ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

どうしてMBAに通うことにしたのか IT化の功罪 修士論文予定

2004年10月23日 | MBA(経営学夜間大学院生の日記)
修士論文の背景です。MBAを取ろうと思った動機のひとつに社会学的にIT化論をやりたかったということがあります。
本当に情報化って人を幸福にするのか?とずっと悩んでいました。
やっぱりいい仕事をするには、そうした悩みはすっきりしないといけないと思い、社会学を学べそうなMBAに通うことになりました。だから、IT化は素晴らしい!!といいそうな早稲田とかはあわなさそうですし、結局今の大学院に落ち着きました。

研究の背景としては次のようなものです。去年だした研究計画書の前半部分です。
長文ですし、僕の日記的備忘録なので、お時間が有り余っている方だけ読んでください。

研究テーマ
「生活空間の情報化に伴う質的変化と価値の創造について ――― 生活者の視点を起点にした情報化の評価」
本研究の到達点として、情報化が各自の生活に及ぼした影響、および将来及ぼすであろう影響について、個々の生活者の観点を尺度にして検討を行い、情報化社会の質的向上に貢献しうる分析を行うことである。

研究の背景
従来情報化については、社会学的な観点からのコミュニティー論や民主主義的な公共論(参照)や経済学的な情報化のもたらす経済効果(参照)また、経営における情報化投資などとして多くの研究がなされてきた。
一方、政策としても情報化は重要な課題であり、e-JAPAN計画などとして、具体的な数値目標を持った政策となっている。
また、政策としての情報化は例えば白書の中で
「本白書の特集テーマは、『日本発の新IT社会を目指して』である。我が国の情報通信の現状をデータに基づき分析することにより、今後、我が国が目指すべき新IT社会の方向性を探ることをねらいとしている。新IT社会像は、我が国の目標であると同時に我が国が世界に対して発信していくIT社会像でもある。」(平成15年情報通信白書)」
とあるが、内容はマクロ的な数値目標としての経済発展などに主眼が置かれている。
しかし、情報化の推進のためには、個々人の生活や欲求、価値観に即した各自にとって魅力ある社会だという思いが必要であり、そのためトップダウン的な情報化のみでは十分な効果を得られないと思われる、未来像へのコンセンサスを作り上げる試みが必要であると言える。
本研究はそうしたトップダウン的な情報化のあり方とは別に、ボトムアップ的な情報化を提案し、また、情報化に共感しない人々に着目することで、現在の情報化や、それに類するサービスや商品が満たしていない価値を探るという、真に意味のある情報化に対して貢献できるものと考えている。

研究の動機
 90年代半ばから後半にかけては
「情報化社会とは社会的弱者やハンディキャップのある人たちへの社会参加の機会を与えることができる社会だ」という捉え方があったが、ITバブルなどを経て、不況下での企業間の競争が増す中で、競争力の源泉としての情報化に重点がおかれるようになった。
 しかし、私は情報化やユビキタスコンピューティングがユニバーサル社会を目指す形の一つだという思いを持ち続けている。一方、「情報化は本当に人の幸福に貢献できるのか?」
と言う疑問を捨てきれずにいる。たとえて言うなら、
「おばあちゃんが膝の上にノートパソコンを乗せてネットワークを駆使する世の中よりも、膝の上に猫や孫を乗せている方が良い社会ではないのか?」
という類の疑問である。
私は、そうした自分の疑問、「情報化は真に世の中に貢献できるものなのか?また、情報化とはそもそも何なのか?という疑問に対して、社会科学系の学問を通じて考察していきたいと考えている。
そして可能であれば、誰も切り捨てることなく、新しい社会に迎える方策についての提言まで研究を進めたいと考えている。

本研究の意義、背景
  現在、日本のブロードバンドは世界最安値だと言われているが、2000年当時は月々5000円を割れば一気にクリティカルポイントを超えるという見方が広くなされていた。しかし、現実には想定価格を下回る額でサービス提供されるようになったにも関わらずe-JAPAN計画で見込んだ当初の計画を達成できていない。
 これは価格要因以外に普及の阻害要因となっているものがあると考えることができる。個人個人が、政府などの思い描いたシナリオ通りに生活様式を変えていかない理由を、各自の生活者の観点に立ち戻って考えることにより、あらたな市場拡大の可能性を探すこととができると考えている。

ちょっと疲れた人の壊れた日記 

2004年10月22日 | 徒然なるまま(日々雑事)
最近小難しい話ばかりblogに書いていたので、さらっとした話。
というか、つれづれなる日記。

本屋に帰りによった。ハーバードの贈り物という本を買った。
MBAの最終講義集だが、とても良さそうな感じ。

就職ジャーナルを立ち読みした。なんか、あんな風に書いたら、そりゃ学生もビビルわな。と思った。
就職が怖い 学生や 一歩踏み出せない 学生が増えるのも無理がないと思った。
ちょっと調子に乗って煽りすぎだと思う。

そんな風にゆっくり過ごしたツケがまわって、ただいま大学のレポート作成中@ちょっと眠い
内容はそんなに難しくない。問題は明日までのレポートが二つあることである。

しかし、ちょっと最近、お疲れだなぁ・・・
実家にいるときも人との約束いれないようにしていたし。
疲労が貯まったというよりも、エネルギーの補給がないだけのような気もする。
基本的に燃費が悪い生活をしているような気がする。食事的にも精神的にも。
大量のエネルギーを投入しないと、パフォーマンスがでないんです。
特に遊びが足りないと、もうダメです。
アジア旅行も半年に一度はしないとエネルギーが切れます。

今はいい季節だし、のんびりと鎌倉あたりに散歩にいきたいなぁ。
秋だとお茶を入れてくれるところもあるのではないだろうか?

もしくはドライブも良いかも。誰か誘うか、二人で行くか4人で行くか。
せっかくのレガシーだし、4人乗りが良い気もする。
(我こそはという女史で助手席希望者は立候補されたし。)

そういえば、今週は職場も壊れ気味の人が多かった気がする。
来週はどうにかせねばなるまい。
とりあえず、明日は海外旅行好きのもちよりパーティーだ。
僕は台湾で買い求めた高級凍頂烏龍茶を持参予定
(たぶん、日本で買うと100グラム4000円~5000円いくと思う)

さてと頑張るかな。

ソーシャルネットワーク SN

2004年10月21日 | IT・情報化・コンサルティング
久しぶりにorkutに行って来ました。
最近はすっかり最近はアクセスしていませんでした。

やっぱり英語圏の人とソーシャルネットワークするって結構大変な気がするのと英語でプロフィール書いたりするのが面倒だったりとで、自分にはダメでした。

日本語で参加できるところないかなぁと思ったら、
Gree(グリー)やmixi(ミクシィ)やUUMEというのがあるようです。

もしよければ誰か招待してくれませんか?
(ちょっと自分のつてもたどってみよっと。 主にorkut系)


イスラエルの横暴

2004年10月21日 | 政治・経済・社会現象
イスラエル軍「倫理上問題なし」パレスチナ少女銃殺事件 で、13歳の少女を20発の銃弾で銃殺した事件は「倫理上問題なし」だそうです。

ユダヤ人がパレスチナ少女を虐殺しても倫理上問題が無いなら、アウシュビッツでユダヤ人が同じ事をされても、問題が無いとユダヤ人は考えるんですかね?


ユダヤ人は人を殺すか、自分たちが殺されるかしかでしか近現代史に登場できないのでしょうか?
だとしたらあまりに悲しすぎる民族の歴史です。
しかし、それを良しとしないイスラエル人も多くいて建設的な未来志向を持っているようです。
そういう人たちには頑張って欲しいですが、結局、世界からテロがなくならない最大の理由はアメリカの横暴と、イスラエルの横暴なんですよね・・・・

ユダヤ人に殺されても、犯人は罪にも問われないこの世界で、世界のために涙せよ。

支店時代の友人

2004年10月21日 | 徒然なるまま(日々雑事)
今日は支店時代の友人が研修で来ていたので、新宿で待ち合わせて飲みました。
電車が止まるかと不安視されるなかで、なんとか店を見つけて、天狗で飲んでいました。

彼はとても頑張っているようでした。
 僕ら数名が一気に転勤してから、職場のスキルレベルが一気に下がったり、牽引力がなくなったりと結構悶々としている時期もあったようですが、彼は今、自分の立ち位置を見つけて、そのフィールドで成長していくことに決めてからは、仕事も順調だし、何より精神的にもいい感じのようです。
 月曜日に立ち寄ってきた支店は、伝え聞くモスクワ市をイメージするように、霧かかったドヨーーンとした雰囲気になっていましたが、彼はそれなりに、元気そうでした。
 また、僕が残してきた、人事的な報酬制度や技術者用の図書館の整備なども、いまでも機能しているようで、いい仕事してきたな、とちょっと得意な気分でした。

 彼が僕に行ってくれるには、同じ作業をしているのに意識の高い仕事をしているのが、売り上げやお客からの信頼に繋がっているってのが良くわかって、まわりへの良い影響になっていたようです。
「5時半には帰って合コンにいっていたのに、意識が違うとああも違うんだって、電話応対を聞いていても違うなって凄く勉強になった」そうです。

 僕の当時の仕事の根底にあったのは、自分の名が残る仕事として、自分の名を恥じることはないのか?
という意識でしたが、それは僕の座右の一つである、ドラッカーの「プロフェッショナルの条件」を読んだことに大きく寄っています。(勤める会社は簡単に変えられるが、そこでした仕事は一生自分の仕事として成果も失敗も、妥協や未熟さも全て背負っていくものだという意識がありました)
 やはり、あの書を読まなければ、営業経験がないなかで、並みの営業マンの数倍の成果を出すことはなかったでしょうし、様々な支店での仕事がなければ、育成目標をクリアーしたとして、今のポジションに付くこともなかったでしょうから、あの書はまさに僕にとっての宝です。

 まぁ、支店時代は暇なのと、ネタが多かったので合コンなども多かったのですが、他の連中の一部は休憩室で「昨日の合コンの子とヤッた」などと仕事もせずに話していたのですが、なんか、そういう感じで、すごーーくダメな職場でした。
 職場の中堅に「SEが職場で話す内容が、技術やビジネスの話でなくて、女やレジャーの話だから、ここの職場のレベルはダメなんだよ」と怒っていたら、さすがに先輩がなだめておりましたがやっぱり今でもそう思うなぁ。
職場ではプロ意識持ってもっと切磋琢磨しろよと。思うわけです。
(それをあまりとやかくはいいたくないが、それを職場でペラペラ話す軽薄さが耐えられなかったのです。プロ意識の欠落にしか見えない・・・)

で、そういう女を食って自慢話という連中とつるむと、自分の人生にとって大事な哲学としての高尚さや、美意識、人間関係そのものへの敬意が、自分から垂れ流されていきそうで結構、はぁでした。というか、そういうのがいる職場にいること自体が屈辱的でした。昔から価値観や美意識の合わない人間とはつきあいたくない自分にとっては、かなりストレスのたまる職場で、親も会社を辞めてもいいんじゃないか?というほどでした。

でも、今日あった彼は、結構派手にモテたようですが、そういうつまらなさが見えない男だったし、入社以来からのいい付き合いです。
バカばっかとここで散々書いたけど、彼らまで一緒にしてきたのはちょっと反省

彼とは固い握手をして別れました。とても強い握手をする男なので、きっと彼はビックになると思います。


そのあと、家に帰ってきて、うつの子の休業がいったん切れるので相談に乗っていました。
前回の相談に応えたことは、とても彼女にとって役立ったようで、今回も彼女の相談には
僕なりに良い返答ができたと思いますが、明日の彼女が職場に電話をして、今後の休業や
シフト変更がどうなるかは僕の力の範囲ではないので、自分で切り開いていくしかないでしょう。

僕の今日の答えにかなりご満足だったようで、「すごい」とか「かっこいい」とか「ありがとう!!」といろいろと感激しまくっていましたが、下心のありそうな僕の言葉にそんなに安易に感動していると、悪い人に騙されそうで、お兄さんはちょっと心配です。

SEの育成

2004年10月19日 | IT・情報化・コンサルティング
こころのあしあと さんにコメントをいただいていたのをベースにblogを書きます。

こころのあしあとさん曰く

>社員を研修させる暇も余力もなく、安月給でこき
>使わざる得ない状況になります

な状態な企業に勤めている私とては、
そうなんだよー。(T_T)
てな状態です。

ここまで落ちると、後は登るだけなので、日々
馬場さんの教えを実践して、一刻も早く脱出しな
きゃなぁ。。。

とおっしゃっていたコメントへの返事+猫の放言です。

馬場さんはIBMで人材育成に携わっていらっしゃったスーパーSEの方です。
(馬場さんをご存じない方はクリックして先に馬場さんのバックヤードを読んでみて下さい)

馬場さんのような凄い方であったり、エクセレントカンパニーと呼ばれる(た)IBMであっても、SEの教育というのはいかに大変で、教育コストや本人の努力、上司や会社の注意や忍耐が必要なのだということが良く分かります。

こころのあしあとさんが、一刻も早く、今のスキルアップのコストや時間を負担できない会社から脱出なさることを祈っていますが、実際に、そういうスキルアップの舞台にならない企業は非常に多いように思います。(転職理由としてそういう内容が多いようですし)

きっといろんな会社は新入社員を採用するときに
「研修も充実していますし、文系の方でも大丈夫ですよ」
とおっしゃっていると思います。
しかし、今の状況を見るに、そんなことを実現している企業はそんなに多くないでしょう。
また、適正はともかく採用という企業はITバブルの頃は、レベルの低い仕事を安価に受けることを主な生業にしたりしていました。

もし本当に研修が充実しているなら、どうしてわが国の政府はエンジニアの育成に、力を入れなければいけない状況になったり、業界でスキル不足が叫ばれたりするのでしょうか?

きっと研修がしっかりしているという人か、経済産業省か、スキルが足りないと思う顧客や業界関係者の誰かがウソをついているんですね。(問一 嘘つきは誰でしょう? 配点10点)

また
「SEとして即戦力で活躍してもらいたい」
とかも言うかもしれません。

しかし、IBMのような企業が選別した新卒でも最初から軌道にのるわけでもないのに
そういうことを平気で言う企業の「一人前」ってどんなレベルなんでしょう?
吉野家で牛丼作るのも「料理人」というなら、一年目がやる仕事も「SE」でいいかもしれない。

けど、僕はSEという仕事は、やはりもっとプロフェッショナルとしての重みがある言葉であると思うし、そうであって欲しいと思う。

しかし、僕が以前いた支店では、まさに
「牛丼を盛り付けていて「料理人だぞ、<(`^´)>エッヘン!!」とやっているような
取るに足りない普通のオペレーションを「スキル」と呼んでいたり、
「ソフトウェア開発技術者」すら受からないようなスキルで「上流工程SE」と言っていたり。
もちろん、新卒段階で資格を持っている必要は無いのですが、3年程度でそのレベルに達しないなら、適正不足か、努力不測か、会社との相性を疑うべきでは?と思ってしまいます。

一応、名の通った企業なので、採用されている人の頭はいいので、そういう低いスキルなども含めて言い訳は上手なんですよね。
そういうレベルの低いところで即戦力で満足なら、それもまたひとつかもしれませんが・・
でも、研修制度は整備されているんですよね。
足りないのは、優秀で厳しい先輩と、実戦の場、相対的に高い能力を持つものへの組織からの敬意、そして、各自のプロフェッショナルとしての高い倫理観や誇り、高い目標などです。
(これは経営学の大家のミンツバーグが
「(MBAの)教室でマネージャーは養成できない」
とする立場と同じ根っこの問題意識だと思います)

もし優秀な人材を集めたとしても、たかだか2,3年で身につく技術をもって「一人前」
だといっているなら、ずいぶんと底の浅い、表面をひっかいたような仕事だなぁと思います。

一人前の職人さんや漁師になるには10年かかるというのに、SEは新卒が即戦力ですか?
はぁ・・・

馬場さんは、そういう安直な感じを戒めてくださる方ですし、企業として人を育てていくことの長期的スパンの必要性や、その難しさなどを書かれています。

また顧客との折衝の難しさや奥深さなども書かれています。

ご興味のある方は、ぜひともご一読ください。
あぁ、こういう仕事をしたいな。とプロフェッショナルに思わせるだけの内容を書かれていると思います。

補足:
たいした人材育成もできないくせに「研修完備」とかいう人事は人として恥を知りなさい。
そういう所作は、いまや貴重なリソースである優秀な若者の無駄遣いであり亡国的です。
馬場さんのようなスーパーSEやIBMであっても、人材育成に悩んでおられるのに、たかだかと称される企業の癖に、大風呂敷を広げるという企業が多すぎ。
このような研修制度がありますとかいわずに、3年でこういうレベルに達していますと実績ベースで話をしましょうよ。>人事、新卒相手のセミナー担当者

日本のトッププログラマーはレベルが高い

2004年10月19日 | IT・情報化・コンサルティング
前回書いたIT業界におけるヒエラルキーで書いたblogの記事に誤解があったかもしれませんが、私は日本のトップクラスのプログラマーは世界的にも高いレベルだと思います。
たとえば、KAMEプロジェクトUSAGIプロジェクトでFreeUNIXのIPv6実装を牽引してきたわけですし、TRONなども日本発の組み込み系OSとして世界を制する可能性もあります。

では、なぜ日本でIT産業が健全に発展していないと私が考えるかというと、とにかく層が薄いのです。また、三流がプロフェッショナルの顔をできるのもこの業界の特徴です。
 日本のITが冴えないように見えるのは、このようなトップ集団のプロジェクトは高いレベルであっても、通常の開発業務に投入されるプログラマーやSEのレベルが低いからという点につきると思います。

ソフトに関しては二つの観点で考えたいと思います。
ひとつは特定顧客のために開発されるソフト。ひとつはパッケージソフトです。

前者の開発プロジェクトでは、フリーソフトなどでも日本語ソフトで十分に品質も使い勝手も問題ないように、日本人のプログラム開発は、問題ないと思うのですが、それがいざ会社の業務となると、前回のblogに書いたような状況で、口だけ達者て技術の知識の乏しい「上流工程」が無茶な絵を放言してきたことを「IT土方」と揶揄される現場のSEやプログラマーなどの開発者が穴埋めするという異常な構図があります。
 また、そのような状況では、仕上がってくるコードのクオリティーも低いものとならざるえず、プロの仕事とはいえないようになってしまいます。
 そういう状況では、開発者も自らの誇りに自身を持てなくなり、仕事へのモチベーションもどんどん低下します。(もちろん国内系ITコンサルなどには、現場と一緒に汗を流してくれるコンサルもいます。)

またパッケージソフトでは、一太郎なども良いソフトだったのですが、マイクロソフトの卑怯な価格攻勢でつぶされてしまいました。一太郎全盛の当時、マイクロソフトは乗り換えキャンペーンと称してOfficeを一万円程度で販売していましたが、一太郎が脱落してからはそれを数万円にあげています。(私もOffice4.3Jを一万円程度で購入した記憶があります。)
 TRONに関しても当時は日本発OSでいいところまでいけそうだったのですが、アメリカの外圧やそれに便乗してソフトバンクのソフトビジネスで設けたい孫正義らの。TRON潰しで、パソコン用OSとしては日の目を見ることはありませんでした。(孫という男は、儲けはうまいが、日本の情報産業の健全な発展などは興味が無いのでは?)
 このようにアメリカ政府とソフト産業でタッグを組んで日本のパッケージソフトもアメリカにつぶされたと私は見ています。今でもアメリカはマイクロソフトの利権を守るような外交をしますし、あながち穿った見方ではないと思います。

 ただし、日本のパッケージでいうと、ゲームソフトの一部は強いですね。
 また携帯電話に入っているソフトも日本の物は優れていると思います。
(高度な機能を持っていて、信頼性も高いのですが、マーケティング的にはNOKIAやサムソンに負けてしまっていますが。)

 以上を踏まえて、私が主張したいのは、優秀な人材が存分に活躍できる場がソフト産業では乏しいのではないか?ということです。
 前述したKAMEやUSAGIにしてもTRONにしても、フリーソフトウェア作者にしても、何を開発するかという意思決定は全て本人たちの手にあったことが成功の要因だと思います。
 携帯やゲーム機にしても開発規模的にはプログラマーが開発の意思決定に参加することは可能なレベルだろうし、自社内の開発であれば、意思疎通はそんなに悪くないだろうと思います。
 

 特定顧客向けソフトの開発では、本来ソフトウェアの開発自身はとても創造的だと思いますが、意思決定を上流工程に取られてしまったIT土方状態では、創造性が発揮されることはめったにありません。・・・・ ということで、やはり
「ITコンサルが日本の情報化をダメにしている。」という猫のお決まりの結論に落ちついちゃんですよね。
 だいたい、ITコンサル(の一部)が出すアウトプットは、無茶で非合理的な設計なのに派手な飲み会や派手な女遊びをしていて、実際にもの作りに携わる人々は徹夜で会社に泊まりこみ、しかも薄給だという状況で、地方のソフトハウスのエンジニアは何を希望にソフトウェア書けと言うのでしょう?
 社会的な仕組みの中でソフト産業をあれだけ買い叩いておいて、だれがプログラマーの育成や成長のためのコストとリスクを取れるのでしょう?

 実際に手を動かしてものを作り出す人が一番偉いんだという、日本人が今の繁栄を築いたベースにある考えを、アメリカナイズされているIT業界でも再度取り戻したいと思います。
 そういうことを論理的に主張できるようになるためにもMBAでしっかり学びたいと思います。
上流下流といわずに左右にすればいいとおっしゃる方がいて、そうだよなぁって思います。どっちが偉いって話じゃないんですよね。

大学院で習ったアーキテクチャー論で見ると、メインフレーム系とオープン系ではまた少し違ったソフト産業の見方もできそうなので、このblogに反響があれば、次回(あるのか?)書いてみたいと思います。

コンサルを志望なさる方や、コンサルの方、また思うことがある方などからの骨太の反論をいただければと思います。

伊勢神宮に行ってきました

2004年10月18日 | 徒然なるまま(日々雑事)
昨日から帰省をしています。

今日は伊勢神宮に車で母親と行ってきました。
最近、仕事も学業も絶好調で、少々慢心気味なので、足元をすくわれないように
ちゃんと頭を下げに行くことにしようと昨日決めました。
それに何かモヤモヤした感じがあって、あまり良くない気がしていたのもあります。


今日は祭事があったようで非常に混んでいました。
本宮で参拝をしたのですが、どうもモヤモヤが晴れなくて、ご祈祷をしていただきました。
特にお願いしたいこともなかったので、「神恩感謝」が良いといわれてそのようにしました。
神様の恩愛に感謝して、もっと恩愛を頂戴できるようにとの御祈祷だそうです。

一番安い初穂料なので、当然他の方と一緒の御祈祷でした。
数組の方と一緒にご祈祷をしていただきました。
横にいらっしゃった女性は非常に慣れた感じで、作法も完璧でした。
# 結婚するならああいう方がいいな。
祝詞などを奏していただいて、無事に終わると、とてもスッキリしていました。
母親に、すごくすっきりした!!と何度も繰り返して無邪気に喜んでいました。
すごくさっぱりして行った甲斐がありました。

帰ってきてからは馴染みの有名な薬膳ラーメン屋に行ってきました。
名古屋に帰るとこれを食べないと、帰った気がしません。
電話をしてとっておいてもらったのですが、閉店前にラーメンが無くなって何組もお客さんが断られていました。
# 高校の頃からのつきあいなので、そういうお願いができるのです

そんな感じで明日は、昔の職場の名古屋支店に顔を出して帰ります。
品川でやっているカンファレンスに顔をだして明日の仕事は完了予定にしています。

補足
コメントなどいただいている方には明日ぐらいにお返事書きたいと思いますのでしばらくお待ちください。

IT業界におけるヒエラルキー プログラマー、SE,ITコンサル

2004年10月16日 | IT・情報化・コンサルティング
IT業界におけるヒエラルキーとその弊害について書きたいと思います。
ビール飲みながらなので、おかしな点などコメント下さい。

IT業界で働いているのと、MBAの授業でヒューマンリソースマネージメント(以下HRM)で日本における情報技術者の育成がうまくいかない理由 というお題目でレポート書いたので、それがベースです。
(ベースの方はワードで10ページほどなので、ここに書くには長すぎますが)

問題意識としては、どうして、日本では、アメリカやインドやイスラエルや北欧のようなソフトウェア開発力がつかないのか?という疑問です。
また、以前は日本でもエンタープライズ系のシステムを組むとアメリカよりも生産性が高いといわれていましたが、昨今の状況をみるとどうもそれも崩れてきているようです。

まず、背景としてこの業界の状況を眺めたいと思います。
システム構築に関してはヒエラルキーがあります。
お客に近いところほど意思決定に携わることが多くなります。
意思決定がモチベーションに大きく影響しているとくのはHRMでもよく論議されることですし、
それによって自分の仕事への誇りや、向上心が生まれます。
また、意思決定に携われないと、仕事をさせられていると感じたり、仕事内容に不満を持つ傾向がでてきます。

どのようなシステムを作るかという意思決定をするのは、ITコン猿がいる場合は、彼らの仕事になります。
それをSEが仕様化して、最後のPGがコーディングするのが大まかな流れです。
もし、ISO的なソフトウェア品質管理がなされているのであれば、PGとは別のチームがコードの品質管理を行います(テスト等)

この場合、一番技術力が不足しているITコン猿がシステムの提案を行うために、一ステム全体の設計思想がおかしくなったり、実現が極めて困難な提案を行ったりということも多々おきます。
そうしたしわ寄せはPGなどの下流行程にいきます。

また、顧客から受け取る対価に関してもITコン猿が200万円/月 SEが100万円/月 プログラマーが50万円/月 だったりと、下流行程ほど対価が下がります。

実際、地方のソフトベンダーなどでは、一人当たり年に1ヶ月以上仕事に穴を開けると会社の経営が立ち行かなくなるほど単価を下げられているので、社員を研修させる暇も余力もなく、安月給でこき使わざる得ない状況になります。(月50万円って僕の年収/12ヶ月より安いかも・・・)

諸外国と異なり、プログラマーの地位が著しく低いのが日本の特徴です。
有名なUNIX系のソフト開発者が大学の教官でありながら、自分はプログラマーだと名乗るようなカルチャーとは大きく異なります。

また、プログラマやSEが建設的な提案をできないという問題もありますが、高額のフィーを取るコン猿が適切な設計をできないことが、現場での開発を困難にしており、優秀な人材が開発者として長く滞在しないという問題を生んでいます。
私はコンサルが適切な仕事をできるのであれば、月に200万円でも300万円でもいいと思うのですが(開発費の億近い額で中で占める割合はわずかです。)実際は、猿なみの仕事しかしない連中が多いので、開発者は苦労しているようです。
これは営業系SEも同罪で、知識のない連中が提案した内容で、開発者は苦労している話は事欠きません。

そのような背景やPGよりSEの方が聞こえがいいなどの理由から、プログラマーよりも高い単価になるSEを量産することとなり、実質はプログラマーだったりテスト要員だったりするような人までSEだと企業が紹介するので、SEという職種があふれることになります。

余談ですが、テストという大事な仕事を担う人も地位が低いんですよね。ここがある意味、要の一つなのですが。(ちなみにR&D部隊で商用化開発が始まると、コーディングはPGの仕事になるので、我々は品質管理やスケジュール管理といった管理業務でエンジニアとしてコードを書くことはなくなってしまうことが多いです。(自分より頭の悪い人の書いたコードレビューは苦痛なのですが・・・)

日本的製造業(トヨタ等)では生産現場が一番偉いのですが、IT産業はアメリカ的なカルチャーなのか口先三寸で仕事をするようなフロントが一番偉いのが特徴です。

ほんと、この業界はバカばっか(クソコード書くプログラマーも、自分の商材わかっていない営業やSEも、経営学的観点からちゃんと三文字単語を理解できずに、システムすらわからないコンサルも、ついでにビジネスにならない研究を好んでやる我々も)
優秀な人たちが築き上げた過去の栄光はどこへ・・・・・???

座右の書1

2004年10月16日 | 徒然なるまま(日々雑事)
座右の書の紹介です。
国家の論理と企業の論理―時代認識と未来構想を求めて

実はこの本はあとがきが非常に強烈に僕の人生観を形成してくれました。
もちろん本文も感動しながら読むほど素晴らしかったのですが、あとがきの一部抜粋です。

「10年間の米国滞在から帰国し、縁あって県立宮城大学と早稲田大学で客員教授として講座をもつこととなった。学生に語りかけてみて、改めてこの国の現状を知り、自分の時代認識と未来構想を再考する契機となった。ある意味では、この本はそうした学生たち、そして若いサラリーマンの後進たちの考えるヒントとして、私が語るべきことを集約したものともいえる。薄っぺらな時代認識や流行の議論に漂っている限り、決してあるべき未来はみえてこないこと。ジョークとナンセンスへの悪乗りだけで思考を収斂させる努力に欠ける青春が、とても何かを成熟・結実させるとは思えないこと。そのことを明確にするためにも、私の考察を体系的に語りたかった。
 私が北海道の高校生だったころ、少なからぬ影響を受けた教師がいた。彼は長期のシベリア抑留から帰った国語の教師で、決して親しみやすい人物ではなかったが、若者に媚びることのない超然とした存在感があった。生意気盛りで読書家を気取って教師に難解な質問をぶつけていた私に、ある時この教師がぼそぼそと語りかけた。『・・・・寺島、人間は悲しいほど弱いものだぞ。自分には知性も教養もあると自負していても、いざシベリアの収容所にいれられて将来に希望がもてなくなると、毎朝の食事のとき、アルマイトの食器に盛られた煮豆の量の多い少ないで、その日の吉凶を感じるようになるぞ。愁嘆場にきても微動だにしない知力を身につけるのは容易ではないぞ。・・・』。
 私は衝撃を受けた。サロンで知識を競い合うような教養人になってはならない。環境に動じない重心の低い知性とは何なのか。私は旧制高校生が読んで自らを鍛えたという書物を本気で読みはじめた。まずは河合栄治郎、天野貞祐、和辻哲郎、阿部次郎、亀井勝一郎、河上肇、西田幾太郎などが出発点だった。それからは社会科学の古典へと向かい、それぞれに思考の方向を定めるうえで影響を受けたが、結局は自分自身の体験軸でしか思考は収斂しないことを確認させられながら今日に至っている。
 サラリーマンが圧倒的な日常性のなかでものを考えることは容易ではない。それでも私は、よく高校時代に聞いた「シベリア収容所」の話を思い起こして自らを鼓舞し、執拗に時代の並走者の一人として思考を続けてきた。しかしながら、混迷する時代状況に懸命に目を凝らしながらも、時代を透徹する視座の構築の難しさを実感しているというのが本音である。
 したがって、若き後進たちにこの本がどのように受け止められるかは正直なところよくわからない。第一、私の書いたものは「難しい」という人がいる。睡眠薬代わりに枕元に置いてあるという人さえいる。しかし著者の不遜な思い入れとしては、それらの人は物事を考え抜く力、すなわち「脳力」の退化を嘆くべきである。世の中には簡単には理解できない難しいことがあるのだ。難しいことから眼をそらさず、真剣に考えることも大切である。(以下略)」

僕は寺島実朗氏のような「能力」の域にはまだまだ達していない。
しかし、表面をひっかいたような知識をひけらかすようなインテリにだけはなるまいと思っている。
重心の低い知性を身につけ、激しく流れる時代の中で自分の道を見つけられるようになりたい。
考え抜く力、それがもし多くの人にあったのであれば、ITバブルのような茶番も、イラク戦争のような不正義も、今の日本を取り巻く、自殺やニートなどの心の闇も、今よりは違ったものになっていたのではないかと思い、せめて自分は重心の低い知性を得られるよう鍛錬していきたいと思う。

まさに、僕にとってこの書のあとがきはインテリとして生きていこうとする自分にとっての座右の書です。

あぁ、寺島さんの講義受けてみたいな。うちのビジネススクールで呼べないかな。

そして就職活動中などで、自分の人生を真剣に悩んでいる方には、是非とも重心の低い時代認識を持っていただきたいと思います。