じゅんやの喜界島便り

カトリック信仰による救いと癒しを発信

奄美のカトリック教会8

2009-04-29 20:37:07 | 建築

Dsc03155_2 Dsc04728_5 Dsc03154 Dsc03156                    カトリック小宿(こしゅく)教会(王であるキリスト)

1953年(S.28)カプチン会が木造の仮聖堂を建設。1973年(S.48)12月2日、現在の聖堂が落成、献堂。糸永司教により祝別され「王であるキリスト」に奉献。(奄美100年から抜粋)

同じ敷地内に聖堂、ルーシン館、司祭館、集会場がある。この敷地はある信徒の生家跡である。

小宿教会の巡回教会として、知名瀬(ちなせ)、大棚(おおだな)、大和(やまと)、戸円(とえん)教会、集会所として根瀬部(ねせぶ)教会がある。

「主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り、聖なる山に住むことができるのでしょうか。」 (詩編15:1 )


海開き

2009-04-26 11:17:05 | 自然

Dsc03507_2 Dsc03511_2 Dsc03523_2 今日は海開きの日(旧暦4月2日)

午前9時に安全祈願のための神事があり、その後消防署の担当者がこどもたちに、安全に泳ぐための注意事項を説明し、保護者には、人口呼吸、心臓マッサージ、AEDの使い方などを説明した。

こどもたちの初泳ぎになる予定が、気温が低く、風も強くて2~3人の高校生が初泳ぎをしただけだった。小さな子供たちは、○×ゲームや宝探しなどをして海開きは終わった。

「天よ地よ、主を賛美せよ、海も、その中にうごめくものもすべて。」 (詩編  69:35)


島じゅうり

2009-04-25 20:13:40 | 食・レシピ

  Dsc03502_3  『おいしい たのしい 喜界島』 103p が発行された。  

発行したのは 喜界町保健福祉課 すこやかセンター、 2009年2月に発行したが、好評でさらに4月に追加発行された。

内容は①島じゅうり(料理)が正月などの行事毎に写真付きでレシピーがまとめられている。②喜界島の自然と作物の季節カレンダー、食用野草図鑑、島ミカン図鑑、魚貝図鑑などが和名、方言名入りでまとめられている。③あまみ長寿食材分析結果が紹介されている。

例えば、③には黒糖100g中のカルシュウム量は上白糖の240倍、鉄量は上白糖の47倍、などがグラフで紹介されている。

詳細は喜界島のHP(下記)に詳しい。

http://www.town.kikai.lg.jp/update/92.asp

「神はこう言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。」 (列王記上  3:11)

   


奄美のカトリック教会7

2009-04-23 21:20:55 | 建築

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カトリック古仁屋(こにや)教会(聖ジェオルジオ)

1923年(T.12)から宣教を始め、1958年(S.33)仮聖堂建設を経て、1967年(S.42)、10月10日、コンベンツアル会により聖堂と修道院が完成、里脇司教により祝別、「聖ジョルジオ」を保護者として献堂。

巡回教会として西亜室(にしあむろ)教会、山間(やんま)教会がある。

「 そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」 (一コリント15:14) 


奄美のカトリック教会6

2009-04-18 22:00:22 | 建築

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カトリック嘉渡教会(使徒聖ペトロ・聖パウロ)

1923年(T.12)7月29日、聖堂落成、祝別。

1951(S.26)、カプチン会により現在の聖堂が完成。 (奄美100年から一部抜粋)

現在は瀬留教会の巡回教会になっている。

パウロ年の巡礼教会に指定されており、聖堂の壁には横断幕が掲げてある。嘉渡は僕の祖母の実家でもある。

 

「人々が深い御恵みを語り継いで記念とし、救いの御業を喜び歌いますように。」 (詩編  145:7)


復活祭

2009-04-12 10:17:38 | 植物

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キリストの復活こそ、

わたしたちの慶び。

Happy  Easter!      Buona  Pasqua!

復活の主日の朝、庭に咲いた雑草のような花たち。

「あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく、あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず、命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い、右の御手から永遠の喜びをいただきます。」 (詩編16:10~11)


奄美のカトリック教会5

2009-04-08 10:09:31 | 建築

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カトリック瀬留教会(聖ヨせフ)

1908年(M.32)12月8日、ブイジュ神父たちの努力で聖堂が完成、聖ヨセフを保護聖人として祝別献堂。戦災に会ったが1949年(S.24年)7月16日アグネラス神父が着任、聖堂の修築を行う。

1987年(S.62年)3月15日、聖堂、司祭館の大改修工事が完成、糸永司教により祝別、現在に至る。(奄美100年から一部抜粋)Dsc02100

2008年12月7日、7百数十人の参加者を迎え献堂100周年の記念ミサと盛大な式典が行われた。ミサの前に、レヒナ神父さん作の新しい木製の祭壇と朗読台が郡山司教により祝別された。100周年記念に、高さ12.8mの鐘楼が建設され朝、夕、集落中にお告げの鐘が鳴り響いている。

聖堂が国の「登録有形文化財」になった証のプレートも町長から渡された。

主は驚くべき御業を記念するよう定められた。主は恵み深く憐れみに富み。」 (詩編  111:4)


村田新八

2009-04-06 17:34:55 | 歴史

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「村田新八(1836年~1877年)の修養の碑」。

喜界島郵便局のすぐ裏手、湾小学校の校門へ通じる道の傍の民家に碑があった。

村田新八は幕末の薩摩藩士で、「島津久光の激怒を被り、西郷隆盛は徳之島へ、村田新八は喜界島へ(1862年)流され喜島家に預けられた。2年後(1864年)西郷と一緒にに許され、西郷が薩摩へ帰る時に一緒に帰った。」(説明書きの要約)

碑は小学校の生徒に見えるように屋敷の裏手に建てられ、正門へ通じる母屋のあった所は、当時の石垣が残り、現在果樹園になっている。

 「 あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。床の上で静かに自分の心に語りなさい。」 (詩編4:4)