じゅんやの喜界島便り

カトリック信仰による救いと癒しを発信

皆既日食

2008-07-23 09:43:26 | 天文

            Dsc00836         1年後の2009年7月22日午前10時57分頃、ここ喜界島で皆既日食が見られる。その時間は1分41秒間、暗闇になってしまう。

体験者によると、「ゆっくり暗くなるのではなく、突然どーんと暗くなるそうだ。その時のDsc00835感激は忘れられない」また「鳥たちの反応にもびっくりする。」と言っていた。 

喜界島の鳥たちはどんな反応を示すだろう。今からどきどき。日本で観測できるのは46年ぶりだそうだ。次回は26年後になるので、是非見ておきたい。

Dsc00838_2 この皆既日食をテーマに喜界島出身の友人、長島稔さんが「日食」という歌を作詞、作曲、自演して見事5月に奄美市で開催された「第4回奄美歌謡選手権」で最優秀賞を獲得した。8月には長島稔さんの初CDが出る予定。きっと喜界島のメロディーで癒されるはず。

町のTシャッツ屋さんでは、日食をテーマにしたTシャッツを作って売っている。

喜界島の旅館、ホテルでは予約客ですでに一杯になったそうだ。他の観光客には学校の講堂、体育館や公民館の提供を検討中。

 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。(創世記 1: 5)


2008サマーキャンプin喜界島

2008-07-21 23:52:50 | アウトドア

           Dsc00807_3 Dsc00814_2               名瀬のマリア教会のこどもたちが 、喜界島教会に一泊二日のサマーキャンプに来た。

19日はオリエンテーション、昼食、島内観光、海水浴と続き、夕食はお代わり自由のカレー、喜界島のこどもたちも参加し、満足してくれたようだ。

夜のお泊りは、みんな興奮し消灯時間を過ぎてもなかなか寝ない。枕投げこそないが、まるで雀のお宿みたいだ。そのうちにいつの間にか静かになった。

朝はラジオ体操があるので、早く起こそうと思っていたら、5時半頃に皆起き出して来た。「隣の鶏の声がうるさくて目が覚めたよ」とのこどもたちの声。これも喜界島の風物。

20日は午前中に海水浴、昼食後、聖歌の練習、そして「こどもミサ」みんな大きな声で聖歌を歌い、喜界島のこどもたちや、その親たちが来て(約30人位)御堂が一杯になり、久しぶりに賑やかなミサを体験した。

ミサ後、プレゼントの交換会、マリア教会のこどもからは、「サンダミアの十字架」、喜界島教会のこどもからは「喜界島サマーキャンプ記念プレート」、みんな大事そうに両手で抱えていた。

この日の為に5月連休明けに植えた「スイカ」が3個も実り、カラスの難を逃れて 、こどもたちの口に入った。「小さいが甘くておいしかったよ。」と好評だった。  それに庭の熟した「パパイア」を冷蔵庫に冷やしてあったので、スイカと一緒にこどもたちの口に収まった。カラスが遠くの方で残念そうに鳴いていた?

最終便でこどもたちは名残惜しそうに、飛行機に乗った。飛行機が出発する時に、わざわざ駐機場で一回転して両側の窓が見えるようにしてくれた。機長の粋な計らいに感謝。   

サンダミアノの十字架から「さあフランシスコ、出かけていって神の家を築き上げるのです。今にも倒れかけようとしている!」    『アシジの聖フランシスコ』p.58(ドン・ボスコ社)


出船

2008-07-18 23:14:02 | 旅行記

                                                                             Dsc00771 Dsc00780 Dsc00794

名瀬行きの「フェリーきかい」の出港を早朝に見ることが できた。

夜、湾の港に船が到着したのは経験したが、日の出と共に出港するのを見たのは初めてだ。

50年前に名瀬港を出る時は、別れのテープを桟橋と船にいる客と結んで、「蛍の光」に見送られて「ボーー」という汽笛とともに桟橋からゆっくりと離れて行ったものだ。そんな時母の涙が今でも脳裏に焼きついている。

今日の出港は、汽笛も無く、テープも無く、すーーっとゆっくり岸壁を離れていく「フェリーきかい」の姿に時代を感じた。

「フェリーきかい」が沖へ出て奄美に進路を変えた時、ふと彼方をみると、船を見送るように入道雲にかすかな虹が掛かっていた。


創世記  9: 13
「すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。」


俊寛の墓

2008-07-14 17:32:06 | 歴史

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「俊寛」と呼ばれている友人から「メールを始めました」という初メールが来たので、さっそく近くにある 僧俊寛の墓 へ行って写真を撮って来て友人に送った。

坐像の横にある撰文によると「町では、昭和50年10月国立博物館人類学部長に鑑定を依頼、人骨は相当身分の高い人物の遺骨と推定。隅金具の付いた木棺は木曽地方のクロベ材と推定。その結果俊寛の墓であることに自信を深めた。」とある。

「僧俊寛は1177年遠島になり、赦免されることなく1180年没した。」と書いてあった。

俊寛に関する作品:世阿弥『俊寛』、近松門左衛門『平家女護島』、芥川龍之介『俊寛』、菊池寛『俊寛』、などがある。

詩編 137:  1
「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた。」

 


燈台

2008-07-13 12:02:39 | 地理

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友人が「あざみの燈台」という詩を作り、もう一人の友人*がそれに曲を作ってコーラスの仲間で舞台に上って歌った。

Dsc00757 詩に出てくる燈台は1.上嘉鉄 シツル崎 2.小野津 トンビ崎 3.湾 ハイキ崎の三つである。 

今日はその詩を作った友人に誘われて、喜界島の南端にあるシツル崎と最北端にあるトンビ崎の燈台を訪ねた。

いずれも僕にとっては、喜界へ来て始めて見る燈台である。今まで何度か探したが、見つけることはできなかった。

上の写真がシツル崎の燈台で、3秒点灯し3秒暗くなる。光の強さは13万カンデラ、27km沖合いまで届く。

下の写真がトンビ崎の燈台で南九州で3番目に光が強い。5秒に1回光る。光の強さは90万カンデラ、33km沖合いまで届く。奄美から船に乗って最初に見えたのがこの燈台だったのだ。

いずれの燈台も全自動で、燈台守はいなかった。

(自動車のライト片方で約15,000カンデラ)

*もう一人の友人とは喜界島出身の長島稔さん。彼は第四回奄美歌謡選手権大会で自作の「日食」を歌い見事最優秀賞に輝いている。


詩編119:105 「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。」


すいか

2008-07-11 21:22:07 | 植物

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庭でカラスが騒いでいるので、何事かと思い外に出てみると、丹精こめて育てた小玉すいかの前で、カラスが5羽品定めをしていた。

急いでカラスを追い払い、大きいスイカを2個収穫した。カラスに食べ頃を教えてもらった。 この すいか は19日にキャンプのために集まる奄美大島と喜界島のこどもたちのデザートにと育てたのだ、冷蔵庫にしまって取っておこう。

畑の中には、もう2個のすいかが隠れている。熟れ具合を見計らって、カラスより先に収穫しないと、カラスに食べられてしまう。さあ、カラスと競争だ。

そんな日の夕方、スーパーに買い物に行くついでに、スギラビーチで夕日を見て来た。もうすっかり夏の海、夏の雲だ。今日の日没は19:22分。

詩編 147: 9 「獣や、烏のたぐいが求めて鳴けば、食べ物をお与えになる。」

     

  


オオゴマダラ

2008-07-08 22:22:12 | 動物

Dsc00703 「8日夕方、沖縄本島近海を震源とする地震があり、鹿児島県奄美南部の与論町で震度5弱の揺れを観測しました。」とNHKで放送された。

Dsc00705本土(内地とも言う)の友人・親戚から、心配して電話、メールが来た。全く気が付かないほど、揺れがなかった。

過去、「阪神淡路大震災の後、喜界島で大きな地震があった。」 Dsc00709_3 島の人が話していた。その時大きな揺れで津波を心配して皆高い所に避難したが、何事も無かったそうだ。

お墓の骨壷が割れる被害はあったそうだ。大都会ほど壊れる物が無いので、被害が少なかったのだろう。

でも、毎年2mm隆起している喜界島だ、ストレスがたまり大きな地震が起きるかも知れない、注意するに越したことはない。「備えあれば憂い無し」。

そんな時のんびりと「オオゴマダラ」が近くに来たので近づいてシャッターを切った。

イザヤ  29:  6
「万軍の主によってお前は顧みられる。雷鳴、
地震、大音響と共に、つむじ風、嵐、焼き尽くす炎のうちに。」


ハマユウ

2008-07-06 23:35:41 | 植物

Dsc00697Dsc00719Dsc00701 喜界島教会の庭から見た午前五時半の燃えるような朝日、入道雲が出来初めている。

百の台の展望台から見たら、太平洋の水平線から昇る朝日はもっと雄大だろう。いつか早起きして見てみたい。

次は荒木・中里遊歩道の休憩所からみた海岸の海と雲、東シナ海上25km離れた、水平線に奄美大島がかすかに見える。

教会に戻って、庭のハマユウに目を奪われ、思わずシャッターを切った。梅雨が明けた頃に、島のいたる所に白い花を咲かせている。教会の庭にも十二三本のハマユウが植えてあるが、花が咲いたのはこの株だけで後はこれから咲くのかな。     


詩編 78: 14 「昼は雲をもって、夜は燃え続ける火の光をもって彼らを導かれた。」
      


初物

2008-07-03 16:01:25 | 植物

 Dsc00675                 Dsc00678_2   喜界島へ来て5月の連休明けに植えたはじめてのナスの苗がすくすく育って、初物3本を収穫した。一本は種類が違うようで、少し長くなった。

「親の忠告とナスの花には無駄がない。」と母が言っていた。

ほんとうに花が咲いたら無駄なくちゃんと実になった。

いくつか花が咲いているがまた実になることだろう、水をやるのが楽しみだ。

初物は主に捧げなければならないかな?

出エジプト記13:  2
「すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである。」


梅雨明け

2008-07-02 15:05:33 | 植物

Dsc00691 Dsc00693 Dsc00694      「オオハマボウ」(大浜朴)、喜界島では「ユウナ」と言う、島の92歳のおばちゃんの話では、この花が咲くと梅雨は終わるそうだ。

昔は海岸に群生していたそうだが、今はめっきり少なくなった。

なるほど、庭のオオハマボウは今日が満開。

気象庁の発表で今日、奄美地方は梅雨明け宣言。これからが夏本番。

朝早く黄色い花が開いて、夕方には色が濃くなり橙色に近くなって、

一日で全部散ってしまう。

小さな蕾がたくさんあるので、今月一杯は楽しめそうだ。

この木の根元にオオゴマダラの幼虫が好きなホウライカガミ(蓬莱鏡)を植えた。

来年の今頃は、金のサナギが鈴なりになることだろう。

詩編 84: 11 「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。

        主に逆らう者の天幕で長らえるよりは、

        わたしの神の家の門口に立っているのを選びます。」