ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

インド人との対話 私の孫に向けて

2010年09月29日 | 政治・経済・社会現象
インド人がいる観光地にいると、インドの国内旅行をするような中間層の方に声をかけられることが多々ある。

自己紹介でも、大学生だったりアカデミックだったり日本との貿易をする会社を経営していたりと、インテリジェントな方が多い。

インドの人とが日本と違うなと思うのは、相手に「君が受けた教育は何?」とか当たり前のように、何人も聞いてくる。僕の場合は、大学院を文理も含めて異なる専門で、Phdとマスター二つ出ていると、たぶん世界的にも稀有な学歴ではあるので、普通に驚かれるが、その話をしたあとで聞かれるのは、「インドについてどう思うか?」「日本とインドについてどう思うか?」 ということが定型化された質問だった。

そこで僕が答えていたのは、
「僕は日本でチベットを支援するグループでボードメンバーをしている。だから、インドがチベット亡命者についてしてくれたことをすごく感謝している。そして僕はインドがそういうことをしてくれたのは、インド人が人権と民主主義を大切に思う気持ちをもつ人々だからだと考えている。今後中国の覇権主義が広がっていくだろうが、人権と民主主義を守るということで、インドと中国の経済的なパワーバランスを維持するためにインドの経済発展はとても重要だし、日本はその観点で、経済的な価値と民主主義、人権を共有していて、ともに大切なパートナーになれると思う」
と言っていました。

それは、率直な僕の思いでリップサービスでもないのですが、それを聞いたインドのインテリはとてもにこやかに満足そうに、日本と我々は友人だという趣旨のことをおっしゃっていました。

そして、いま、日本が沖縄で中国から受けている侵略というのは、まさにインドで僕が話してきたことが現実の問題として国民に突きつけられている話だと理解しています。

我々の中進国のパートナーは地下資源と、奴隷的労働をする人民をかかえた人道には反するが美味しいビジネスパートナーであるべきなのか?
それとも、民主主義と人権というものを社会のベースに置き、その価値を誇りたかく語り、先進国からきた博士のバックパッカーに堂々と語る国民なのか?

我々が問われているのは、金銭的な利益のために、人道や人権、民主主義といった利益を渡してしまえという、北京オリンピック前のチベット人の心の叫びを無残に踏みじみった、日本のスポンサー大企業や日本共産党のような外道連中が喜ぶ道を歩むのか。


中国がチベットやウイグルから奪ったレアメタルで日本を恫喝する、労働争議をするとマルクス軍がでてきて鎮圧するような21世紀の日本共産党のいうところのマルクスの意にかなった市場経済で、安価労働力で利益を出せるというブサヨのいう経団連的な利益至上主義でマルクス地獄の自民をみてマンセーというような連中と手を組むのか
そして、そうした道の延長でわが国の漁民を軍艦で威圧しようとする連中(日本の9条信者がマンセーする国)と偽りの互恵を続けるのか。

それとも、インドやフィリピンや台湾やインドネシアや韓国のようなマルクス主義の膨張主義、挑戦主義と戦う価値観を持った民主主義国家と手を組むのか。

民主党政権を不幸にも背負ってしまった私たちが問われているのは、私達の孫の世代が、私達が2010年に正しい判断をしたと思うのかどうか

そういうことを問われているのだと思います

そして端的な問いは、インドと中国が戦争をするときに、私たちはどちらの味方なのか

そういうことじゃないのかなぁと思います