喜界島が、「日本で最も美しい村連合」に加盟した印として、喜界島の主な場所に看板が建てられた。写真は新しくなった空港の駐車場正面に建てられた看板。
「日本で最も美しい村」のURLは下記
http://www.utsukushii-mura.jp/modules/tinyd2/content/index.php?id=42
「村にいる彼らの兄弟たちは、時に応じて彼らを助けに来て七日間とどまった。」 (歴代上 9:25)
喜界島の最高地点が見つかった。
今まで「百の台」の展望台の有る所が200mで最高地点だと思っていたが、展望台から南へ戻った所に、整備されていない藪にひっそりと最高地点の標識が埋め込んであった。標高は2007年11月時点で「211.96m」とあった。
毎年2mmづつ隆起しているので、10年後の2017年には211.98mとなるのだろう。その時は再度測量して、標識を替えなければならない。標識がねじ止めしてあったのはその時を考えてのことかな。
標識の近くの藪を刈り取って有ったので、近い内に整備する予定があるのだろうか。喜界島には、観光資源が沢山有るのに、十分に生かされていないのが残念だ。
「六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。」 (マタイ 17: 1 )
友人が「あざみの燈台」という詩を作り、もう一人の友人*がそれに曲を作ってコーラスの仲間で舞台に上って歌った。
詩に出てくる燈台は1.上嘉鉄 シツル崎 2.小野津 トンビ崎 3.湾 ハイキ崎の三つである。
今日はその詩を作った友人に誘われて、喜界島の南端にあるシツル崎と最北端にあるトンビ崎の燈台を訪ねた。
いずれも僕にとっては、喜界へ来て始めて見る燈台である。今まで何度か探したが、見つけることはできなかった。
上の写真がシツル崎の燈台で、3秒点灯し3秒暗くなる。光の強さは13万カンデラ、27km沖合いまで届く。
下の写真がトンビ崎の燈台で南九州で3番目に光が強い。5秒に1回光る。光の強さは90万カンデラ、33km沖合いまで届く。奄美から船に乗って最初に見えたのがこの燈台だったのだ。
いずれの燈台も全自動で、燈台守はいなかった。
(自動車のライト片方で約15,000カンデラ)
*もう一人の友人とは喜界島出身の長島稔さん。彼は第四回奄美歌謡選手権大会で自作の「日食」を歌い見事最優秀賞に輝いている。
詩編119:105 「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。」
東経130度00分のモニュメントが喜界島の北部、小野津(おのつ)漁港傍の公園に東シナ海を背にして建っていた。人間が路面に書いた線(何故かオレンジ色の二本線)はあったが空にも海にも線はなかった。モニュメントの背面には「北側425km先 熊本県天草市下島鶴崎」と書いてあった。ちなみにカトリック喜界島教会は東経129度56分、北緯28度19分の地点にある。いずれにしろこの大きな地球の中である地点を表現するには便利である。日本の標準時間が東経135度の明石であるから、喜界島は日の出、日の入が20分遅くなることになる。知床は東経145度であるから、日の出、日の入が1時間遅くなることになる、日本も長いいものだ。喜界島の今日の日の出は5時32分、日の入は19時05分である。そろそろ日の入だ、海岸へ日没を見に出掛けるとするか。
皆さん、「喜界島」と聞いて日本地図のどこにあるか思い浮かびますか?
伊豆大島の近く?、長崎の近く?、沖縄の近く?、 いいえ違います。
鹿児島の南約380km、奄美大島の東約25kmの北緯28度19分東経130度0分の洋上にあり周囲約48.6km、道路一周約32kmの隆起珊瑚礁(毎年2mm隆起している)の島、気候は温暖でブーゲンビリア(写真はカトリック教会の庭の花)、ハイビスカス、ガジュマルなどの亜熱帯植物が繁っている。農業が主体でサトウキビ、白ゴマの生産は日本一。黒糖、黒糖焼酎の原産地でもある。
縄文時代の遺跡、平安時代の大規模集落の遺跡、僧俊寛や村田新八が流された、歴史的な足跡もある。現在の人口は約8,300人、過去には16,000人も住んでいた。
交通は、飛行機 東京(毎日1往復)⇒奄美⇒喜界島(約4時間)、鹿児島(毎日2往復)⇒喜界島(約1時間)、奄美(毎日3往復)⇒喜界島(約15分)。船 東京⇒奄美(約72時間)、鹿児島(土日除き隔日)⇒喜界島(約12時間)、台風の時は欠航有り注意。
ハブのいない、花粉症のない、急がないスローライフの島喜界島へ是非いらしてください。
「五日目も朝早く彼は出発しようとしたが、娘の父が、「元気をつけた方がいい」と言うので、二人は日の傾くころまでゆっくり食事をした。」(士 19:8)