あぁ、生きた証

日記、献血放浪記、気がついたり考えたりしたこと、地元清水エスパルスについて書いてます。

W杯をふり返ってみて

2006-07-11 | サッカー
24年ぶり4度目のイタリア優勝で幕を閉じたW杯だったが、
決勝戦のジダンの退場は、大きな波紋を呼んでいる。

ジダンの頭突き自体は、それこそフェアプレイの精神からすれば、
言語道断で、弁解の余地無しなのだが、それにしても自分の現役最後の試合、
そして決勝戦、まだ同点の状態でこれからというとき、後先考えずに
頭突きを引き起こした原因は非常に気になるところ。

マテラッティの発言が引き金になっているようだが、
まだ真実は明らかになっていない。

トラッシュトークは、サッカーに限らず格闘技やら他のスポーツ(特に海外)で、
試合中や試合前のインタビューなどではよくあることだが、
昔から個人的には好きではない。
(好む人がいるのだろうか?)

人を罵ったり、小馬鹿にする発言は聞いていて心地よいものではない。
むしろ互いに敬う気持ちを持ちながら、切磋琢磨し一生懸命な姿に
観衆は自然と魅了されていくのだと思う。


特にW杯で耳にするのが「国の威信をかけて」とか「サッカーという名の戦争だ」
とかだろうか。

公場で堂々と「ナショナリズム」を謳うことに対し、みな顔をしかめず、
まかり通ってしまっている状況は、ある種の不思議な
側面を含んでいる光景かと思う。


「ナショナリズム」

スポーツはスポーツといいつつも、結果的に「国の威信をかけた」ことが
ただのスポーツの枠にとどまらず、国同士での争いになってしまっている。

そこにはかつての歴史やら、当事国同士での遺恨的なものや、主従関係やら
人種差別的なものだったりもあり、そこが見えてしまうと非常に試合自体が
薄っぺいものに見えて仕方ない。
(単純に「試合」で片付けられない意味を持つから、それこそ
「絶対に負けられない戦い」といのはとんだ大間違いだと思う)

古くから民族が絶えず行き交い、その度に衝突をもたらし、また多くの
民族が移民し、一つの国をなしている欧州の歴史からすると、
島国の日本は到底理解しがたい部分は沢山あると思う。
(文字が足らずに語弊を含んでいるかと思うけど)

日本では、せいぜい韓国との対戦で、「国の威信をかけた」
状況になるのかと思うが、盛り上げようとするマスコミは分かるが
何処か本来とは違う方向へ向かい、残念なことにすり替わっている
ことが少なくない。


根深い部分については、きっと推し量れないところが多く、外野が
どうこう言えたものではないと思うし、感情論的な部分が
ボッと火がついてしまっているところだろうが、
せっかくの大会にもかかわらず、あまりにも悲しい事が
色々派生してしまっていることに残念でならない。



ただ同時にこれがW杯のあるがままの姿なのかもしれない。
コメント
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