八日目(1月15日)はチビタベッキアの日本26聖人殉教者教会巡礼、後ローマ空港へ
この教会には、日本人画家、長谷川路可が祭壇壁面一杯に描いた日本26聖人殉教者の壁画がある。祭壇の左側の壁面に自画像が小さく残されていた。
1597年2月5日朝、長崎の西坂の丘で彼らは神を賛美しつつ十字架につけられ、その霊魂を神にゆだねた。パウロ三木神父は「私たちは無罪でありながら殺されますが、決して誰もうらみません。」と説教して帰天した。
日本では2月5日が26聖人殉教者の祝日。
ミサも同じ教会で与った。
〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕 (ルカ 23:34)
七日目(1月14日)はローマ教皇(パパ)様の一般謁見に参加、謁見後郊外の聖パウロ教会巡礼
約6,000人は入ることのできる一般謁見ホールに朝10時前に入った。我々の席からはパパ様の座る椅子はかなり小さく見える。11時頃、ホールの左前方からパパ様が姿を見せると、会場は大きな拍手と大歓声。案内係が、会場に来ている各国の巡礼者を次々と紹介し、パパ様がそれぞれの国の言語でメッセージを読み上げた。
残念ながら、アジアの国々(インド、韓国、日本など)は紹介されなかった。
バチカン放送のURLをクリックして見てください。
http://www.radiovaticana.org/gia/index.asp
ミサは郊外の聖パウロ教会で与った。
「わたしは彼の肩に、ダビデの家の鍵を置く。彼が開けば、閉じる者はなく、彼が閉じれば、開く者はないであろう。」 (イザヤ 22:22)
(一枚目の写真は、バチカン内にあるパパ様専用列車のバチカン駅)
聖域リボトルト、フランシスコ達12人の兄弟が教皇の許可を得て定着した所、当時の“あばらや”が聖堂内に保存されている。
“あばらや”の周囲には、クリスマスのため、小さな町の模型がまるで小人の国のように飾られていた。
小さな、小さな 幼子イエス なんと微笑ましいことか。
今日のミサはサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会で与った。
「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。」 (マタイ 2:9)