今日(10日)、ベルトを忘れました。
家をでてしばらくしてから気付きましたので、時間的余裕もなく、引き返すことが出来ません。よって、そのまま会社に向かうことにしました。
歩いていると、ズボンが落ちてきます。すると、ワイシャツがでる。シャツもでる。それを食い止めるためにズボンを上げる。その繰り返し。
ベルトって、すごく大事なんだ、と改めて思いました。
こういうとき、いつも必ず、起こってほしくないことが起こります。
電車内で、知人(女性)と久々に会ってしまったのです。 ただでさえ朝はなるべく誰とも会いたくないのですが、ベルトがない今日に限って、遭ってしまうとは・・・・・・。人生とはこういうものなのでしょう。
「久しぶりです」と、まずあっちから声を掛けてきました。
「久しぶり。・・・・・・っていうか、なんか混んでるね……でもこのくらい混んでて助かったよ・・・・・・今日ベルト忘れたからさ……いや、ほら、混んでいたら、腰の部分は隠れるでしょ? 空いていなくて本当に良かった……不幸中の幸いって、このことかな」
「……そうですか」と、急なベルト話にあっちは困った顔をしながら、しかし、年上の大失敗に気を使ってか、視線を腰にうつすわけでもなく、むしろ話題をベルトから遠のけるように、「いつもこの電車なんですか?」と訪ねてきました。
「うん。……いやいや、いつもより1本遅いよ。本当は、この前の一本早い急行電車だよ……だってほら、今日、朝時間がなくて、急いでたからベルトを忘れたんだ……やっぱり朝は早く起きるべきだね……まったく、本当におっちょこちょいだよ、オレは。でも、こうして混んでて、本当に良かった」
「……そうですか」と、いよいよ対応に困り果ててきた知人でしたが、私も私で、自分のこの見栄というものを電車の外に追いやることができなかったのです。
するとその知人は、急に私の目を見ながら、「……私も、結構、おっちょこちょいですよ。前なんか、定期券を、家に忘れて、大変でした」と、チャーミングな笑顔で話しました。
「定期券か……。でも定期券を忘れても、お金があれば問題ないから。ほら、ベルトはさ、この時間だと、買うこともできないし、お金はあっても、そう簡単に買えないのが、ベルトってヤツなんだよ。近くに服屋があるかい? あってもこの時間にやってるかい? やってないよね。まったく致命的だったよ。本当に朝は、10分でも早く起きるもんだよ」
「……そうですか」と、ほとんど呆れた知人は、「じゃあ、私、ここで降りますね。乗り換えがあるんで」と言ったあと、一度も振り返らずに電車を降りました。
知人はまるで、「会わなきゃよかった」と背中で語っているようで、そんな後姿を見ながら、私は、ズボンと一緒に自分もどこかに落ちてしまったような気がしたのでした。
……と、今日はこんな感じで一日が始まりました。 振り返りながらこうして書いていると、なんだかブログを書くためにベルトを忘れたみたいな感じもしますが、とにかく、致命的なミスをしたときほど、自分が落ちてしまわないために、ベルトのような留め金が心に必要なんだなと思いました。(蒼)
元長野県知事の田中康夫氏が今回の衆議院総選挙に兵庫8区より出馬し、当選した。直後、インタビューに答える彼をテレビで見ながら、そういえば、彼は小説家だったことを思い出した。
「なんとなく、クリスタル」
筆者が生まれる3年前の1980年に発表されたこの作品。大学生のとき、古本屋で見かけ、そのタイトルに惹かれほとんど迷うことなく購入した。
読んだ方はわかるが、この作品はほとんどが(語り手の視点での)ブランドの註・分析で成り立っている。まったく斬新かつ異色な構成、文体だったのだろう、発表した年に文藝賞を受賞しており、翌年には芥川賞の候補となった。
読後感想としては、自分はすごくつまらない時代に生きているのかもしれない、とまっさきに思った。島田雅彦という作家がどこかの本で「ポストモダンはつまり退屈な時代なのだ」的なことを書いていて、それを目にした直後に「なんとなく、クリスタル」を読んだから、なおさらそんな感じがしたのかもしれない。
戦後の生活風景を題材にした「三丁目の夕日」という映画を見たとき、当時は、家庭電化製品が一つ家にやってくれば、それだけで町中の人が集まり、みんなで喜び、感動を共有した、ように私には思えた。ここで私が思った「感動」というのは、たとえばアメリカ人プロレスラーを倒す力道山の姿をテレビで見ながら敗戦コンプレックスを解消したような共犯的なものではなくて、旅人が船に乗って旅しているうちに、新しい大陸を発見したときのような具体的で偉大な感動だ。それを隣人たちと共有できたのだから、単純に素敵である。
日本はやがて高度成長を迎え、よく識者が指摘するように、物質的に満たされても精神的には満たされなくなった。そして、当時の経済状況を考えると、きわめて平均的な生活を送る女子大生が、クリスタルに、なんとなく、惹かれていくような、そんな、退屈な時代となっていく。「なんとなく」だから、ゆえに惹かれる理由さえも自分でわからないという悲劇が喜劇化されているという悲劇。
発表当時、文壇からは批判があったというが、今ももちろんあると思うが、さらに彼の政治的な理念や経歴にも問題があると指摘する人もいると思うが、私はこの「なんとなく、クリスタル」という作品を好む。
しかしながら私は、「なんとなく」という言葉は好きではない。そこには曖昧があり、躊躇があり、保留があるように思えるからだ。何よりも「なんとなく」やり過ごしていたら、「ばかもの」になっていくような気がしてならない。
「なんとなく」ならないために、たとえば、自分の感受性くらい自分で守れ、と故茨木のり子さんはうたったけど、その通りかもしれない。物質的に満たされている一方では貧困が拡大しているというてんやわんやで矛盾さえ抱くのも空しい時代ではあるが、そしてそういう時代のなかで人間形成され、そういう時代しか知らない20代半ばの筆者ではあるが、退屈なことを人のせいや時代のせいしていたら、ダサい。
だから私は、普段の生活のだいたいの局面において、「なんとなく」しないように全感受性をフルに高めているこの頃である。全感受性を普段の生活でフルに高められるがゆえに、また、こういう時代に救われ、慰められているのかもしれない。
ここまできて読み返してみると、学生のときに書いた総括書みたいになってしまった感じもするが、そして収拾がつかなくなってきたので、最後に、自分を戒めるという意味で、茨木のり子さんの詩を引用して終わりたい。(蒼)
「自分の感受性くらい」
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
アイスコーヒーよりもホットコーヒーのほうが飲みたくなってきました。
僕は毎日、2杯ほどコーヒーを飲みますが、一度もコーヒーを美味しいと思ったことはありません。
何ていうか、使命的に飲んでいる感じでいます。
……
昨日、病院に行きました。
数日間、咳が止まらないのです。
僕は高い確率で、夏の終わりになると風邪をひき、咳が1ヵ月以上続きます。
一時的でも禁煙すればいいのでしょうが、それができたら今頃はもう治っていることでしょう。
……
なにはともあれ、習慣を崩すことは、勇気がいることです。
……
好きな作家に「壁コーボー」という、ちょっと変わった人がいます。
彼の代表的な作品に「壁」というものがありますが、彼は他の作品のなかでも「壁」という言葉をよく使いますし、壁的な状況ですとか、壁的な空間を設定します。
壁にどういう意味があるのか、と言われましても、その説明には膨大な時間が必要ですし、僕もまだ彼の多くの作品を読み終えたわけではありませんし、そもそも僕には彼の作品を批評できるほどの能力を残念ながら持ち合わせていません。
ただ、一つ言えることは、使命感や習慣というのは、僕のなかに、僕のなかの無意識のなかの意識が人工的な冷たい壁をつくります。
そしてその壁を壊したとき、美味しくないコーヒーを飲まないですむようになりますし、禁煙できるようになると思います。
なんだか通俗的な表現になってしまいましたが、おそらく人は誰もがこの壁たちに悩まされていることでしょう。
個人的な壁もそうですし、あるいは周囲にはりめぐらされた情況的な壁にも悩まされていると思います。
まあ、僕の場合、とりわけ個人的な壁に関して言うならば、人よりその数は多いような気がしています。
だから話には一般論が多いのかもしれませんね(泣)。
いずれにしても、どちらの壁に関しても、叩き続け、たたかい続ける必要があるなと思っているこの頃です。(蒼)
そんな休みの日、ダラダラしていたから必然的に生活パターンが逆転した。
「さて」と、わけのわからないやる気がでるのはいつも日がおちたあと。
「どこに行くか」、と迷いつつテレビをつけると世界陸上。
一度見てしまうと最後、ベルリンの空間的迫力と選手の熱気、競技の内容に圧倒され、1日に消費する総てのエネルギーはそこに動員され、結局、外出はできず、朝方までテレビに釘付けになる。
そんな休暇だった。
毎日が似たような感じで、どの日もさして差は無く、「昨日」を永久に再生しているような時間の流れのなかで一日を過ごした。
そして連休明け、怠惰に過ごした連休を振り返りながら、ひとつの重大な事実に気付いた。
それはたとえば世界陸上のある種目で、同一人物が新記録を毎年だし続ける「リプレイな現象」と、毎年違う選手が優勝したり新記録をだしてはヒーローがそのつど代わっていく「リニューアルな現象」とでは、同じ「re(再)」でも明らかにその性格やら質やらが異なるように、「昨日」を永久に再生したような時間の流れのなかにいても、新鮮な発見があり、新鮮な空気があり、新鮮な音が聴こえた若い頃と、過去の記録のうえにどんどん次の記録を上塗りしていっているだけのような一途な今。
いずれの「今日」も一生懸命なのは確かなのだが、一方の「今日」は深みはあっても新鮮さはなく、もう一方の「今日」は深みはないけど大切に大事に扱っていたということは明白な事実なのである。
気付けば、「自分探しの旅」にでる歳でもなく、「結論はまた明日」的モラトリアムに再突入するわけにもいかない歳になった「今日」だからこそ、いろいろな意味で、自分から新鮮さを探さなきゃいけないなーと思った、連休明けの水曜日だった。(蒼)
文章の神様が降りてこない。かれこれ1時間以上、この状態のまま進んでいない。いよいよブログに書く自分のネタが無くなって来たのか。
とはいえちょいちょい、神が降りてこないときはある。そういうとき、いつもなら他の編集部員に何か単語を言ってもらう。そこから連想して書く、ということが今日はできない。
なぜなら家にいるから。周りに誰もいないから。
さて、何を書こうか?
手持ち無沙汰な気持ちのまま、冷蔵庫を開けると雪見大福を発見。スイカバーがあればいいなと思っていたけど、雪見大福だった。
ふたを開けると、はたして神様のほっぺのような真っ白な雪見大福が二つ、そこにはあった。冷えているせいか張りもよく、突っついた人差し指が痛い。
「雪見大福」
と神様にお願い事をするように、小さな声をだしてみる。それから、「雪見大福」と声をだしたのは一体何年ぶりだろうと思う。
ともあれ神様のほっぺをひとつ口に入れると、懐かしい味がした。久しぶりに食べたわけではないのだが、なぜか懐かしい。それは記憶的な懐かしさよりも、連想される風景への憧憬に近い懐かしさだ。たとえばトウモロコシを食べると、田舎の細長い一本道や、田んぼや、麦藁帽子や、かかしを思い浮かべてしまうのだが、そういう種類の懐かしさ。
そういえば昔、雪見大福が大好きで、食べるときは必ず2、3回にわけて口にいれていた。大きくて、とてもじゃないけど一回では食べられなかったからだ。それが今は一回。
口の成長を実感しつつ、「いや、それは何も口が大きくなったからではない」と思う。昔は、大好きなものは少しずつ食べることに楽しみがあった。食的幸福を少しずつ、少しずつ数回に分散しながら、最後の一口で幸福度をマックスにさせる、そういう楽しみ。
でも大人になって、働きはじめて、給料をもらうようになって、欲しいものは値段にもよるけど買えるようになった今、たとえば雪見大福を100個買ったとしても、その値段は携帯電話の毎月の使用料金より安い。そういうなかで雪見大福はだんだんその輝きを失っていったのだ。ちょうど、歳をとっていろいろな現実を知るなか、神様の存在に対する信憑性が薄くなっていくことと同じように。
要は、幼い頃に感じていた雪見大福と、今感じている雪見大福には、その感じ方に絶望的な違いがあるというわけだ。
「金に目がくらむ」とはこういうことにも言えるなと思いつつ、キーボードについた神様の残骸のような白い粉をふぅ-っと払った。(蒼)
そのどの地も共通していえることを、いくつかならべてみます。
まずは、(主要都市と言われる地の)駅前の商店街が「シャッター通り」になっていること。郊外に大型モールや複合施設ができるようになったことが、その大きな原因だと言われています。訪れたときは時間を探して商店街を歩きます。すると必ずといっていいほど、閉館した映画館があります。そのだいたいが閉館直前に上映されていたであろう作品のポスターが貼られていて、それはなんとなく悲しい気持ちにさせます。
どこの地方でもそうですが、駅を背にすると、最初に見えるのはレンタカーと消費者金融の看板です。そして、チエーン店の居酒屋。この3つは必ずあるので、駅前に限っていうならば、一度しか訪れたことのない人たちからしてみれば、どの地方も視覚的には差を感じられないことでしょう(甲府駅は別。ロータリーの右手に武田信玄の銅像がどーんとそびえているので)。
駅前にはコンビニも3、4店はあります。そのすべてに煙草が売っているとは限らないので、タスポをもっていない喫煙者は、あるいは大変な思いをするでしょう。実際、私はタクシーに乗って買いに行きました。
飲み屋街は駅から15分ほど歩いた場所にあります。夜になるとにぎわいますが、昼間はうってかわって廃墟のように人気がありません。これまで行った地方都市で一番に飲み屋街が栄えていたのは(基準は独断と偏見ですが)、岐阜の柳ヶ瀬です。しかし、以前に比べると人通りは少なくなったと、タクシーの運転手は話していました。
そんな地方都市に暮らす、ある朝鮮学校の児童が私にこう質問しました。
「新宿とか池袋に行きたいです。芸能人にいっぱい会えそうな気がするから」
あまりに目を輝かせて言うものだから、少し切なくなった私は、悩んだ末にこう答えました。
「うん。きっといっぱい会えるよ」
私の場合、中学生の頃の夢が農民でしたので、田舎で暮らしたいとかねてから思っていました。豊作ほど具体的で現実的な喜びはないと思っていたからです。
都会は町の風景がいちいちカラフルです。
でも都会に住む私の心は、だんだん白黒になっていくようです。
……さて、お盆休みは絵の具でも買いにいきますか。(蒼)
まったく書いた記憶がないから不思議な感じもしつつ、当時の写真を見ながら読んでいった。
タイトルが「自分の夢」と書かれた作文は、文字通り将来の夢について書いてあった。それによると、当時の夢は、「お菓子のホームパイを100個食べること」らしい。確かに今もホームパイは好きだが、それを100個食べることを夢に描いていたとは。われながら、がっかりしてしまった。
タイトルが「運動会」と書かれた作文は、2行で終わっていた。「一週間前に運動会がありました。最初は暑かったけど、だんだん寒くなってきました」。これはさすがに笑えた。笑った後、当時の自分に幻滅した。
取材で学校に訪れると、教室には児童や生徒が書いた作文が貼られてある。
それを読んでいると、ときどき、羨ましいと思ってしまうような感性豊かな文がある。
以前に、こんな文章を見かけた。
「ぼくは電車が好きです。地図も好きです。電車の時刻表を見ながら地図を見ていると、ドキドキします」
たしか初級部低学年くらいで、読んだ直後、この子は天才か、と思ってしまった。
一通り作文を読み終えたあと、試験の答案用紙も一緒にでてきた。
小学2年生のときの試験用紙だ。
これを見ながら、さらに自分に幻滅した。
なぜなら、「1、次の問いに答えなさい」の下に答えを書いていたのだから。(蒼)
だからいつも名前を呼ばれるときはビクッとした。
理由はここでいちいち説明しないけど、とにかく、名前を呼ばれたときは小さ
な声で返事した。
でも、振り返れば温かい幼稚園だった。
いや、温かい先生がいた。
ずっと忘れていたその先生の記憶。
今さっきの取材で思い出した。
ある母が、「うちの子、家では『オンマ』と呼ぶけど、幼稚園では『ママ』と
呼ぶの」と言ったとき、急に思い出した記憶。
「名前を呼ばないでください」と言ったオレを、その先生は叱った。何て言わ
れたかは覚えていないけど、頬を打たれたのは覚えている。
母の日の前日、母の絵とお祝いの言葉を画用紙に書くことがあって、「ママ」
と書いたオレを、その先生は叱った。そして「オンマ」に直させた。
そんな先生だった。
歳は、今のオレと同じくらいか、もっと若かったか。
運動会の前日だった。
その先生に呼ばれた。
手伝いをさせられた。
オレだけだった。
それが嫌で、泣きながら手伝ったのを覚えている。
世界中の国旗を紐につける作業だった。
もっともそれらが国旗だとは、まったく知らなかった。
カラフルな紙切れにしか思えなかった。
どういう意味や力学を持つものなのか、さっぱりわからなかった。
日本の国旗もアメリカの国旗も区別がつかない。
それでも言われたとおり、一枚一枚、紐につけていった。
「これは、ユン君の国の旗」
そう、先生に教えられた。
初めて見た、朝鮮民主主義人民共和国の国旗。
その国旗は、他に比べると新しかった。
今より情勢はいくぶん良かったとはいえ、探すのは大変だったと思う。
あるいは自前だったかもしれない。
運動会の当日、その国旗は、運動場のちょうど中心の真上、晴天の下になびい
ていた。
あの先生が、今日も幼稚園にいてくれればいいなと願う。(蒼)
忘れっぽいんだ、オレ。すっかり忘れてた。
……早く、ブログ書かなきゃ。
ただいま出張中で、今はビジネスホテルにいて、隣の部屋からラップ調の音楽が聞こえ、だからいまいちブログに神経を集中できないでいる。この先に続く文章を考えながら、今から寝たとしてもあと4時間後には起きなきゃいけないという事実に悶絶しながら、このブログのオチをどうするかと考えながら、あくびしながら。
そういえば、いつの間にか、話題にほとんどのぼらなくなったインフルエンザー。
県内にたった一人だけ感染者がでただけで、学校が休みになるとは。
話題性がまさにピークだったとき、もし自分が感染したときを考えて、医者に「秘密にしておいてください。一生まわりから敬遠されそうな気がするんで」という台詞を一応準備していたけど、使わずにすんだ。
あんなに世間を不安にさせたことでさえ、ヤフートピックスから消えると、すぐに忘れてしまう。
忘れっぽいとこ、早くなおさなきゃ……。(蒼)
「うん、ぽいぽい。でも、ときどき草食っぽいとこもあるよ」
「たしかに。でもなんだかんだ、肉食だよ」
「まあね」
「何型?」
「A型だよ」
「やっぱりね、ホントA型っぽい」
「そうか。みんなにはB型っぽいって言われるけど」
「確かに。B型っぽいとこもあるけど、基本A型だよ」
「ってか、A型だから」
「誰々ってSだよね」
「うん、かなりS。でもMっぽいとこもあるよね?」
「あるある。でも究極にはSだよ」
「確かに、究極にはSだね」
……こういう会話、疲れた。(蒼)
期限内にレンタルビデオを返さなかったのは、たぶん、人生で今回がはじめてである。
そういえば昔、「悪魔のささやき」という番組があり、レンタルビデオの遅延料金が800万円にのぼった人がでていた(400万円だったけ?)。
五十歩百歩。
なんとか、今日中に返そうと決意する。
イオがブログをはじめて約4ヵ月。徐々にアクセス数が増えている。
いろいろな人に読まれているということなのだが、それだけに、書き手としては慎重になる。肩に力が入る。
でも今のところ、僕に限っていえば、ほとんど日記みたいな感覚で書いているわけだが、アクセス数が今の10倍になったとしたら、レンタルビデオについては、きっと、書けなくなるだろう。
「だったら何を書くの?」と聞かれても、今の時点では考えつかない。
そしてここにきて気付く。
五十歩百歩。
数の問題ではない。1人だろうが、100人だろうが、読み手に「読んで良かった」と思わせる内容にすべきだと。
う~ん。ちょっと内容と用語の使い方が、強引だったかな……。(蒼)
昨年と同じで、今年も梅雨とは言えない日が続きます。
湿気が強く、男女関係なく、人々の腕はベトベトです。
だから夏の満員電車は辛い。
先日、ある小説を読み終えました。
今一番話題のあの小説です。
読む終えるのに1週間以上かかりました。
途中、何度も諦めようと思ったことが、ずるずる1週間もかかった原因です。
彼は、間違いなく、「アンダーグラウンド」以前の作品の方が魅力的だった。
彼の言葉を借りてその理由を一言でまとめると、「正しい方向に正しい結果があるとは限らない」から。
そんな言葉、言ってないかもしれないけど、彼なら言いそうだ。言いたそうだ。
「梅雨はベトベトする」と僕は言った。
「梅雨はベトベトする」と彼は繰り返した。
「でも今の僕には、そういう季節性のなかに身をひっそり沈めてブログを書くことが大事なんです」と僕は言った。「上手く説明できないけれど」。
「そこはベトベトする。そこに居ると、書く文章もベトベトする。つまりベトベトした文体になり、ベトベトした作品になる。そういうことだね?」と彼は聞いた。
「そういうことです」と僕は頷いた。
そんなやりとり、どこにもないかもしれないけど、彼ならやりそうだ。やりたそうだ。(蒼)
前に使っていたケータイはどうしようもなく使いにくかった。それでも壊れる寸前まできばって使った。最後は通話ができなくなっていた。新しいケータイはいろいろな機能がついている。でもおそらくその半分も使いこなせないまま壊れるに違いない。そう予測するとき、もったいないと思ったりする。ケータイを使いこなしたい。使いこなさないともったいない。確かに余計だと思う機能もあるが「そんな機能はいらない」と言ったところで何も変わらない。あるんだから使えばいいと思っている。ただ、ケータイを持ち始めた高校2年生のとき、いろいろなものがそのケータイに届いた。それからちょうど10年が過ぎた今日の最新のケータイには、何かが届きにくくなった。そしてその何かはどんどん届きにくくなっていくのかもしれないと思っている。
そんなふうに考えているなか、今日、朝鮮のワールドカップ出場が決まった。44年ぶりである。44年前を生きていない筆者には当時の感動と比較できない。44年ぶりに出場できる感動と、出場が決まった感動はおそらく違う。それはちょうど、ボクシングで初めての防衛戦での勝利と2回目の防衛戦での勝利、その二つの感動のあいだに確実にある距離を考えてくれればわかる。悲しいかな、これから毎回朝鮮がW杯に出場すればその距離はどんどんひろがっていく。
朝鮮がW杯に出場するという情報を、朝の電車で最新のケータイで知った。
朝鮮が本選でも良い結果を出してこれから毎回出場してくれることを切に願っている。
ケータイがどんどん発展してくれることを切に願っている。(蒼)
昨年から約1年かけて試合が行われてきた。
いつも朝鮮の試合の数日前からは、気持ちは落ち着かない。待ち遠しいから、当日までの時間が長く感じる。
当日の朝、「諸事情で試合は明日に延期になりました」という報道があったら、その落ち着かない気持ちはもう1日続くこととなり、そのぶん、時間の流れが長く感じる。
それが毎日毎日続けばいいのにとときどき思ったりもする。
なぜなら実感として、あっとういう間に時間が過ぎるからだ。年を重ねると1年が早く感じる、という一般論はかなり的確だと思う。
ある時期から知らないあいだに数ヶ月が過ぎていて、数年が過ぎている。先日テレビを見ながら、「あの事件から1年を迎えました」なんて聞き、「もう1年?」と驚いてしまった。
自分の変化が自分でわからないから、時間だけが過ぎているという感覚がある。それはちょうど、信号が青になったのに足を怪我しているから前に進めないような感じだ。
そんなわけで最近、待ち遠しい日をいっぱい作ることにした。(蒼)
幹事はそのジムのトレーナーさん。
参加者は10人くらい。
会費は2000円。
もちろん、朝鮮人は筆者1人だけ。
でも、筆者が朝鮮人だということを、誰も知らない。
韓国人、中国人だとも思っていない。
なぜなら日本語を使うから。
大半の人たちが、日本人だと思っているわけだ。
「珍しい苗字だね」と言われたときは驚いた。
「いつ日本に来たの?」と言われるのはよくあるけど。
確かに年齢層は低い。
だから理解するのに時間がかかりそうで、説明するのも簡単ではない。
「この苗字、初めて見ましたよ」
「そうですか?」
「はい、なんかカッコいいっすね」
「そうですか?」……と、適当に交信する。
別に諦めているわけでもない。
「運動」を放棄したわけでもない。
体力作りのために高い月謝を払って家から自転車で15分もかかるジムに行ってるんだから、没頭したいと思っているのと、たまには宇宙人として付き合うのも悪くないと思っているだけ。
要は、つかの間の休息みたいな感じです。(蒼)。