じゅんやの喜界島便り

カトリック信仰による救いと癒しを発信

木漏れ日

2014-02-26 22:53:25 | 気象

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和室の木漏れ日

気になっていた障子の張替えを思い切って今日した。障子を立て掛けると「ホウライカガミ」の隙間からなんとも言えない木漏れ日が障子に映った。
「木漏れ日」は英語でなんと言うのだろう。どなたか教えてください。


  「大枝には空のすべての鳥が巣を作り、若枝の下では野のすべての獣が子を産み、多くの国民が皆、その木陰に住んだ。」 (エゼキエル31:6)


舗装完了

2014-02-25 23:06:19 | 土木

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教会の前の道路舗装完了


懸案の舗装工事がようやく終わった、近所の方の話によると、20年前から町に要望を出していたが約100年振りの地積調査が終わらないと工事ができなかったとのこと。
教会の前から本道まできれいに舗装された。


 「わたしもまた、あなたたちのために祈ることをやめ、主に対して罪を犯すようなことは決してしない。あなたたちに正しく善い道を教えよう。」 (サムエル上12:23)


鹿児島大学大学院

2014-02-15 22:35:05 | 学問

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研究報告会

 
鹿児島大学大学院 名瀬のサテライト教室で報告会が鹿児島大学と同時中継で行われた。
その中で二つのテーマに興味があったので聞きに行った。

「変貌する奄美大島のカトリック教会と地域社会を巡って」と
もう一つは「地域婦人会とジェンダー奄美大島大和村大棚集落を事例として」この二つとも中国人の留学生夫婦が発表した。外国人が奄美のことについて研究していることに感激した。
奄美大島の貴重な文化遺産が世界に発信できると嬉しい。

 「地の果てまで、すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り、国々の民が御前にひれ伏しますように。」 (詩編 22:28)


伐採パン

2014-02-13 10:32:53 | 島の行事

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伐採パンと呼ばれている、喜界島季節限定のパン

商品名は「バタークリームロール」と書いてあるが、
裏のラベルには、品名:カステラパン、原材料:小麦粉、砂糖、卵、膨張剤
バタークリーム、香料、SP と書いてあった。

話には聞いていたが漸く今日手に入れて食べた。
喜界島で砂糖キビの伐採時期に作られるパン。
作業中でも手軽に食べられる安くて小さくて美味しいパン。


 「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。」 (詩編 126:5)


道路工事中

2014-02-12 18:09:08 | 土木

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教会前の道路
側溝を取り付けアスファルト舗装工事



側溝の高さが教会の土地より30cm以上も低くなったので、町の責任でスロープを取り付けてくれた。漸くコンクリートが乾き、人が通れるようになった。
車は外に駐車しており中に入れるのは舗装工事が完了しないと入れない。

 「主の御使いが荒れ野の泉のほとり、シュル街道に沿う泉のほとりで彼女と出会って、」
 (創世記 16:7)


最終講義

2014-02-01 09:28:57 | 学問

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雨宮先生、岩島先生最終講義

 
上智大学で1月31日(金)神学部の雨宮先生と岩島先生の最終講義があり、
沢山の方が耳を傾けた。

雨宮先生は『わたしにとっての聖書』Ⅰ新約と旧約の違い、Ⅱ人の思いは神からみれば「たくらみ」、Ⅲ「神の蝕」に陥ったナザレの人々、Ⅳ人間がもつ弱さは偶然ではない。についていつもの雨宮節で丁寧に教えられた。

 「なぜなら 彼は 知っている 私たちの造られる様を
 彼は覚えている 次のことを 塵 私たちは」      (雨宮先生逐語訳 詩編103・14)

岩島先生は『修道生活の精神と三誓願の意義』についてⅠ修道生活の歴史的概観、Ⅱ『教会憲章』(第二バチカン公会議)に見る修道者の位置付け、Ⅲ三誓願の意義、についていつもの懐かしい語調で教えられた。

ベネディクトの「祈りかつ働け」(Ora et labora)、フランシスコの「注釈ぬきでの福音」(Evangelium sine glossa)、ドミニコの「説教者の会」(Ordo Praedicatorum)、イグナチオとイエズス会、そしてイエズス会の特徴である司祭中心などについて述べられた。

 「すべてを取ってください。主よ受け入れてください。私の記憶も、知性も、意思も。私にあるものと持っているものすべてを。あなたがこれを私に下さったのですが、主よ、あなたにお返しします。すべてはあなたのものです。どうぞ、あなたの望みのままに計らって下さい。あなたの愛と恵みを与えてください。私にはこの恵みだけで十分です。」 (イグナチオ・で・ロヨラ『霊操』より「自己を捧げる祈り」)