じゅんやの喜界島便り

カトリック信仰による救いと癒しを発信

町の花

2008-05-31 17:35:45 | 植物

Dsc00355Dsc00351  5月28日から31日まで友人夫妻が、また5月30日から31日の一泊で友人がはるばる本土から尋ねて来た。まず「スギラビーチ」(空港滑走路の裏側)に夕日を見に案内したが、生憎の梅雨の曇り空で3日間共、夕日を見せることは出来なかった。とても残念だったが、その代わりに、僧俊寛の墓、荒木小学校校庭のガジュマル、手久津久の「ガジュマルの巨木」、百の台の展望台、小野津漁港公園の東経130度のモニュメントを案内し見せることが出来た。

写真は夕日を見られなかった「スギラビーチ」の帰路、空港臨海公園にある町花「竜舌蘭」の花のつぼみ。天にそびえるようなこの花は数十年に一度しか花を咲かせないと言われている。花が咲いた後は枯れてしまうそうだ。この花を観測しその後どのようになるかレポートするよう、友人に約束した。

エゼ  17: 22
「主なる神はこう言われる。わたしは高いレバノン杉の梢を切り取って植え、その柔らかい若枝を折って、高くそびえる山の上に移し植える。」


2008-05-27 23:55:18

2008-05-27 23:55:18 | 交通

Dsc00294Dsc00292  喜界島の空の玄関「喜界空港」。現在奄美空港と1日3往復、鹿児島空港と1日2往復、合計1日5便ののんびりした小さな空港である。飛んでいる飛行機はスウェーデンの自動車メーカー、サーブ・スカニア社製SAAB340型機(通称:サーブ機)36人乗りのターボブロップ旅客機である。鹿児島からは約1時間掛かる。奄美からは15分(実際の飛行時間は約7分)と短時間で来れる、日本中で一番短い空路かも知れない。

喜界空港は、奄美大島では最初の飛行場で、第二次世界大戦時、日本軍の航空隊基地であり、鹿児島の知覧空港から「特攻隊」が沖縄へ向かう時の中継空港であった。今でも当時を思い出させる特攻隊員が持って来たと言われる「特攻花」が咲いている。

コヘレトの言葉    3: 1 「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。3: 8 「愛する時、憎む時、戦いの時、平和の時。」


屋根裏の住人

2008-05-23 20:16:41 | 動物

Dsc00265Dsc00264  4月の中旬夜遅く、突然出窓のマリア像のすぐ上から、猫の赤ちゃんの微かな泣き声が聞こえた。空耳かとも思ったが、耳を澄ましてじっと聞いていると、確かにゴソゴソという音(親猫?)と一緒にチーチーと小さな声が聞こえた。親猫がどこから狭い所に入ったのか分からなかったが、ある時裏の縁台の下から親猫が出てくるのが見えた。写真を撮ろうとカメラを持って来たが間に合わなかった。何度も見かけたがまだ撮影には成功していない。いつかきっと親子連れのところを撮りたいものだ。泣き声の場所が約一週間単位で変わって聞こえた。きっと親猫が咥えて場所を変えるのだろう。その後一ヶ月が経ち泣き声も大きくなった。今度は少し離れた洋間の天井裏で、いつもはじっとしているのか、寝ているのか音が聞こえないが、親猫が床下から壁を伝って天井裏に上がると、盛んに大きな声で泣き始める。今も天井裏を所狭しと走りまわっている。幸い夜はおとなしくしており、僕の睡眠を妨げることはない。そして屋根の上にはいつも烏、山鳩、雀、目白などが戯れている。いつか彼らと話ができたらいいな。


「屋根の上にひとりいる鳥のように、わたしは目覚めている。」詩編102:8
(聖書には「猫」の用例は1回もない、何故だろう。)


珊瑚礁の石垣

2008-05-21 18:22:42 | 建築

Dsc00238Dsc00239  喜界島の東側「阿伝」(あでん)集落は喜界島でも古い珊瑚礁の石垣が数多く残るめずらしい地域である。台風の多いこの地域では珊瑚礁の石垣とガジュマルで家の周りを囲って、風の被害から家を守っている。新しい石垣はモルタルで補強しているが、古い石垣は形の違う様々な珊瑚礁を丁寧に並べて接着剤も使わずにしっかりと固定され数十年経過しても形が変わっていない。きっと腕の良い職人が造ったのだろう。場所によってはガジュマルの根が石垣をしっかりと抱えて固定されている所もあった。「明治7年の調査によれば、阿伝は村の貧富を論ずれば第一の富村とする」『喜界島風土記』。とあるから、財政的にも富んでいたからできたのであろう。

珊瑚礁の石垣に魅せられた観光客が写真を撮っていた。僕もつられてパチリ。

「ヨセフは実を結ぶ若木、泉のほとりの実を結ぶ若木。その枝は石垣を越えて伸びる。」(創世記49-22)


喜界島教会

2008-05-19 22:58:02 | 建築

                Dsc00065           Dsc00064カトリック喜界島教会

1982年6月19日、コンベンツアル会が「喜界ミッションセンター」として巡回教会を建設、糸永司教により祝別、福者マキシミリアン・コルベ(同年10月10日列聖)を保護者として献堂。1990年9月26日、ベタニア修道女会のシスター3名が修道院を開設、教会に常駐して宣教活動に従事、現在に至る。(出展:カトリック奄美100年、奄美福音宣教100周年記念誌)。その後、2007年1月末にベタニア修道女会が完全に撤退してからは、こどもたちの姿がめっきり少なくなってしまった。2007年7月には、司教を迎えて25周年のお祝いをした。現在、月に2回は名瀬から飛行機で来た司祭(空飛ぶ司祭?)によってミサが捧げられる。2008年4月から僕が留守を預かることになり、司祭不在の時は、集会祭儀を行っている。小さくても神の家には変わりはない。

喜界島空港から約500mの近さで、滑走路も近いが、ジェット機の轟音ではなく、プロペラ機のやさしい音が時々聞こえる。

「わたしは生い茂るオリーブの木。神の家にとどまります。世々限りなく、神の慈しみに依り頼みます。」(詩編52-10)


東経130度の南端

2008-05-17 22:43:15 | 地理

Dsc00233Dsc00232_2  先日は東経130度の喜界島北端を訪れたが、今日はその南端を訪れた。今日訪問した家は、喜界島教会の位置から約10km離れた東側にある集落で、事前にGoogle Earth で位置を確認するとなんと 、ちょうど東経130度の位置にあった。二人のこどもの「初聖体」の教理の勉強を終えてから、この家が丁度東経130度の位置にあることを告げると、母親もこどもたちもびっくりしていた。今まで知らなかったようだ。

写真は、その家に行く途中にあった「推定樹齢850年」のガジュマル。

「その人は流れのほとりに植えられた木。」(詩編1-3)


東経130度00分

2008-05-15 19:02:25 | 地理

Dsc00224Dsc00227  東経130度00分のモニュメントが喜界島の北部、小野津(おのつ)漁港傍の公園に東シナ海を背にして建っていた。人間が路面に書いた線(何故かオレンジ色の二本線)はあったが空にも海にも線はなかった。モニュメントの背面には「北側425km先 熊本県天草市下島鶴崎」と書いてあった。ちなみにカトリック喜界島教会は東経129度56分、北緯28度19分の地点にある。いずれにしろこの大きな地球の中である地点を表現するには便利である。日本の標準時間が東経135度の明石であるから、喜界島は日の出、日の入が20分遅くなることになる。知床は東経145度であるから、日の出、日の入が1時間遅くなることになる、日本も長いいものだ。喜界島の今日の日の出は5時32分、日の入は19時05分である。そろそろ日の入だ、海岸へ日没を見に出掛けるとするか。


喜界島の位置

2008-05-13 18:47:30 | 地理

Dsc00218皆さん、「喜界島」と聞いて日本地図のどこにあるか思い浮かびますか?

伊豆大島の近く?、長崎の近く?、沖縄の近く?、 いいえ違います。

鹿児島の南約380km、奄美大島の東約25kmの北緯28度19分東経130度0分の洋上にあり周囲約48.6km、道路一周約32kmの隆起珊瑚礁(毎年2mm隆起している)の島、気候は温暖でブーゲンビリア(写真はカトリック教会の庭の花)、ハイビスカス、ガジュマルなどの亜熱帯植物が繁っている。農業が主体でサトウキビ、白ゴマの生産は日本一。黒糖、黒糖焼酎の原産地でもある。

縄文時代の遺跡、平安時代の大規模集落の遺跡、僧俊寛や村田新八が流された、歴史的な足跡もある。現在の人口は約8,300人、過去には16,000人も住んでいた。

交通は、飛行機 東京(毎日1往復)⇒奄美⇒喜界島(約4時間)、鹿児島(毎日2往復)⇒喜界島(約1時間)、奄美(毎日3往復)⇒喜界島(約15分)。船 東京⇒奄美(約72時間)、鹿児島(土日除き隔日)⇒喜界島(約12時間)、台風の時は欠航有り注意。

ハブのいない、花粉症のない、急がないスローライフの島喜界島へ是非いらしてください。

「五日目も朝早く彼は出発しようとしたが、娘の父が、「元気をつけた方がいい」と言うので、二人は日の傾くころまでゆっくり食事をした。」(士 19:8)


喜界島

2008-05-11 00:53:58 | 癒し

Dsc00113 南国奄美諸島のひとつ、蝶の飛び交う、隆起さんご礁の島「喜界島」に、カトリックの信仰による癒しを求め、スローライフを実践するために、50年振りに、Uターンして来た一人の男の独り言、喜界島の様々な出来事、風景、風物などについて書いていきたい。

(申命記 11:9)                                      「こうして、主があなたたちの先祖に、彼らとその子孫に与えると誓われた土地、すなわち乳と蜜の流れる土地で、あなたたちは長く生きることができる。」