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日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

大好きなポテトフライ

2009-05-28 10:04:35 | (蒼)のブログ
 どんな居酒屋でも行くたびに、ポテトフライを注文する。
 なぜならポテトは安くて、量が多くて、味にハズレがないからだ。
 ちょっと洒落た居酒屋でも必ず、まずはポテトから。
 周りからは「注文のセンスがない」と言われることも多々あるが、ポテトが美味しいところは他の料理も美味しいと考えている。

 いろいろなポテトがある。
 見るからに市販のポテトもあれば、凝ったポテトもある。
 ケチャップで食べるところもあれば、その店の創作ソースで食べるところもある。
 
 基本的にはどこのポテトも美味しく食べているが、どんな店のポテトよりも美味しいポテトがある。
 それは、マクドナルドのポテトである。
 これに勝るものはない。
 
 そしてさらに言えば、高校生のときが一番美味しく感じた。
 たいしてお金がなかった高校生のとき、昼飯代を削って、帰りにマクドナルドのポテトを買うのが楽しみだった。
 友達とお金をあわせて一つだけ買って、みんなで分けながら食べたことだってある。
 今はポテトを買うことに困難な経済的事情はないから、正直なところ、当時のような感動はない。
 それはちょうど、トイレで隠れて煙草を吸うのと似ている。
 あのときはポテトを一つ口にするだけで、日常の「渇き」みないたものがなくなった気がしたものだ。

 やっぱり大人になると感動が少なくなるのかなと思いつつ、この文をアップした直後に山積みになった仕事が一気に押し寄せてくるんだろうなと考えると、今の筆者は「渇き」さえ考えられない充実(?)した状況にいるんだなと思った。(蒼) 

 
 
 
 
 
 

マスクがない

2009-05-21 09:02:52 | (蒼)のブログ
 豚インフルエンザが流行している(らしい)。
 大阪と兵庫の2県で250人以上の感染者が確認されたと、メディアは伝えている(5月22日午前1時現在)。
 この数がはたして「流行」といえるかどうかはわからないけど、とにかく、まるで隕石がもうすくそこまで迫ってきているようなテレビニュースや新聞の報道を見ていると、不安を感じずにはいられない。

 関西地方では学校が休校になったという。関東は知る限りではまだないが、感染者の数からして、関東と関西では豚インフルエンザに対する警戒心に多少の温度差がある気がする。 
 不適切な発言であることを承知した上で、ある種の人は、豚インフルエンザに感染したいと思っているのではないだろうか。それはたとえば、ある種の人が何らかの災害をひそかに期待していることと同じように。
 筆者はもちろん、感染したいとは思っていないが。 
 
 今日(21日)、筆者は大阪に到着した。
 「マスクを買っていくように」と、5人くらいから忠告を受けたにもかかわらず、マスクは手元にない。家から支局まで、マスクを売ってそうな店に立ち寄ったが、どこも売り切れてなかったからだ。

 新幹線はそうでもなかったが、新大阪駅に着き、地下鉄に乗ると、大半の人がマスクをしていた。カップル2人が顔を近づけてマスク越しに話しているところは、実に滑稽であった。
 電車内で、「ゴホッ、ゴホッ」と筆者がむせて咳をすると、周りの数人が警戒した表情で睨んできたから、「そうやってすぐに日本人は他者を排除する」と、頭のなかで思う。それから、それが支離滅裂な論理であることに気付き、苦笑する。
 
 いずれにしても、これから1週間、関西地方に滞在する。
 こんなにも多くの人がマスクをしているのだから、逆にしていないと、迷惑な気もしないではない。

 そんなわけで、よし、明日(今日)はマスクを真剣に探すぞ~っと、決心を固めた。(蒼)

2009年本屋大賞第1位の「告白」という作品の感想文

2009-05-14 10:09:51 | (蒼)のブログ
 先日、「2009年本屋大賞第1位」という賞を受賞した「告白」という小説を読んだ。
 友人に薦められ読むことになったのだが、感想は、面白かった、だ。
 とにかくスラスラ読める。
 電車を乗り過ごすほど夢中になってしまったわけではないが、いつの間にか終わっていた、という感があった。
 本屋大賞という賞が、どれだけ権威ある賞かはわからないけど、おそらく、この手の賞、そしてこの手の賞を受賞した作品は、必ず、ある種の人たちから批判を浴びる。
 「文学の商品化」的内容の批判を。
 それは、芥川賞、直木賞も然り。
 
 昨今、月刊誌が相次いで廃刊に追い込まれている。
 その原因はたくさんある。あまりにもいろいろな要素がありすぎて、簡単に説明できないけれど、とにかく、さまざまな雑誌が棚から姿を消している。
 そのような現状で、どの雑誌も生き残りをかけ、試行錯誤している。
 部数の減少を食い止めるために、読者の喜ぶ企画を考える。
 それは簡単ではない。
 その雑誌の、本来的な媒体的性格もあるし、フリーペーパーがこんだけ多く広がった現在、お金を払ってまで、雑誌を買う人は、少なくなってきるという現実もあるからだ。
 本屋も大変だ。
 筆者の近所にあった本屋も2件つぶれた。
 どうすれば売れるか? に日々頭を使う。
 「入り口」をたくさん作ってみる。
 潰れそうだったある本屋は、最後の賭けにでたという。一角に、「どうしてこの本は売れないのか?」とキャッチフレーズをつけ販売したところ、全体の売り上げが30パーセントほどアップしたという。
 本屋大賞という賞を作り、本が売れたのならば、それはそれで、素直な気持ちで拍手を送りたいと思っている。
  
 そして、筆者は先日、「告白」を読んだ。
 友人が貸してくれなければ、絶対に読むことはなかった。
 面白かった――感想はそれに尽きてしまった。
 だから、買わずに良かったとも思った。


 それでも、本屋大賞という賞を考えた人に、筆者は深く感服している。(蒼)

芝桜日和

2009-05-07 11:11:09 | (蒼)のブログ
 芝桜を見ながら、友人の1人がこうこぼした。
 「なんか気分が晴れない。母とうまくやっていけなさそう……」
 目の前の景色とは打って変わった発言だった。でも、家庭の事情に追い込まれているということを知っているだけに、筆者を含める周りはとくに驚かない。
 花言葉好きのもう1人の友人が言った。
 「もう20代後半だし、自分の幸せだけを考えればいいんじゃないの?」
 
 5月の連休中、埼玉県秩父市の「芝桜の丘」に行った。 車で行ったのだが、その日は出発から激しい渋滞に見舞われ、着いたのは3時過ぎ。5時間もかかった。
 入場料金が1人300円。駐車料金が500円。それが高いのか安いのかわからないけど、筆者ら4人は入園した。
 広さが約16500平方メートルの「芝桜の丘」。ピンクや白や紫色など9種40万株以上だという。毎年拡張と増殖作業が行われ、それに比例するように来園者も増えている。

 「そうだけど、やっぱり母とはうまくやっていきたい」
 「その気持ちはわかるよ」
 2人の会話は続いていた。
 この日の天気は、あいにくの曇り。しかし前日の予報では「雨」だったので、運が良いと言えば運が良かった。
 「早死にするぞ、気を使いすぎていたら。タッチのカッちゃんみたいに」と花言葉好きの友人が言う。
 筆者ともう1人の友人は笑った。あんまり面白くなかったけど、傍観者としては笑うしかなかった。
 「でも臆病だから無理だよ。耐えるしかできないよ」と、また嘆く。
 「それ、芝桜の花言葉じゃん」と、花言葉好きの友人が突っ込みを入れた。

 「芝桜の丘」からは、秩父市街地が一望できる。景色に疎い筆者でさえも、それは絶景として眼に映っていた。
 「知ってる。だから言ってみただけ。どうせ――」
 どうせ、最初からもう答えはでていたのだ。

 帰りはみんなで温泉に入った。入浴料が1人1000円もかかった。
 渋滞は上手くさけることができた。でもガソリンはかなり使った。
 
 「でも、やっぱりカッちゃんにはなりたくない」
 「知ってるよ」と、誰かが答える。
 「今日は楽しかった。気分が晴れたよ」
 「知ってるよ」と、誰かが答えた。(蒼)

支離滅裂な酒癖論

2009-04-30 10:16:08 | (蒼)のブログ
 ある種の人たちは、酔っ払うとなぜか服を脱ぎたがる。
 筆者もそういう人を何人か知っている。
 もちろん男性に限って。
 確率で言うと、全体の1割くらい。
 あとの9割は? というと。
 大きく分けると、こんな感じになる。
 ①暴れる人が3割、②語りたがる人が3割、③寝る人が1割、④笑い続ける人が1割、⑤泣く人が1割。
 しかしながら、②→①の順の人もあれば、②→⑤の順の人もいる。
 あるいは、①→③の順の人もいれば、①→⑤の順の人もいる。
 かくいう筆者も、どこかに属している。
 個人的には、迷惑がかからなければ、どんな酒癖を所有していようが問題ないと考える。

 でも、「酒癖がなおらない」のは周知の事実である。
 だから脱ぎ癖のある人は、脱ぎ続けるだろう。
 「今日」脱がないのは、我慢しているだけで、「今日」脱がなかったのは、我慢できただけ。
 「もう脱がねーし」と言いつつ、脱ぎたがっている。
 何にせよ、脱ぎたくてしょうがないわけだ。
 脱ぎ癖がある人が酔っ払えば。

 酔っ払うと、感受性が失われていき、思考が先細っていくように感じられる。
 そして最終的には、究極の「癖」だけが残る。
 その聖域は、色に例えると「真っ白」である。
 居心地も良く、天国のような場所。
 誰もいないし、誰の声も聞こえない。

 オンリーワン

 ……そして気付くと、朝になっているわけだ。(蒼)


タイムマシーンなんて

2009-04-23 10:17:11 | (蒼)のブログ
 いつの間にか冬が終わり春らしくなった。
 家の近所の並木道の風景が、日々、夏に向け更新しているようなこの頃である。
 実感として、季節の境目に対する感動がなくなった。
 冬の終わりや夏の始まりというのに対して、昔はかなり敏感だったのに。
 でも今は、そこにいちいち感動できなくなっている。
 年をとるとはこういうことなのか、
 「慣れ」は、楽しみを奪うものなのか、
 そう思ったあとに、なんだか通俗的にしか感動を表現できない自分の想像力やボキャブラリーの貧困さにがっかりする。

 この時期の電車内、髪の毛の色がやたら黒い、スーツ姿の男女が目立つ。
 大学を卒業したばかりの新入社員である。 
 満員電車の初心者でもある初々しい新社会人たちはもう、同年代ではないのだ。
 何か刺激を受けよっかなーっと意識的に一時的に感受性を豊かにしてみるものの、4年前の自分を思い出すわけでも、気がひきしまったわけでもない。
 むしろ胸に小さな穴が開いたような空虚な気持ちになる。
 そしてもうここまでくると、いったいいつになったらタイムマシーンはできるんだろう、できたらいつに戻ろっかなーっと、妄想を膨らませる。
 そうしているうちに、少しずつ少しずつ穴は埋まっていく。
 シュー、シューっていう切ない音をたてながら。

 それでもホントのところは、ほとんど振り返る時間もなく、毎日毎日悩んで笑って一生懸命仕事しているのです。(蒼)


「15分」の楽しみ

2009-04-16 10:10:08 | (蒼)のブログ
 最近、寝つきが悪い。
 夢なのか現実なのか、わからず曖昧な状態のまま、布団で過ごす時間が増えた。

 そんなこの頃。

 面白い携帯ゲームにはまってしまった。
 といっても、毎日15分くらいしかやらないのだが。

 内容を一言でまとめると、イベントを主催するゲーム。
 もっと具体的に言うと、いつ、どこで、誰を対象に、何の企画――を考え、そして、成功するための作戦を立てるゲーム。
 あらかじめ限られた選択肢のなかでしか進められない単純なゲームではあるが、これがなかなかどうして難しい。

 感心したことが1つある。
 それは、「誰がバカなのかがはっきしている準備委員会」を作っていかないと、イベントは多くの場合、失敗するということ。
 どんなに立派な企画でも、機能や意思決定が分権化している組織図で進めていくと、失敗する。
 たとえばゲームのなかで、イベント中、そのステージに問題があり上手くいかなかった場合、誰に責任があるのかがわかるようにしておくと、失敗した者が明らかになる。そしてその者に、「指摘」(ときには「解雇」。しかし、「解雇」された者は経験値が急にあがり、後にライバルとなって主人公を苦しめる)というものをすると、経験値があがるようになっている。

 まあ、そんなゲームにはまってしまったこの頃である。(蒼)


トイレで煙草を吸う同級生

2009-04-09 10:05:51 | (蒼)のブログ
 先日、全面禁煙になったJRのとある駅構内で旧友に再会した。
 ヘビースモーカーだった同級生の彼は、立ち話の10分間に、自分の近況報告にはじまり、自分が持っているほかの同級生の情報を喋っていた。

 誰々が結婚するらしい、誰々が音信不通らしい、誰々が付き合ったらしい……。

 彼をはじめ、周囲のめまぐるしい変化に驚いてみる。
 みんなは動いていて、僕だけが停まっているような錯覚に、実に数年ぶりに陥った。
 たとえばプライベートとパブリックの差が、ほとんどなくなっていくのだろうなと思ってみる。
 そして、いささか焦る。

 「禁煙か~~」といって、今もまだヘビースモーカーだという彼は、「世の中、とくに日本は喫煙者を不当に排除している」と力説する。
 (どうでもいいけど煙草の話をするな! 吸いたくなるから)と心のなかでつぶやく。

 奇しくも2人は同じ方向。
 電車が来たから乗ろうとすると、彼は「オレ、まだ時間あるから、トイレで煙草吸っていく」と言う。そして、「一緒に行くか?」と僕を誘うが、当然断った。

 高校生じゃあるまいし。
 未成年でもあるまいし。
 でも、喫煙者はどんどん肩身が狭くなる。
 なるほど、社会的未成年者、というわけか。

 それにしても、走ってトイレに向かう彼の後姿を見ながら、ほんの少し、ほっとした。(蒼)


日曜日の過ごし方として

2009-04-02 09:32:10 | (蒼)のブログ
 日曜日、予定もなかったのでレンタルビデオ屋に行ってビデオを7本借りた。
 事前情報のない新作映画は怖くて借りられない。事前情報があったとしてもパッケージに吸引力がなければ借りようと思えない。旧作も同じ理由。いわゆる名作品は頭を使いたくなかったのでこの日はパス。「韓流」は最近いろいろと腹が立つのでスルー。そんなわけで結局、7本中2本が見たことのある映画となった。
 とりあえずは個人的な名曲「『いちご白書』をもう一度」という歌に影響されて「いちご白書」という映画を借りた。もう1つは、パッケージに惹かれスペインの運動家を描いた「サルバドールの朝」という映画を借りた。そして「デスノート」の前編と後編と番外編を借りた。
 「砂の器」も借りた。これは好きな映画のひとつでもう10回くらい見ている。個人的には原作を超えたとさえ思っている。そして「プレデター」で締めた。これはもうある種の思い出ようなもので、初めて見た小学校低学年当時、弟と2人でテレビの前に座り、ジャングルの中、透明になってしまったプレデターを相手に、顔に緑色の絵の具を塗って勇敢に立ち向かう若き日の州知事にとにかく夢中になった。録画してテープが擦り切れるまで何度も繰り返し観た記憶がある。
 7本とも、楽しく見たわけだが、とりわけ「サルバドールの朝」はベスト10入りする映画となった。ぜひ、薦めたい。 
 予想外に頭を使う1日になってしまったわけで、総てを観終わると深夜の3時を回っていたが、たまにはこんな過ごし方も悪くないと思った日曜日だった。(蒼)

母に感謝!

2009-03-26 09:25:31 | (蒼)のブログ
 昨日で26歳になった。
 何人かの友人から携帯電話に誕生日メールがきた。
 家ではケーキと赤飯がでた。

 「25歳までは親の顔、26歳からは自分の顔」と誰かが言っていた。
 周りからは「親の顔」が見えない歳になったんだと思いつつ、同胞社会は多くの場合、良くも悪くも「親の顔」が一生つきまとうことを思いだす。仕方ないこともわかるが、実に不公平な話でもある。

 置かれた環境や与えられた機会や持たされた条件がはっきりいって平等で公平じゃない。
 だから成果や失敗の原因の所在を個人だけに追求できない。

 朝鮮大学校卒業生のあるJリーガーが「ここまでこれたのは、組織(総聯)や応援してくれる同胞がいたから」とコメントしていた。
 朝鮮大学校卒業生のある経営者が「ここまでこれたのは、自分の努力と能力があったから」とコメントしていた。

 2つを天秤にかけるつもりはさらさらないけど、昨日送られてきた誕生日メールの1つに、「母に感謝!」と書いてあり、なるほど、これが本質なんだろうなと思った。(蒼)

運動することにした。

2009-03-19 09:38:19 | (蒼)のブログ
 ジムに通い始めた。
 ちょっと痩せようと思ってる。
 穿けなくなったズボンが増えた。
 周りからみれば、「ぜんぜん太ってないじゃん」と言われ、確かに太っていないんだけど、体重は4年間で10キロちょい増えた。
 4年前は、ガリガリだったわけだ。
 まあ、痩せなくてもストレスを発散できるので、悪いことではないだろう。

 月に1万2000円もするジム。
 バカバカしいけど、ジムに通わないことには、運動は続かない。
 そういう飽きっぽい性格であるということを、最近ようやく気付いた。 

 ジムは孤独だ。
 知り合いはもちろんいないし、今後誰かと知り合う可能性もほとんどない。
 おそらくずっと一人で、体を動かし続けるのだろう。
 別に淋しいわけでもなくて、ジム友がほしいわけでもない。
 ただ、学生のクラブ活動とはまったく違うということに、気付いたわけだ。
 
 話しは変わるけど、幼稚園の頃に習った、「友達100人できるかな……」という歌。
 友達100人作ることは、難しい。
 知人は簡単に増えるけど、友人は簡単に増えない。
 だから、いい歌なんだろうなと、ジムから帰る途中にふと思った。

 運動、続けるぞー!(蒼)

ある日曜日、僕は夏目漱石の墓参りをした。

2009-03-12 09:19:37 | (蒼)のブログ
 ある日曜日、夏目漱石先生の墓参りでもしないかと友人に誘われ、僕とその友人の2人は東京メトロ副都心線に乗って「雑司ヶ谷駅」に向かった。
 駅から徒歩10分ほどの場所に位置した雑司ヶ谷霊園に着くと、そのあまりの広さに圧倒された。とはいえ、休日の昼下がりなのに霊園にはまったく人がおらず、夏目先生の墓も、大きいくせに物静かで、なんだか廃れているようにさえ思えた。
 「私は淋しい人間です」
 墓から声が聞こえたような気もしたが、とにかくこんないい天気なのに誰も先生の墓参りをしていない。だからか先生はひどく淋しいそうだった。それでも凛とそびえる先生は、「でもことによれば、あなたも淋しい人間じゃないんですか」と言いたそうで、僕たち2人を突き放しているようでもあった。
 「人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人――これが先生であった」

 初めて自分のお金で買った小説が夏目先生の「こころ」だったことを思い出す。なぜ「こころ」を買ったのかは覚えていない。たまたま手にとった本が「こころ」だっただけかもしれない。小学4年生のときのことだ。そんなに本好きな少年ではなかったし、それまで読んだ本といえば、図書館で借りた江戸川乱歩の「怪人二十面相」だとか、学校で先生から薦められたほとんど教材に近い本だけだった。
 一緒にいた友人は、大学の卒論の題材が「こころ」だったので、だから墓参りに付き合わされるはめになったのだが、友人は再三「別に好きじゃない」と否定しつつも、夏目先生の経歴だとか「こころ」の内容をいちいち説明する。持参したデジカメで墓を撮り続ける。やっぱり特別な思い入れがあるのだろう。
 そんなわけで結局、先生の墓の前で1時間ほど過ごすことになった。できれば他人の墓の前で長時間過ごしたくないものだが、あのときの1時間は何の気苦労もなく自然に流れたように思えた。日曜日のごくありふれた時間の一部と同じように、静かに流れていった。

 嫌な事件ばかりが起こるこの頃。「こころ」の先生に比べると、単純な理由で「私は淋しい人間」だと思ってしまう人が増えているように思う。もちろんそのような傾向が自分にまったく無いとは言えないが、それでも「自分の懐に入ろうとするものを、手を広げて抱きしめ」てあげられる、そんなこころを持った26歳(3月末に誕生日)になりたいと思った、ある日曜日だった。(蒼)

ある女性の個人史

2009-03-05 09:00:00 | (蒼)のブログ
 昨日、母が「ハンメが来週、うちに来るかも」と言った。母が祖母に電話したところ、「今、すごく体調が良いから、近いうちに……来週に行く」と言われたのだ。祖母が家に来るとしたら、それは久しぶりのこと。そう、本当に久しぶりのことだ。

 在日本朝鮮人人権協会主催の「こころとマウム」のエピソード大賞の1つに、「日本人のハンメ」を題材にした作品があった。この作品に筆者はとくに心を打たれたのだが、それはきっと、筆者の祖母もまた、日本人だからかもしれない。 

 とある地方都市に訪れたとき、同胞高齢者のある会を取材した。奇しくも全員が、元を辿れば1世の朝鮮人に嫁いだ「日本人」女性たちだった。80歳前後の彼女たちの夫はすでに亡くなっている。「こうして月に一度みんなで集まって過ごす時間が唯一の宝だ」と笑っていた。それは、「これまでの人生に後悔はない」と感じさせる素直な笑顔だった。
 孫たち全員が朝鮮学校を卒業したことが一番うれしいと言う筆者の祖母は、自分の過去を話すことを嫌がる。だから詳しい話はわからないが、ただ、「日本人だということで朝鮮人から差別され続けてきた」ということだけは母から聞いたので知っている。家が朝鮮人にあったからなおさらだったという。
 認めたくはないけど、悲しい事実だな、と思った。同時に、あくまでも20代中盤の平均的同胞青年の実感としてだが、そのような視点で書かれた物語が、一方的に不足している気もした。

 今日の出来事は今日中に忘れる。だから喋ったことも、次の日になったら忘れている。きっと、来週になって母が電話したら、「今日は調子が良いから、来週に家に行く」と言うに違いない。「来週っていつ?」。そんな質問、80歳を超え、認知症も進んでいる祖母にはまったく無意味だ。
 ――そして、不本意な言葉ではあるが、いずれ祖母は亡くなる。筆者が決して知りえない記憶を持ったまま、いずれ祖母は亡くなるのだ。

 イオの記者となりちょうど3年。いろいろな取材を重ねるなか、「個人史」に勝るものはないと思ってしまったやや偏見癖のある筆者は、近々、ノートとペンを持って、駄目もとで祖母に会いにいこうと思っている。
 待っていても、来そうにないのだから。(蒼)