「勝たないとダメじゃないか」とハッパをかけると、「サッカーの試合というものは、思うようにはいかないものですよ」と、ちょっと口をとんがらがせて話していた。

  筆者は、7月29日に行われた特設班と鯉明水体育団の若手メインのチームとの強化試合を観戦した。この試合にも多くの観客が集まり、正面スタンドはほぼ満席の状況だった。試合は鯉明水が押し気味で進んだが、特設班がコーナーキックからのチャンスを活かし1-0で勝利した。特設班にもがんばってもらいたいのだが、個人的にはどちらかというと祖国のチームに勝ってもらいたかった。試合終了後、引き上げてくる選手たちに、観客席から、「キーパーよく守った」「10番、5番うまかった」などと声がかかる。みんななかなか目が肥えている。写真は試合終了後、観客の声援にこたえる特設班の選手たち。

  強化試合の際には朝鮮のサッカー関係者が訪れていたそうで、選手それぞれの能力をチェックしていたのだという。「朝鮮A代表は無理でもU-20、U-23代表に特設班の学生が選ばれる可能性はある」と崔監督。これから特設班のなかから、第2、第3の安英学、鄭大世がたくさん出てほしいと思った。

 特設班の学生たちとW杯の出場を決めた国家代表選手たちとの交流会も持たれたが、そのことについては次回お伝えしたい。(k)


二人の叔父の記憶

2009-08-11 09:00:00 | (瑛)のブログ
 訪朝を満喫して日本に帰ってきた同僚のブログを見ていると、朝鮮を訪問した月日がよみがえってくる。一方、その記憶が年月とともに色あせていってるなぁと悲しくもなる。

 朝鮮には叔父が二人いた。今は一人。母方の叔父は病気で亡くなったからだ。二人とも1970年代に朝鮮に帰国。父方の叔父は私が生まれた1972年に帰国した。叔父に抱かれた写真を幼い頃からよく見ていたせいか、顔はよく覚えていた。その叔父と再会したのは高校3年の時だったのだが、初対面だったにもなぜか涙が止まらなかった。帰りも地方都市から平壌まで見送りにきてくれた。「何度も停電して大変だったんだよ」と笑顔で渡されたケーキは叔母の手作りだった。

 別れ際、今生の別れとは思わなかったけれど、次はいつ会えるんだろう、と考えながら手を振り続けていたことを覚えている。バスの中でケーキを食べながら祖国は日本に比べて経済的には裕福でないけれど、人間は廃れておらず、「豊かさ」って何だろうみたいなことを考えていた。

 最後の訪朝から7年が過ぎた。この間、叔父が朝鮮で授かった二人のいとこも結婚し、叔父はハラボジとなったという。
 朝鮮には、먼 친척보다 이웃사촌이 낫다(遠くの親戚より近くの他人)ということわざがあるけれど、親戚も会わなければ疎遠になってくる。 地図の上では一番の隣国である日本と朝鮮との間に直行便が飛んで、今みたいに中国を経由せず、2時間ほどで行き来できるようになれば、夏休みに北海道や沖縄に旅行する感覚で気軽に旅することもできたはずだ。

 人為的に設けられた国境や制裁がなければ、今とはまったく違った人生や家族の物語があっただろう。政治的な壁は本当にアホらしい。(瑛)