じゅんやの喜界島便り

カトリック信仰による救いと癒しを発信

久振りの喜界島教会

2016-12-06 20:15:22 | 建築


一年振りの喜界島教会に短期滞在、いつ来ても温かく迎えてくれる喜界島教会(聖コルベに献堂)

 「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。主に逆らう者の天幕で長らえるよりは/わたしの神の家の門口に立っているのを選びます。」 (詩篇 84:11)

イグナチオ教会

2016-10-26 15:20:28 | 建築

 
 四谷にあるイグナチオ教会&上智大学の今

 イグナチオ教会で時々聖歌の練習に参加している。
 2月11日には毎年発表会がある。

  「正しくいます主にわたしは感謝をささげ、いと高き神、主の御名をほめ歌います。」 (詩編 7:18)

ケネディー大統領の命日

2013-11-22 21:58:41 | 建築

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ケネディー大統領の葬儀ミサが
行われた祭壇

 今から50年前の1963年アメリカ・ワシントン大司教区・司教座聖堂・聖マテオ教会でケネディー大統領の葬儀が行われた。聖マテオ教会にあった祭壇が奄美市名瀬の聖心教会の祭壇にある。

 「この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である。あなたたちはおのおのその先祖伝来の所有地に帰り、家族のもとに帰る。」 (レビ記  25:10)



 皆さんのお陰でこのブログのアクセス回数がもうすぐ(93回で) 50、000回になります。

 


奄美のカトリック教会21

2013-06-22 16:34:54 | 建築

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カトリック屋仁(やに)教会
(大笠利教会の巡回教会)


 (お告げの聖母)

1952年、38名受洗、屋仁教会誕生、茅葺きの仮聖堂建設
1956年、聖堂完成、「お告げの聖母」を保護者として献堂。
現在はミサは行われていない。

「わたしは願おう、わたしたちの神、主の家のために。「あなたに幸いがあるように。」」 (詩編122:9) 


棟上式

2013-05-06 22:17:42 | 建築

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飾りは  伝統的な飾りで、 (十字架に似ている)

祝福はカトリックの「祝福の祈り」で行った。

約150人のお子さん達が集まり、盛大な棟上げ式になった。

 「家は知恵によって築かれ、英知によって固く立つ。」 (箴言 24:3)


思い出の家の解体

2012-10-17 19:45:37 | 建築

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叔母の家の解体

 第二次大戦後建てられ、かみさんの叔母が住んで先祖を守っていた家、夏休みに家族で訪ねた家、思い出がいっぱい詰まった家が解体されようとしている。

 台風16号、17号で屋根の一部が飛ばされ、諸事情により解体することになった。台風21号が来る前に業者が解体を始めたが、台風接近により残りの解体は台風通過後になる。

 

 思い出が消えて行くようで寂しい。でもここを訪れた親族の心の中には、いつまでも思い出が残るだろう。

 

  「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。・・・・・ 求める時、失う時、保つ時、放つ時」 (コヘレト3:1~6)


奄美のカトリック教会20

2012-10-14 12:28:52 | 建築

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カトリック大勝教会
(瀬留教会の巡回教会)



(ご受難の主)に奉献      

1894年(M27)4月、山口神父宣教開始

1962年(S37)2月、仮聖堂設置

1999年(H11)11月7日、糸永司教の手で献堂、落成

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信徒が描いた十字架の道行の一部

わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。 (イザヤ53:6)


奄美のカトリック教会19

2012-03-23 16:32:21 | 建築

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(たいら)教会

(天使の元后聖マリア・ポルチウンクラ)

1898年、中村長八神父が福音宣教を始める。

1955年(s.30)1月26日、聖堂が落成、献堂、フェリックス教区長が祝別。

現在、大笠利教会の巡回教会、

ミサは行われていないが信徒の手によって聖堂の内外が綺麗に整備されている。

(奄美福音宣教100周年記念誌から一部抜粋)

  「わたしは生い茂るオリーブの木。神の家にとどまります。世々限りなく、神の慈しみに依り頼みます。」 (詩編 52:10)


大島紬のタペストリー

2012-02-03 14:06:02 | 建築

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祭壇に大島紬

 名瀬古田町のマリア教会、奄美宣教120周年を記念して、龍郷柄などを主にした大島紬のタペストリーで祭壇背景を飾った。

 カトリックの奄美宣教は1891年12月31日に始まったので、2011年12月31日が丁度宣教120周年に当たる。

 巡礼に来られる方、是非聖堂のタペストリーをじっくりご覧になってください。

 「主よ、御名はとこしえに。主よ、御名の記念は代々に。」 (詩編135:13) 


奄美のカトリック教会18

2012-01-28 18:04:43 | 建築

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カトリック佐仁(さに)教会(聖マリアの無原罪の御宿り)

1951年(s.26)12月,ヒラリオン神父が大笠利から巡回,宣教開始。

1953年(s.28)12月,ルカ神父が50人に洗礼を授けて佐仁教会が誕生。

 

 1954年(s.29)12月8日、聖堂が落成、ルーシン神父により祝別、「聖マリアの無原罪の御宿り」に奉献。 (奄美福音宣教100周年記念誌から一部抜粋)

 現在は、玄関が閉じられ、ご聖体は安置されていない。

 「主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り、聖なる山に住むことができるのでしょうか。」 (詩編15:1)


奄美のカトリック教会17

2011-04-15 17:37:48 | 建築

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カトリック西阿室(にしあむろ)教会

奄美大島の南部、かけろま島にある唯一の教会

1957年(s.32)5月、ジェローム神父が88名に集団洗礼

1967年(s.42)10月10日、コンベンツアル会により聖堂が完成「憐みの聖母」に奉献。

祭壇の右側に「マリア観音」が安置されている。

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 「神がわたしたちを憐れみ、祝福し、御顔の輝きを、わたしたちに向けてくださいますように」 (詩編67:2)


奄美のカトリック教会16

2010-11-19 09:43:37 | 建築

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カトリック大笠利教会(大天使ミカエル)

1903年(M36)、中村長八神父により福音宣教が始まる。

1904年(M38)、400名余の信者が誕生、翌年仮聖堂を建設。

1915年(T.4)、大笠利教会が聖堂が完成、ハルブ神父により祝別・献堂。

1936年(S11)、聖堂が放火により完全焼失。

1948年(S23),信徒により仮教会(茅ぶき)建築、翌年放火により焼失。

1951年(S26),カプチン会により木造の聖堂が完成。

1972年(S47)、11月5日、信徒により現在の聖堂が完成、糸永司教により祝別、大天使ミカエルを保護者に献堂。

1984年(S59)、戦前の「アンゼラスの鐘」が里帰りする。

(『奄美福音宣教100周年記念誌』から抜粋)

 「イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」 (ヨハネ  2:19)


雨樋

2010-10-11 10:20:15 | 建築

Dsc05498 Dsc05499 詰まっていた元修道院の雨樋

雨が降るといつも雨水が雨樋に流れず、まるで雨樋が無いかのように溢れていた。

3年目にして漸く原因が分かった。

雨樋の中にバトミントン の羽が詰まっていたのだ。そしてその中に木の葉が腐って土になり草が生えていた。これでは流れるはずがない。

今度の雨が楽しみだ。はやく降らないかな。

 「七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした。」 (創世記 7:4) 


隣家の上棟式

2010-10-02 19:37:35 | 建築

Dsc05441 Dsc05442 Dsc05461 東側の空き地に隣家

教会の敷地の東側はずーっと空き地だった。台風の時はまともに風が当たっていた。

先月初旬整地が始まり、土台が完成。

今週の月曜日に柱の組み立てが始まり、今日土曜日に上棟式。

屋根にはのぼりと弓矢の模型、家の中では紅白の幕を張って宴会が始まっていた。

これで台風の時に風が少しは和らぐだろう。

 「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」 (出エジプト 20:17)


記念碑

2010-07-01 20:36:03 | 建築

Dsc06785 Dsc06783 皆既日食記念碑

そろそろ皆既日食から1年になる。喜界島では今年の4月に あの感動を後世に残すために、記念碑を島内の3か所に設置した。写真はスギラビーチのテントサイトに設置された記念碑。

  「ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油を注いで、」 (創世記28:18)