Gabbie's Cafe

 天使のカフェへようこそ

ボージョレ・ヌーヴォー

2005年11月17日 | Good Food Fine Wine

今年も、11月の第三木曜日がやってきました。
数日前、つけっぱなしのテレビから、成田へ到着したというのを耳にしてはいたのですが、忙しさにかまけて今年の第三木曜が何日なのかを確認することもせずにいました。
ブログに何を書こうかなぁと思いをめぐらせつつ、ふと心に浮かんだのがこの新酒のことでした。“そういえば今年は何日だろう・・・”カレンダーに目を向け、それが今日であることに気づいてびっくり。なんとなく来週のような気がしていたものですから・・・。慌ててネットを開き、まだ買えそうなものを注文しました。

 毎年この時期、ボージョレ・ヌーヴォーがやってくると、必ず思い出す人がいます。
Y氏。彼は横浜青葉区のフランス料理店で給仕の仕事をしていたときの私の上司でした。小さなホテルに付随するこのフレンチレストランは、今どき珍しく正装の給仕たちによってワインが抜かれ、コース料理の皿が運ばれる店でした。
重々しいビロード張りの椅子に、トップクロスのきちんとかかったテーブル、調度品の磨かれた店内。年老いた料理長のあとを引き継いだのは、リヨンで修行を積んだ若いながらも実力のある敏腕シェフ・ド・キュイジーヌ・・・そんな店で、Y氏はワインアドバイザーとして活躍していました。小柄だけれど黒服に蝶ネクタイのよく似合う人でした。20代半ばでワインのことをほとんど知らなかった私が、ソムリエナイフの使い方からブショネ(悪くなったワイン)のかぎ分け方、より良くお客のグラスにワインを注ぐ注ぎ方など、彼から学んだことは数知れません。ボージョレ・ヌーヴォーにヴィラージュというのがあって、それはただのヌーヴォーとは違うんだと、そんなことすら私は彼から教わったのでした。

初めて店を訪れた時、面接のテーブル越しの優しくて社交的なオーナーの横で、一言も話さず笑いもしないY氏をみて、なぜだか“私の使命はこの人を笑わすことだな”などと思ったのを妙に思い出します。“このコワモテを攻略すればこの店でやっていける”・・・そんな魂胆がよぎったのだったと思います・・・が、実際の彼は、私の予想に反してウイットに富んだ愉快な人物でした。それでいて仕事をきっちりこなす、面倒見のよい理想の上司。そしてそれ以上になによりも、彼は一流の職人でした。
注文されたワインをセラーから出してきて、お客に傾けて差し出し銘柄を確認する。慣れた手つきで封を開き、T字型のソムリエナイフをするするとまわす。音もなくすっと抜けたコルクの香りを嗅ぎ、テーブルの隅にさり気なく置く。そしてテイスティングのグラスに、一口分のワインを注ぐ・・・。Y氏がワインを供する時のその動線の美しさとプロとしての仕事の上質さに、よく惚れ惚れと見とれたものでした。

そんなY氏が異動になると聞いたのは、私が店に入ってまだ一年も経たない頃でした。実はその店は某大手企業の傘下にあって、近くの大学のキャンパス内に学生用のコンビニとカフェテリアを開く計画が持ち上がり、Y氏はその責任者に指名されたのでした。

Y氏が黒服を脱ぐ・・・私にとっては大事件でした。
才能ある器を天職の場から引き抜いて、コンビニの店長になれなんて・・・なんてもったいない。こんな無粋な、本質を踏みにじった話があるものか・・・と若かった頃の自分が猛然と憤ったのを思い出します。反対の署名でも集めはじめそうな私に、当のY氏はまるで他人事のように“まぁ、しかたがないよ”と言い、私は神妙になって黙りこみました。理想の上司であったY氏は、そうして従順な部下として店を去っていきました。

最後に会った時、Y氏はポロシャツとジーンズに緑のエプロンを着けてコンビニのレジに立っていました。変わらず理想の上司として、彼は今もアルバイトの学生やパートの主婦たちの為のシフトを組み、毎日ペットボトルやスナック菓子の在庫を管理しているのかもしれません。企業にとって都合のよいパーツの一部として・・・でもそれはそれで“まぁ、しかたがない”ことかもしれない。
あれから何年も経ち、もう会うこともない。でも思い出す度、やはりY氏にはどこかで黒服を着ていてほしいと思ってしまう私です。

“ボージョレ・ヌーヴォーの当たり年”と言われたあの秋、天井の高いフレンチレストランで客にワインを供していたY氏の面影に敬意を表しつつ、遅ればせながら今年も、新しいぶどう酒の到来を楽しみにしています・・・。