あぁ、生きた証

日記、献血放浪記、気がついたり考えたりしたこと、地元清水エスパルスについて書いてます。

中田英寿引退

2006-07-04 | サッカー
突然舞い込んだ大きなニュースだった。
驚いた。


これまでも、もしかして?なんてにおわした報道も
無いこともなかったが、その時は、29歳の若さでまさか引退なんてと、
誰もまともに取り扱おうとはしなかった。



それが、まさか現実に起こるとは..........



各年代の日本代表を経てオリンピックに2回、W杯に3回全試合出場と
日本にJリーグが始まり、日本代表が世界の舞台に挑戦した歩みと、
その中で中心として君臨していたヒデとは歴史が重なる。



「一つの時代が終わった」とも報じられた。



個人的には、まだ日本でサッカーといえば、冬の高校サッカー、トヨタカップ、
天皇杯決勝くらいしかテレビで取り上げられていなかった時代に、
今のようなサッカー日本代表の試合がある日は、仕事を早めに切り上げて
「サッカー見るぞー」なんて周りが騒ぎだす日が来るとは
全く想像できなかった。

いつか日本代表が、世界の強豪国と肩を並べ、対等に戦える日が来ることを
憧れていたあの頃。
間違いなくあの頃思い描いていた青写真は、随分具現化され、
感動と歓喜に幾度となく誘ってくれた。


その功績として、ヒデが担った役割は大きい。
海外へのパイオニアともいわれているし、そこでの活躍、
そしてその次に続く選手達と、数えると切りがない。


確かに一つの時代は終わったのかもしれないが、かつての世界との差は
僅か10年間で、ぐっと縮まったと思う。
ただこの先本当に強豪国と対等に戦うことが出来るようになるには
次のステップに進まなければ行けない時期なのかもしれない。


「司令塔」。
世界のサッカーはもう10年くらい前から、スタイルが変わりつつある。
もはや一人の司令塔任せのゲームメイクはない。
みんながゲームメーカーだったりもする。
そんな次のステージへの転換期なのかもしれない。

W杯の敗戦は、いろいろ言われているが、とりえず当初の目的だった器には
すでに水は満たされ、溢れ出している状態なのかもしれない。
新しい器に移し変えて、更により多くの水をためる次の段階に入ったのは
事実だと思われる。

そして新しい器を待ち焦がれている。



合宿の時期も含め、W杯期間中、いつにも増してヒデの発言は厳しいと思った。
その発言に隠された秘密が「引退」だったとなると、
いろいろなことがつながってうなずける。

と同時に、どうせならジダンの様にW杯開幕に宣言して欲しかった。
明らかにその方が、チームにヒデの言葉の裏に隠された想いまでもが
直接各々の選手の心に響いたかと思う。

それが出来ず、最後まで意志の疎通が出来なかったことを悔いているのは、
ヒデらしくないのかもしれない。


日本でまだまだサッカーがメジャーでなかったあの頃を知る
自分としては、勝ったにせよ負けたにせよ
随分楽しい思いをさせてもらった。

ありがとう おつかれさま。
第二の人生にも期待したい。
コメント
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