じゅんやの喜界島便り

カトリック信仰による救いと癒しを発信

喜界島のマリア

2008-09-25 23:01:29 | 平和

Dsc01453Dsc01439Dsc01450 喜界島教会の門を入ってすぐ右側に、入って来る人を迎えるように、マリア様の祠が祝別された。

以前、喜界島に住んで居られたFさんが離島の時、ご寄附をされ、何か記念になる物をと言うことで、瀧憲志神父さんのアイデアで、Oさんに頼んで作ってもらった。

 マリア様の像は、今は亡きルーシン神父さんが、かつてフィリピンから取り寄せた2体の内の1体で、現在僕が住んでいる、旧ベタニア会修道院の応接間に安置してあった木彫りの高さが1mほどの像で、家の中で静かに祈っていたが、これからは外へ出て、風雨に耐えながら、訪れる人を迎える重要な役目を担って頂くことになる。

マリア様、できるだけ沢山の人を招いてくださいね。


「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」 (ルカ福音書  5: 32)


慰霊

2008-08-07 18:08:03 | 平和

Dsc00998Dsc00997 来週の金曜日8月15日は終戦記念日、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した日、聖母の被昇天の祭日、日本には恵みの日である。

喜界島の空港の片隅に永久の平和を求めて「海軍航空基地戦没者慰霊の碑」がある。沖縄戦の時は鹿児島の知覧飛行場から若き特攻隊員が 、燃料補給のため飛来し、全ての隊員が帰らぬ人となった。航空基地でも米軍の猛攻撃を受けながら整備作業に従事し、戦死した隊員も数多くいた。

若き命を犠牲にする戦争は二度と繰り返してはならない。

主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。(イザヤ  2:  4 )

「お詫び」 終身助祭叙階の準備のため、明日から9月17日まで、喜界島を留守にしますので、ブログを休みます。