じゅんやの喜界島便り

カトリック信仰による救いと癒しを発信

奄美のカトリック教会14

2009-11-30 11:22:05 | 建築

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カトリック西仲勝(にしなかがち)教会(アシジの聖フランシスコ)

 カトリック古田町教会の巡回教会

1949年(s.24)、オーバン神父がはじめて福音宣教を行う。1950年(s.25)、最初の信者5名が誕生、翌年27名が受洗。

1951年(s.26)、カプチン会により聖堂が完成、「アシジの聖フランシスコ」を保護者に献堂。 (『奄美100年』から一部抜粋)

隣には「ショファイユの幼きイエズス修道会」の西仲勝修道院がある。ハンセン氏病の両親から生まれた未感染児を養育する「天使園」で働いたのもこの修道会である。  (古田町小教区創立記念誌から一部抜粋)

 「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。」 (ルカ  5:13)


駅伝

2009-11-23 19:13:31 | 島の行事

Dsc05193 Dsc05195_3 第44回島内一周駅伝大会

22日は恒例の喜界島一周33.16㎞の駅伝大会が開かれた。残念ながら午後1時のスタートと選手が走っている様子は見られなかったが、スタート前の喜界町役場前を写した。

14チーム、210名の参加、3区間で大会新記録が出た。

「あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。」 (ヨシア  6:3) 


ウヤンコー(高祖祭)

2009-11-15 10:15:02 | 島の行事

Dsc05146_2 Dsc05150 お墓参りの総決算

 喜界島、湾集落では、旧暦の1日、15日には必ずお墓参りに行く。その総まとめが今年は新暦11月13日のウヤンコー(高祖祭)であるため、お盆には帰省しない人もこの日には帰省して先祖の墓参りをする。

 昔は、お墓の前に沢山のご馳走を並べて、一族で食事をしたそうだが、現在は簡素化されて、少しのお菓子と果物を供えて、お互いに近くのお墓全部に線香を供えて廻る。時間もお互いに決めて、午後1時から2時の間としている。

 13日の夜は一族が集まって楽しい食事会となる。当日前後の空路はすべて満席。今日から小さな喜界空港は帰島する客と送る人で一杯になるだろう。

 「 その畑とそこの洞穴は、こうして、ヘトの人々からアブラハムが買い取り、墓地として所有することになった。」 (創世記  23:20)

 

 


直行便

2009-11-11 21:44:14 | 交通

Dsc05122 Dsc05133 Dsc05140 会議のため鹿児島へ

一枚目:喜界島⇒鹿児島、屋久島上空、二枚目:溝辺のマリア山荘聖堂、三枚目:鹿児島⇒喜界島、着陸10分前の雲海。 鹿児島⇔喜界島は、貴重な一日二便。

 鹿児島教区で働いている司祭・助祭が一堂に集まって年に6回の会議がある。

 「 それ以外のことで更に要求があるなら、正式な会議で解決してもらうべきである。」 (使徒言行録 19:39)

 


古宇利島

2009-11-06 21:03:46 | 地理

Dsc05034 沖縄の小さな離島

 11月2日、葬儀のため沖縄へ飛んだ。喜界島⇒奄美:7分、待ち時間2時間30分、奄美⇒沖縄約1時間、乗客3名。帰路は奄美での待ち時間が約4時間。奄美、沖縄間は過去に廃止も検討された一日一便、とても乗り継ぎは悪いが貴重な路線。

 沖縄の西部に喜界島の約5分の1程の小さな丸い島が見えた。古宇利(こうり)島には対岸と無料で渡れる日本一長い全長1,960mの橋が2005年2月に開通し島の住民に喜ばれている。この橋は沖縄県道247号線の一部。

 「神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。」 (詩編1:6) 


喜界島からプロ野球選手

2009-11-01 20:49:32 | スポーツ

喜界島からプロ野球選手が誕生した。

美沢 将(みさわ まさる)選手、西武ライオンズから2位指名を受け決定。

喜界島上嘉鉄(かみかてつ)出身、上嘉鉄小学校卒、喜界第二中学校卒、喜界高校卒(野球部)、現在鹿児島第一工業大学4年生。

高橋英樹選手(元広島東洋カープ)に続く喜界島では二人目のプロ野球選手。

「僕ダビデを選び、羊のおりから彼を取り」 (詩編78:70)